国家の品格について

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世評

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今朝の日経の一面「春秋」欄、秋葉原が復員兵が食うために始めたラジオ部品の露天商に街だったころの話が載っています。今は「フリータが集う街と」見られる秋葉原も、そのころそこで商売していた人たちは想像を超える貧困と不安感と戦い克服したひとたちであったと。ラジオ部品といったって駐留軍放出の中古ジャンクの店が中心で、私が初めて東京に出てきた40年前にもまだそのころの面影がありました。


「春秋」によれば、派遣労働者の境遇が「本人の精神的不安定を呼んだ」とほのめかす閣僚がいるそうです。バブルの頃が標準で、その後の境遇をとらえて、犯罪が起きてもやむを得ない状況であるなどとしたり顔でいい、最後は病気に逃げ込んで無罪判決を勝ち取ることをめざすようでは、それこそ病んだ社会と言わざるを得ないのではないでしょうか。


創造性や独創力だけを偏重し、こつこつルーチンワークで働くことを馬鹿にし、いやな仕事は無理してやることはないとか、好きな仕事、自分に向いた仕事が見つかるまでニートでも仕方がない、或いは事件が起きると世間が悪いといった無責任な発言はやめるべきであると思います。衆議院選挙も遠くない現在、こういった閣僚は政治家でいる資格がありません。しっかり記憶しておきましう。

秋葉原の通り魔事件で、刃物を持って立ち向ってくる犯人を検挙した警官を讃えようではありませんか。一人ではなく何人かで協力して検挙したようにおもいます。中の一人は通行人をかばおうとして刺され大怪我をしたと報じられたたように記憶しております。身代わりになったのです。

文字通り狂人に刃物の状態で、狂乱状態の犯人に立ち向っていくには、いくら職務とはいえ、真に勇気の要ることです。その後の報道を見ていると犯人が派遣社員の身分であったが故にこのようなことが起こったといわんばかりの報道ばかりです。

犯罪の動機や背景を報道をすることはそれなりに意味もあると思いますが、自分がやられるかもしれないことも省みず、犯人おいすがり次の被害者を出さず、検挙したことは、もっと報じられ讃えられるべきものと思います。

荒川沖駅の殺傷事件で犯人を取り逃がしたことや、以前、暴走族にとりかこまれて逃げたといって報道陣はぼろくそに言い、警察官の軟弱化を非難しました。今回の手柄を当然としていませんか。オリンピックで金メダルをとればその人は勿論子供に至るまで、讃えられ、誇りに思うことでしょう。

警察官といえども人間です。生命に危険がぶ事態に直面すれば恐怖を覚えるでしょう。そこを踏みとどまって次の被害者を未然に防ぎ職務を全うしたのです。馬鹿にされている仕事を優秀な人が携わるはずありません。優秀な警察官を望むなら、オリンピック選手以上に、立派な手柄を立てた警察官を讃え、その子供に至るまで誇りに思うように報道することです。そうすれば新たな勇敢な若人が警察官を志すに違いありません。

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暖簾の重み

吉兆の予約が激減しているとのニュースが流れております。こうでなければいけません。むしろ遅すぎると思います。賞味期限や産地を偽ったと分かったときに、こうあるべきであったと思います。営業再開のときに予約で一杯などと云うことがブランドにあぐらをかいた経営者に過った判断をさせた元と思います。

客が箸をつけない料理が出たとき、心ある調理人は何を思うでしょうか。客の好みに合わなかったことを悔い、次はあの客にはどのような献立で臨むかと考えるのが「おもてなしの心」と聞いたことがあります。高級社用料亭になってしまって、会社の金で接待に使う客がほとんどになってしまい、高価なことだけで接待客の歓心を買い、まるで大臣室の蘭の花のような存在になっていたのかもしれません。こうなれば味やサービスは二の次、食べ残しが出ても、気にもならず、「使いまわし」に、もったいないの精神が働くのです。客も「おもてなしの心」や「味」など求めていなかったのかもしれません。ブランドと高値だけを接待先に売りつければ良かったのでしょう。


社用族が増えたときは、ほかの高級料亭ももって他山の石とすべきものと思います。


それにしても、他の吉兆の人達はどうしているのでしょうね。「船場はんえらいことしはりましたな。まことに迷惑です。」というだけで全力を挙げて信頼回復に臨んでいるとも見えないのはどうしたことでしょう。何人かの子供に分けて継がせた別会社ということですが、なにか他人事に見えます。あれだけの事を起して、暖簾に傷をつけたのですから、商標権使用差し止めの訴訟でも起こし、暖簾を守るために暖簾を使う全員に対し、吉兆かくあるべしというようなことをいう人はいないのでしょうか。第三者委員会を作ればそれですむというようなことではないと思います。先代から同じ吉兆を受けつぎ、責任を持って経営に当たる人がそれこそ命を賭けて取り組む問題でしょう。それが身を挺して守るというものです。それともそれぞれに弱みがあって、そんなことでもしようものなら、お互いにあばきあいにでもなるのを恐れているのでしょうか。


以前料理に添えられたパセリを食べようとしたら(勿論吉兆ではありません)、ちょっと待てと制止されたことがあります。パセリの新鮮なものはおいしいものですが、誰も食べないので使いまわしをしているかもしれないというのです。まさかと思いましたがその人は使いまわしされないように、半分に切るとか、ソースにつけるとか二度使いができないようにしておりました。これが現実に行われていたということは恐ろしいことです。提供し下げられた料理は数時間も室温にさらされているのです。ほこりをかぶり、たばこをすった部屋ならニコチンも付着していることでしょうし、話をしていれば唾も飛んでいることでしょう。箸をつけなかった料理を「食べ残し」と呼ばないでくれとは、この期に及んでもまだ事の重大さがよくわかっていないとしか考えられません。この人達には一生わからないことでしょう

吉兆のホームページに掲載されている、創業者湯来貞一氏とのインタービュー記事によると、「日本料理は日本の文化そのもの、人間的な喜びを食べ物を通して味おうてもらいたい。もてなしの心。ただ、うまい、安い、それだけで繁盛するなら苦労は要らない。」とその志を語っています。

吉兆では「もてなしの心」などはどこへ行ったのだろうか。産地偽装、消費期限改ざん、客の食べ残しの再提供、見られていなければ何でもやる。明るみに出れば従業員に責任転嫁し経営者は知らぬ存ぜぬを決め込む。良心等というものはどこにもないではありませんか。これだけのことが明らかになりながら、身を挺して店を守ると言う。大事なのは創業者の言う「日本文化としての日本料理、もてなしの心」などではなく暖簾代という金だけではありませんか。すべては客のためでなく金のためです。志などどこにも見えません。

誰も見ていなければ、何でもやるということは、吉兆に限りません。ミートホープ社、比内鳥、など枚挙にいとまがありません。このような事態を規制や法律で解決することは無理です。志や良心にかかわることは法以前の問題です。


吉兆が営業再開という時に予約で満席というニュースを聞いて耳を疑いました。


そのときは客の食べ残しの再提供はまだ報道されておりませんでしたが、うそをつく、見られてなければ何をするか分からない人のすることは、全てにわたってうそがあると思うべきです。案の定、再提供が明るみになりました。

こういう企業は世の中から退出してもらうしかありません。ミートホープ社は既にありません。見られたいなければ何をするか分からないと言う中にはひき逃げもその一つです。こちらの方は警察にがんばってもらって逮捕、服役でつぐなわせるほかありませんが、会社の場合は社会から退出させるべきです。吉兆も一旦解散して出直すべきです。そのためには客が一日も早く見放すことことです。

20年ほど前、毎夜残業を終わり10時過ぎに会社から青梅街道を新宿方向に帰るときに、或るパン会社の大型トラックの一団が猛スピードで追い抜いていきます。パン会社の工場が新青梅街道に面したところにあったので、そこから都内やその先に製品を届けるのでしょう。こちらがそれなりのスピードで走っていても、割り込み、後ろからのあおりは日常茶飯事で、窓からみかんの皮を投げ捨てていったのもありました。これを見てこの人達は上司に監視されていないと何をするか分からない人達と思い、以後この会社の品物を買いません。トラックも会社の名前をその有名なロゴで大きく書いて走っているわけですから、会社の信用を担う一員です。その人達を掌握できない会社は信用できないと思いました。

最近特に悪くなったとは思いたくありません。第一次大戦のころ日本から輸出した軍需品の、缶詰に石が詰めてあったとか、軍服のボタンが紙であったとか、品質以前の、だまして金を取ったような事例もあって、今の日本製の評価を得るのに先人がたいへん苦労されたと言う話の聞きます。志の低い人達は何時の時代もいます。先代が築いたのれんにあぐらをかいて、もてなしの心を欠いた経営者を追い出すのはブランドだけにだまされない客の目ではないかと思います。そして志を持って仕事をする人たちに報いようではありませんか。

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長野聖火リレー

長野の要所要所に林立している中国国旗を見て異様な光景と思いました。4000人の中国人がつめかけて手に手に大きな国旗を持って叫んでいるのは尋常なことではありません。まるで文革の紅衛兵の理不尽な行為はかくあったかと思うほどです。明らかに聖火の応援ではなく威嚇です。理不尽な行為です。


かれらは、日本の客人である立場忘れています。われわれは彼等をわれわれの客人として過ごしてもらうよう安全、自由、人権を保障しています。その客人として最低限守らなければならないことは、訪れている国に迷惑をかけないことではないでしょうか。このことは世界共通の常識であると思います。中国はチベットの問題は国内問題であると常にいっています。ならばこの問題を外国に持ち出すべきではありません。


日本には表現の自由があります。チベットの人や彼等に同情する人がその意見を法が許す方法や日本に迷惑をかけない範囲で表現する自由があります。もしそれが法に反することであれば司法が取り締まるでしょう。それを数を以って他の表現を制圧するようなやりかたは、国家主権の侵害です。聖火リレーは日本が責任を持って整然と行うと宣言しています。事実万全の体制で整然と実施されました。あちこちで小競合いをしたことで、聖火の警備以外に警察は多くの力をそのために割くことになったことと思います。こんなことを他の国の人が中国の都市でやったら中国はそれを許すでしょうか。


中国人の犯罪が目立つように思っていました。犯罪は日本人も起します。多くの人の中には互いにそういう不埒な人もいると思ってきましたが、数千人の人が客分であることもわきまえず、平和の祭典のプロローグであり、他国で行われている聖火リレーの場で、自分に反対の立場の立場の人たちを威嚇することは、もはや、たまたま不埒な存在する人間の問題とはいえません。やはり中国人はこうなのか、礼を知らないのかと思わざるを得ません。


そして報道管制のある中国では少数民族がこのような扱いを受けていることをはしなくも示したのかなと思わずに居れませんでした。中国国内で日常的におこなわれている行動が何の疑いもなく外国でも行われてしまったのではないか、つまり、チベットの人達が訴えていることの真実味が、この中国人の行動で裏付けられたような気がします。まして何らかの組織が動員を掛けて、このようなことをさせていたとすれば何おかいわんやです。ある記事によると在日中国大使館は金こそ出さなかったが、国旗やその他のものは提供したといっています。これが事実なら中国大使館も黙認以上のかかわりを持ったということです。


自分の言い分を通し、相手をやっつけるためには時、所を選ばず、住まわせてもらっている国の迷惑も考えないというのなら、こんな礼をわきまえない国民はありません。


日本に来ている中国の人達も、母国で行われるオリンピックを誇りと思い、それに何らかの形で参加したいと言う気持ちは当然です。多くの人が沿道で声援することはそれにふさわしいことです。平和の祭典らしく日本と中国の小旗を持って笑顔で迎えれば、平穏に聖火リレーは進行し、北京オリンピックを日本人と共に盛り上げることができたことでしょう。


そしてなによりいえることは、多くの日本人に中国人は異常な行動をとると国民と印象付けただけで、折角の聖火リレーも中国にとって何等得るところは無かったと思います。

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