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吉兆の予約が激減しているとのニュースが流れております。こうでなければいけません。むしろ遅すぎると思います。賞味期限や産地を偽ったと分かったときに、こうあるべきであったと思います。営業再開のときに予約で一杯などと云うことがブランドにあぐらをかいた経営者に過った判断をさせた元と思います。
客が箸をつけない料理が出たとき、心ある調理人は何を思うでしょうか。客の好みに合わなかったことを悔い、次はあの客にはどのような献立で臨むかと考えるのが「おもてなしの心」と聞いたことがあります。高級社用料亭になってしまって、会社の金で接待に使う客がほとんどになってしまい、高価なことだけで接待客の歓心を買い、まるで大臣室の蘭の花のような存在になっていたのかもしれません。こうなれば味やサービスは二の次、食べ残しが出ても、気にもならず、「使いまわし」に、もったいないの精神が働くのです。客も「おもてなしの心」や「味」など求めていなかったのかもしれません。ブランドと高値だけを接待先に売りつければ良かったのでしょう。
社用族が増えたときは、ほかの高級料亭ももって他山の石とすべきものと思います。
それにしても、他の吉兆の人達はどうしているのでしょうね。「船場はんえらいことしはりましたな。まことに迷惑です。」というだけで全力を挙げて信頼回復に臨んでいるとも見えないのはどうしたことでしょう。何人かの子供に分けて継がせた別会社ということですが、なにか他人事に見えます。あれだけの事を起して、暖簾に傷をつけたのですから、商標権使用差し止めの訴訟でも起こし、暖簾を守るために暖簾を使う全員に対し、吉兆かくあるべしというようなことをいう人はいないのでしょうか。第三者委員会を作ればそれですむというようなことではないと思います。先代から同じ吉兆を受けつぎ、責任を持って経営に当たる人がそれこそ命を賭けて取り組む問題でしょう。それが身を挺して守るというものです。それともそれぞれに弱みがあって、そんなことでもしようものなら、お互いにあばきあいにでもなるのを恐れているのでしょうか。
以前料理に添えられたパセリを食べようとしたら(勿論吉兆ではありません)、ちょっと待てと制止されたことがあります。パセリの新鮮なものはおいしいものですが、誰も食べないので使いまわしをしているかもしれないというのです。まさかと思いましたがその人は使いまわしされないように、半分に切るとか、ソースにつけるとか二度使いができないようにしておりました。これが現実に行われていたということは恐ろしいことです。提供し下げられた料理は数時間も室温にさらされているのです。ほこりをかぶり、たばこをすった部屋ならニコチンも付着していることでしょうし、話をしていれば唾も飛んでいることでしょう。箸をつけなかった料理を「食べ残し」と呼ばないでくれとは、この期に及んでもまだ事の重大さがよくわかっていないとしか考えられません。この人達には一生わからないことでしょう
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