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8月27日付の日経新聞の記事に「弱者こそ正義脱却を」という記事を見ました。日本に留学をして日本で働き、ソフトブレーンという会社を創業した宋文洲という人とのインタービュ記事ですが、その中に以下のような部分がありました。・・・何故日本では格差が問題になるのでしょうか・・・という問いに答えて
「日本の平等は与えられたものだからです。さらに日本に根強い清貧の思想。正しい人は貧しくても清く生きるというのが、いつの間にか貧しい方が清く、弱者の方が正義になってしまった。役所もマスコミもそうした論調には逆らえず、まるで中国の文化大革命のようです。」
わたしはここに日本の病根の一つがあるような気がしてなりません。清貧の思想は良いのですが、弱者が正義と行き過ぎるのが問題です。この記事ではマスコミもその論調に逆らえずとありますが、むしろ行き過ぎてその論調をあおっているのは、マスコミであると思います。
以前にとりあげた
「乳母車を電車が引きずった」(http://blogs.yahoo.co.jp/mukyu_shikari/32530050.html)
「乳母車を電車が引きずった2」(http://blogs.yahoo.co.jp/mukyu_shikari/32593685.html)などはその一例であると思います。
弱者と呼ばれる人は、その弱い部分に対しては勿論援助され守られなければねばなりません。だからといって何をしてもよいというものではありません。だれであっても守るべきことは守らねばなりません。弱者の行為が不正であってもその行為には一言も注意を喚起せず、一見強い立場にあるものの非ばかりをあげつらうのは、勇気のある者の行為でではありません。それが不正であれば、それがたとえ弱者であっても正すのが勇気です。
こういった風潮は大人になりたくない子供たちや、大人になりきっていない大人など、ひずんだ社会を生みます。本来弱者であることを不本意に思い、早く弱者を脱却したい、弱者に陥りたくないと願い行動するのが活力ある社会のもとなのに、居心地の良い弱者の世界に安住するというのは、あきらかにひずんだ社会です。すぐきれるといった社会不安の一因になっています。
世論に流されて、言いやすいことだけ言っているようでは、この記事で言う中国の文化大革命と変わりはありません。弱者とされている人にあえて直言すれば非難の嵐です。これは進歩的知識人が忌み嫌う戦前の大政翼賛会と同じで言論の自由はないに等しいということは前にも述べました。
宗さんは「清貧」ではなく「清富」の思想をと提案しておられます。一つの考えと思います。最後に「もうひと言」という欄に「中国には言論の自由はないが日本よりずっと自由に発言している」というのが印象的でした。
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