国家の品格について

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工学部、理学部で英語を入試の必須科目にしていない大学があるでしょうか。どうしてでしょうか。私は電子技術者としてメーカで定年まで勤めそれなりの仕事をして参りましたが私の場合英語ができなけれが超えられなかったことは一度もありませんでした。日本では優れた日本語の技術書がふんだんにあります。外国のレポートも一日を争うことでなければいくらでも翻訳が出ます。

外資企業や、国際学会に出て発表、討論をするのであれば勿論必要で、そうでなくともできるに越したことがないのはいうまでもありませんが、今でもこれが必要なのはごく一握りの人ではないでしょうか。また英語入試をくぐってきながら大学卒業者で国際学会で必要な英語を自由に使いこなせる人もまたひとにぎりではないでしょうか。

これに反し、数学は避けて通れません。わたしはテレビ中継送信機の設計に10年携わった後、品質管理部門に転じましたので、微積分は勿論、微分方程式、行列式、γ関数など学び直し、さらに必要なものを独学せざるを得ませんでした。統計確率もこれらが無ければ歯が立ちません。特に今流行のディジタル技術は圧縮技術が欠かせませんが、γ関数やベッセッル関数抜きにはどういう処理をしているのかさえ理解できません。

まさに数学は言葉の一つです。数学が無ければ定量的な論理を考え、組立て、伝えることができません。これは藤原正彦さんが言っておられるとおり国語が単なる意思伝達の手段でなく、概念を定義して、思考をつかさどっていることと同じことです。わたしはこの意味で文系の学部で数学を課さないことの方が罪が深いと思っています。文系の人にも定量的な思考が必要です。つまり数学を軽視することで定量的な思考をする習慣が身に付かず、全体を理科離れの方へ誘導するからです。国語、数学あわせて一つの言語です。アメリカ人なら英語と数学です。藤原さんが言う読書・そろばんとはあわせて一つの言語と考えるべきです。

わたしは学生時代英語がほんとに嫌いでした。3〜4千語程度の単語を覚えただけでは新聞もまともに読めないとおもっただけで、絶望的になりました。でも数学は小学時代追い掛け算を自分なりに工夫して方程式を考案、暗算で答えをだしていたりしていて好きでした。
ただ定年退職後十分時間がもてるようになってから学生時代の英語にリベンジするような気持ちで英語を始めたらそれはそれで面白く、今は英語学習にはまっていますが、学生時代は他にやりたいことがたくさんあります。

文科系の大学では数学や理科系の学科を課さない大学がたくさんあります。どうして理科離れといわれる今日、理科系の大学は数学理科は得意だが英語が苦手という学生をとうざけるのでしょうか。どこの大学でも英語を必須としているので英語が出来ないとまったくみじめです。しかもそのため学生時代いやなしかも単なる伝達の手段としての英語に割く時間は莫大なものです。

厳密な思考が出来ない言語を国語とする国、その国の言葉で書いた学術書誌が充実していない国はいやおうなく英語を学ばねばならないでしょう。明治維新に外国語に相当する日本語を作り出してまで、日本語であらゆることを学べるようにしてくれた、先覚者に感謝しなければなりません。わが国の入試では英語は選択科目で十分ではないでしょうか。

大学入学後に必要になればその時に学べばよいのではないかと思います。理科系の学問を組立てている言語・数学それさえ大学で学んだだけでは足りず、必要に応じて自分で学ぶ必要があります。現状では英語が出来ないと大学入試にあまりにも不利です。小学校から英語を必須にするという意見の中には、このような英語に対する逆偏見もあるのではないでしょうか。

転載元転載元: 国家の品格について

工学部、理学部で英語を入試の必須科目にしていない大学があるでしょうか。どうしてでしょうか。私は電子技術者としてメーカで定年まで勤めそれなりの仕事をして参りましたが私の場合英語ができなけれが超えられなかったことは一度もありませんでした。日本では優れた日本語の技術書がふんだんにあります。外国のレポートも一日を争うことでなければいくらでも翻訳が出ます。

外資企業や、国際学会に出て発表、討論をするのであれば勿論必要で、そうでなくともできるに越したことがないのはいうまでもありませんが、今でもこれが必要なのはごく一握りの人ではないでしょうか。また英語入試をくぐってきながら大学卒業者で国際学会で必要な英語を自由に使いこなせる人もまたひとにぎりではないでしょうか。

これに反し、数学は避けて通れません。わたしはテレビ中継送信機の設計に10年携わった後、品質管理部門に転じましたので、微積分は勿論、微分方程式、行列式、γ関数など学び直し、さらに必要なものを独学せざるを得ませんでした。統計確率もこれらが無ければ歯が立ちません。特に今流行のディジタル技術は圧縮技術が欠かせませんが、γ関数やベッセッル関数抜きにはどういう処理をしているのかさえ理解できません。

まさに数学は言葉の一つです。数学が無ければ定量的な論理を考え、組立て、伝えることができません。これは藤原正彦さんが言っておられるとおり国語が単なる意思伝達の手段でなく、概念を定義して、思考をつかさどっていることと同じことです。わたしはこの意味で文系の学部で数学を課さないことの方が罪が深いと思っています。文系の人にも定量的な思考が必要です。つまり数学を軽視することで定量的な思考をする習慣が身に付かず、全体を理科離れの方へ誘導するからです。国語、数学あわせて一つの言語です。アメリカ人なら英語と数学です。藤原さんが言う読書・そろばんとはあわせて一つの言語と考えるべきです。

わたしは学生時代英語がほんとに嫌いでした。3〜4千語程度の単語を覚えただけでは新聞もまともに読めないとおもっただけで、絶望的になりました。でも数学は小学時代追い掛け算を自分なりに工夫して方程式を考案、暗算で答えをだしていたりしていて好きでした。
ただ定年退職後十分時間がもてるようになってから学生時代の英語にリベンジするような気持ちで英語を始めたらそれはそれで面白く、今は英語学習にはまっていますが、学生時代は他にやりたいことがたくさんあります。

文科系の大学では数学や理科系の学科を課さない大学がたくさんあります。どうして理科離れといわれる今日、理科系の大学は数学理科は得意だが英語が苦手という学生をとうざけるのでしょうか。どこの大学でも英語を必須としているので英語が出来ないとまったくみじめです。しかもそのため学生時代いやなしかも単なる伝達の手段としての英語に割く時間は莫大なものです。

厳密な思考が出来ない言語を国語とする国、その国の言葉で書いた学術書誌が充実していない国はいやおうなく英語を学ばねばならないでしょう。明治維新に外国語に相当する日本語を作り出してまで、日本語であらゆることを学べるようにしてくれた、先覚者に感謝しなければなりません。わが国の入試では英語は選択科目で十分ではないでしょうか。

大学入学後に必要になればその時に学べばよいのではないかと思います。理科系の学問を組立てている言語・数学それさえ大学で学んだだけでは足りず、必要に応じて自分で学ぶ必要があります。現状では英語が出来ないと大学入試にあまりにも不利です。小学校から英語を必須にするという意見の中には、このような英語に対する逆偏見もあるのではないでしょうか。

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