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数学・工学

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ブログへの数式記載法

seiyakumanのブログのコメントと、そこに書き込まれたZXさんのコメントを参考にして私なりに数式のブログへの記載法を確かめました。参考になれば幸いと思い掲載します。

キャプチャーソフトCapture STAFFを使う方法

(1)B5サイズでワードで文章作成。
「挿入」→「オブジェクト」→「Microsoft数式3.0」→「OK」で数式が作成できます。
(2)Capture STAFFを起動します。
( http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se119281.htmlから入手できます。)
(3)Ctrl+F1でWord画面を取り込みます。
(4)FileName欄にImageが表示されるので、これをクリックして右側に取り込んだImageを表示。
(5)Ctrl+F5で保存範囲を指定。新たなImageが表示される。これをGIF形式で保存。
(6)このFileをブログの画像へ


どちらもポイントは文章作成はB5サイズってこと、こうしないと画像が見づらいですよ。それから横幅は出来るだけ目イッパイに書かないこと。縦長のほうがいいですヨ

イメージ 1

以上です。キャプチャーソフトはtakubinさん紹介のCapture STAFF - Lightを使いました。


今回seiyakumanさんと、takubinさんのコメントどおりにやって上記のようになりました。ただ教えていただいたことを自分のために読みやすくするため編集してA4一枚にまとめました。今後数式をblogで使いたいという方の参考に成ると思うので、もし許可をいただければ私のブログ上に公開したいと思うのですがいかがでしょうか。

代理出産のニュースが最近二件ありました。臓器移植で自分の臓器を売ったニュースもありました。技術が進むとその技術に社会が振り回されてしまいます。そんな技術が無かったころはあきらめていたことが、できると聞いた以上なんとしてもと思うのが人情でしょう。子どもがない人がなんとしても子どもを欲しい。臓器移植をすれば助からないと思った命が助かる。わらをもすがる思いで最先端医療を試みることを非難することはできません。


ダイナマイトが発明されたときその破壊力から、戦争に用いられたときの惨禍を予測し、平和な用途に用いられるようノーベル賞が創設されましたが、いまだに解決していません。
核エネルギーは平和産業に用いられる以前に科学者が率先して兵器をつくり、戦争に用いました。そして不拡散体制と称して、核を持っている国が、持たない国に持つことを非難するというおかしなことが起きています。つまり既成事実でもってごり押しをするということの不合理さに地球上の誰もがさらされているということです。


代理出産でいえば、生まれてきた子どもには責任はありません。そのことの当否は、そこに子どもがいるという事実の前には、議論のしようもありません。厚生労働大臣が法整備をしなければならないと言い出しています。これは核保有の事実を持って自分の主張を通そうとすることと、やりかたにおいては変わらないのではないでしょうか。生命倫理については私にはどこまがよくてどこからが問題なのかよく分からないのですが、自然というのもにあまり手を加えては、後で取り返しがつかないことになりはせぬかと、漠然とした不安を覚えます。


最近二足歩行をはじめ各種のロボットが開発され、介護、危険作業、災害救助といろんな用途で期待されているというニュースを見ます。わたしは良い面だけが報道されていてその裏にある危うさが忘れられているような気がしてなりません。


たとえば人口知能を備えたロボットで軍隊を作ったらどういうことになるのでしょうか。自動車の生産ラインのようなラインで作ればあっという間に数十万のロボット軍が出来てしまいます。反撃してもロボットが壊れるだけです。いってみてば兵馬踊がいっせいに動き出すようなものです。
また災害救助ロボットも犯罪者の手に渡ればわずかなすきまから入り込んで、遠隔操作で破壊の限りを尽くすことになります。介護ロボットも知能が高度になればなるほど犯罪者の手に渡ったときは危険です。


便利なパソコンもあっという間にコンピュータウイルスに汚染され、ハッカーの意のままに操られたというのは既に経験済みです。ロボットの知能が犯罪者の都合のよいように書き換えられる可能性は十分あると見なければなりません。
ブルドーザやパワーショベルで銀行の自動支払い機を壊したり、持ち去ったりする事件がありましたが、ロボットが家庭に入り込んだ暁にはもっと危険なことになりはしないでしょうか。


むかし鉄腕アトムかなにかの漫画でロボットが自分たちの権利を人に対して主張するというのがありました。ロボットは人に従わなければならないというルールがあってことなきを得るというストーリでしたが、問題はどの人に従うかということです。これからますます知能は高度化し、力も強くなり、またエネルギー源も燃料電池などで強力になっていくことは間違いありません。


新しい技術が起こったとき、それをどう使いこなし、そのマイナス面を出来るだけ小さくするということを人類の英知で克服しなければなりません。既成事実でごり押しされないように、今からの備えが必要ではないでしょうか。

複素数の実体験

イメージ 1

私は元来ラジオが好きで、無線通信に興味がありました。数千キロも離れたところと空間を通じて通信できることに不思議さとロマンを感じておりました。中学か高校の頃住んでいた田舎の駅の駅長室に「祝全国鉄道電話SHF回線完成」というポスターが張ってあってことを覚えています。また高校時代に電電公社のマイクロウェーブ中継局が、高校のグラウンドから良く見える近くの山にでき、パラポラアンテナや導波管を身近に見、あのようなことに携わりたいなと思っていました。

会社に入りUHFテレビ中継放送機の設計に配属され念願の仕事が出来るようになりました。当時はまだ真空管の時代で、空洞共振器の中に真空管を収容したUHF増幅器を何段も従続接続して使っていました。これらの増幅器などを接続するにはインピーダンスを互いにあわせることが大切でした。インピーダンスが食い違うと違った点で反射が起こります。反射は光が水面で反射するのと同じ理屈です。光の場合は空気と水の密度が変わる点、水面で起こるわけです。

インピーダンスが違うと反射分がロスになったり、増幅器の動作が不安定になったりするのでこれを正確に測り希望の値にすることが極めて大切です。インピーダンスは使う周波数ごとに変わってきます。このころは定在波測定器という道具を使って測定しこれを上に示したスミスチャートという用紙に書き込みます。インピーダンスは周波数によって変わるので周波数を変えながら計って、プロットしていきます。

スミスチャートは複素平面を反射ゼロの点のインピーダンスを基準にしその何倍あるいは何分の1のインピーダンスになっているかを対数尺を用いてあらわし、1倍の点を中心にして無限大から、無限にゼロに近い値まで一枚の紙に書き表せるようにしたグラフ用紙です。横方向には実数部を縦方向には虚数部を表示するようになっています。そして複素数の絶対値が1倍の点からそのグラフ用紙上で同じ距離になるように工夫され全体で円形になっています。

以前に複素数の世界で代数、三角、指数関数の関係が美しいと書きましたが、学校の数学では虚数というものは目に見えないものだけに現実の世界として体感するする機会が少ないのですがこのとき初めて虚数、複素数というものを、自分の体で実感しました。幸せだったと思います。

機器の設計に当たってはインピーダンスを希望する値になるように形状を決めることが必要ですが、反射を別の反射でキャンセルするというようなこともできますが、なかなか思うようにいかず、苦しみましたが今から考えると面白い世界です。

大きな船舶で球形船首というのがありますが、あれも同じことです。船は船首をどんなに鋭くししても、高速で航海すると波が立って推進エネルギーにロスを生じます。船首を球形にして別の波を立て船が立てる波を打ち消してロスの発生を軽減しています。あの形の船を見るたびに、わたしはかって経験したスミスチャートや複素平面を思い出します。

ここに掲載したスミスチャートはウィキペディアから転載させていただきました。スミスチャートをもっと詳しく知りたい方はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/でスミスチャートを検索されるとよいとおもいます。

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工学部、理学部で英語を入試の必須科目にしていない大学があるでしょうか。どうしてでしょうか。私は電子技術者としてメーカで定年まで勤めそれなりの仕事をして参りましたが私の場合英語ができなけれが超えられなかったことは一度もありませんでした。日本では優れた日本語の技術書がふんだんにあります。外国のレポートも一日を争うことでなければいくらでも翻訳が出ます。

外資企業や、国際学会に出て発表、討論をするのであれば勿論必要で、そうでなくともできるに越したことがないのはいうまでもありませんが、今でもこれが必要なのはごく一握りの人ではないでしょうか。また英語入試をくぐってきながら大学卒業者で国際学会で必要な英語を自由に使いこなせる人もまたひとにぎりではないでしょうか。

これに反し、数学は避けて通れません。わたしはテレビ中継送信機の設計に10年携わった後、品質管理部門に転じましたので、微積分は勿論、微分方程式、行列式、γ関数など学び直し、さらに必要なものを独学せざるを得ませんでした。統計確率もこれらが無ければ歯が立ちません。特に今流行のディジタル技術は圧縮技術が欠かせませんが、γ関数やベッセッル関数抜きにはどういう処理をしているのかさえ理解できません。

まさに数学は言葉の一つです。数学が無ければ定量的な論理を考え、組立て、伝えることができません。これは藤原正彦さんが言っておられるとおり国語が単なる意思伝達の手段でなく、概念を定義して、思考をつかさどっていることと同じことです。わたしはこの意味で文系の学部で数学を課さないことの方が罪が深いと思っています。文系の人にも定量的な思考が必要です。つまり数学を軽視することで定量的な思考をする習慣が身に付かず、全体を理科離れの方へ誘導するからです。国語、数学あわせて一つの言語です。アメリカ人なら英語と数学です。藤原さんが言う読書・そろばんとはあわせて一つの言語と考えるべきです。

わたしは学生時代英語がほんとに嫌いでした。3〜4千語程度の単語を覚えただけでは新聞もまともに読めないとおもっただけで、絶望的になりました。でも数学は小学時代追い掛け算を自分なりに工夫して方程式を考案、暗算で答えをだしていたりしていて好きでした。
ただ定年退職後十分時間がもてるようになってから学生時代の英語にリベンジするような気持ちで英語を始めたらそれはそれで面白く、今は英語学習にはまっていますが、学生時代は他にやりたいことがたくさんあります。

文科系の大学では数学や理科系の学科を課さない大学がたくさんあります。どうして理科離れといわれる今日、理科系の大学は数学理科は得意だが英語が苦手という学生をとうざけるのでしょうか。どこの大学でも英語を必須としているので英語が出来ないとまったくみじめです。しかもそのため学生時代いやなしかも単なる伝達の手段としての英語に割く時間は莫大なものです。

厳密な思考が出来ない言語を国語とする国、その国の言葉で書いた学術書誌が充実していない国はいやおうなく英語を学ばねばならないでしょう。明治維新に外国語に相当する日本語を作り出してまで、日本語であらゆることを学べるようにしてくれた、先覚者に感謝しなければなりません。わが国の入試では英語は選択科目で十分ではないでしょうか。

大学入学後に必要になればその時に学べばよいのではないかと思います。理科系の学問を組立てている言語・数学それさえ大学で学んだだけでは足りず、必要に応じて自分で学ぶ必要があります。現状では英語が出来ないと大学入試にあまりにも不利です。小学校から英語を必須にするという意見の中には、このような英語に対する逆偏見もあるのではないでしょうか。

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