国家の品格について

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沖縄戦集団自決に関する教科書検定について、沖縄で大規模な抗議行動が起き文部科学省は、教科書出版会社が申請すれば記述の訂正を認めるといっているようですが、どうも腑に落ちません。もともと以前の教科書には旧日本軍の命令と書いてあったようですが、検定意見で、事実と異なるという意味の意見をつけたことが事の発端ではなかったかと思います。

そうならば検定意見を撤回するのが、適正な処置であって、訂正申請を受け付けるなどというのは、本末転倒もはなはだしいといわざるを得ません。

教科書検定に政治が介入することは望ましくないと文部科学大臣は言っているそうですが、政治的中立などと言うことはありうるのでしょうか。検定委員会は文部官僚が選定しているとすれば、専門知識を備えた文部省の代弁者に過ぎません。官僚が定めることが真実で、政治的にも中立と言うことにいったい何時からなったのでしょうか。


事の真偽はよく知りませんが、このことに関しては報道から聞く限り、民主党が提出しようとしている撤回要求決議の方が正しいと思います。

命令や指示、関与というのは、法制化されたもの、文書によるもの、口頭によるもの、黙認まで、いろいろのレベルのものがあると思います。その中には文書や記録が残っているものも、残っていないものもあるはずで、確かな証拠が無ければ、無かったとすることには相当な無理があるような気がします。

従軍慰安婦の問題がいまにいたるまで解決できないのも、同じ類のものであろうと思います。官僚の確かな証拠が無ければ無かったことにして口をぬぐっていたいという、恥ずべき習性が出たというべきものではないかと思えます。「疑わしきは被告人の利益に」ということはこの場合は当たらないと思います。

さらに検定意見を撤回しないというのは官の責任回避以外の何物でもないと思います。もし間違っていないというならどこまでもつっぱて見ては如何なものかと思います。政治が介入する、しない以前の問題であると思いますが、解決できなければ、国民全体の意見、つまり国民の代表者である国会にまかせるしか方法はありません。誤った検定意見を出した検定委員にやめてもらい、その委員を選定した官僚に責任をとってもらうほかありません。みなさんどうお考えでしょうか。

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安倍首相が辞任しました。まさに満身創痍で投げ出さざるを得なかったということのように思います。今日の病院の診察によると全身衰弱と言うことです。本当に気の毒といえば気の毒ですが何故ここまで追い込まれたのでしょうか。わたしは一国のリーダには二つの面が必要であると思います。ひとつは方針を示し国民に国の行くべき道を示すこと。もう一つは示した結果について国民の声を聞き夫れに従うと言うこと。


今回の参議院選挙を通じてそのいずれもが出来ていなかったことが、施政方針演説まで行いながら、政権を放棄せざるを得なくなった原因ではないかと思います。参議院選挙中の安倍首相の主張は改革の続行、政治と金の問題の解決、年金問題の三つだったように思います。選挙惨敗の結果を受けての続投宣言も改革の続行の旗手をつとめたいというのが主たる理由であったと思います。


それがいつの間にか多国籍軍への給油が政治生命をかけて取り組む課題になってしまい、そしてその法案の審議も始まらないうちに投げ出してしまうことになってしまいました。一国の首相が政治生命をかけて取り組むことならば、なぜそれを参議院選挙で彼の政策の第一に取り上げ、その重要性、撤退することのマイナス面などを、時間をかけて説明し、野党の主張の非を主張しなかったのでしょうか。一年先の話ではなかったのです。


日本は約70年前軍隊の暴走にひきずられて、無謀な戦争に突入してしまいました。その満州事変、太平洋戦争の反省のもっとも大きなものは、軍隊(自衛隊も立派な軍隊です)のシビリアンコントロールであると思っています。自衛隊そのものが違憲であるか否かよりも、今持つ実力部隊をシビリアンつまり、国民の総意に基づいて運用しているか否かにあると思っています。自国の防衛であっても、国際協力であっても国民の総意、つまり国会承認は絶対のものです。


安倍首相はこの点を誤ったが故に袋小路に迷い込み、精神を病み、病んだ精神が肉体を蝕んだのだと思います。国民によく説明し、納得を得たものでなければ実施してはならないのです。参議院選挙の議席数はこのことで決まったのではないかもしれません。しかし示された民意は民意です。形に現れた民意をことさらに無視して自分が正しいと思うことを強行しようとした点に無理があったのです。


新法案には自衛隊の派遣について、国会の事後承認をやめようという声が自民党にあってと報じられておりました。これは民意を無視して軍を動かそうと言うことに他なりません。今の制度では国会の議席数こそが民意を代表しているからです。


自衛隊は国民のための自衛隊です。多国籍軍のためのものではありません。ブッシュ大統領からいかなる要請があろうとも、国際評価が高かろうとも、国会の、国民の意向に反した運用などあってはなりません。もし撤退することでわが国に著しい不利益があるなら国民を十分説得し民意を問うべきです。それが民主主義というものです。わたしが憲法9条を世界遺産にという意見
(http://blogs.yahoo.co.jp/mukyu_shikari/26076106.html)
に賛成するのも、事後承認さえやめようという勢力がいまだにいるからです。とんでもないことです。阿部首相が精神と肉体に異変をきたしたのは健全な考えを持っておられたからではないでしょうか。まともなら耐えられません。

最近拝見したブログをTBさせていただきました。ここで筆者が言っていることはたいへん重要なことと思います。創造性とは何でしょうか。ひょうたんから駒を取り出すようなことでしょうか。ルーチンワークをこなしているうちに、問題点や改善すべき点が見えてきます、そこで知恵があれば、新たな発想がうまれるのです。創造性などというものは「まちぼうけ」の歌のように偶然ひらめいたりするものではないと思います。

ダビンチやエジソンでさえ当時の技術力を超越したものを創造したのではありません。ダビンチは電気や内燃機関を思いつかなかったでしょうし、エジソンもパソコンや人工衛星など想像もつかなかったことでしょう。その時代の最先端にほんの少しの改善を加えたり、組み合わせたりしたものです。 



最近あまり聞かれなくなりましたが、社会の歯車として組み込まれることを、見下し、いやがる風潮がありました。チャップリンのモダンタイムスの見すぎかもしれませんが、わたしはこれは違うと思っています。

最初は重要な部分の歯車にはなれないでしょう。しかし経験を積むことで重要な部分を担うことができるようになります。ニートと呼ばれる人は最も重要度の低い歯車にさえなれない人達のことではないでしょうか。世の中は全て込み入った歯車のように動いています。人から与えられ、その一部を、次の人に与えて行くのです。

時計を例に引けば秒針の歯車は回っていれば用が足ります、分針は5分ぐらい違っていても目安にはなります。しかし時針は分針の5分に相当する角度の狂いがあれば時計の用をなしません。からくり時計ではからくりの一つぐらい動かなくとも、とけいの機能には影響ありませんが、新品の一部が壊れていれば売り物になりません。つまり重要度には軽重があってもみんな大事なものなのです。



ルーチンワークをきちんとこなしていくには根気が要ります。ときにはもうこなしきれないと思うことさえあります。農耕で言えば、田植えも、田の草取りもたいへん苦しい作業です。日照もあります。台風も来ます。こういったものにきちんと対応してこそ100の苦しみの後にやっと1か2の収穫の楽しみが味わえます。サラリーマンだって同じです。

わたしはマイクロウェーブ機器の設計を志して会社に入りました。最初は心臓部のマイクロウェーブの部分など任せてもらえません。周辺部分の設計から入り、会社でのものを作る仕組みを学びます。この段階はいわばルーチンワークです。設計が図面を作成して、それを使って、資材が材料を発注し、製造が物を作ります。図面が約束に間に合わないと矢の催促です。約束は自分の都合でするのではありません。お客さんの要求に合わせて決められます。仕事が重なるとても苦しい思いをします。

心臓部分を任されるようになっても同じです。いやもっと厳しくなります。今度は他社と違った特徴のあるものを設計して、他社に勝たねばなりません。いくら計算しても、実験しても所期の性能が出ません。それでも約束の日になると矢の催促です。これは創造性のある仕事化も知れませんが苦しみぬくことに変わりはありません。



最近新卒の3割ぐらいの人が2〜3年でやめているといいます。いろんな理由があるでしょうが、その何割かはルーチンワークを軽視した人たちではないでしょうか。軽視しているというよりも、単純さや、単純ではあるけれども困難な仕事に耐え切れない人達ではないでしょうか。真剣に取り組めばその中にも喜びもあるというのに。

先日ニュースでワーキングプアという流行語を生んだNHKのドキュメント番組、「ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜」 が何とか言う賞を受けたというのを見ました。昔の水呑百姓という言葉は農地改革で小作制度とともに消えましたが、これの現代版です。なんとか脱出するてだてはないものか思いますが、これに落ち込まないことも大切なことです。この中には折角正社員の地位を得ながらも我慢できずにここに落ち込んだ人も多いのではないでしょうか。いったん落ち込んだら簡単には脱出できないと番組ではいっています、もって他山の石にすべきものと思います。

8月27日付の日経新聞の記事に「弱者こそ正義脱却を」という記事を見ました。日本に留学をして日本で働き、ソフトブレーンという会社を創業した宋文洲という人とのインタービュ記事ですが、その中に以下のような部分がありました。・・・何故日本では格差が問題になるのでしょうか・・・という問いに答えて

「日本の平等は与えられたものだからです。さらに日本に根強い清貧の思想。正しい人は貧しくても清く生きるというのが、いつの間にか貧しい方が清く、弱者の方が正義になってしまった。役所もマスコミもそうした論調には逆らえず、まるで中国の文化大革命のようです。」

わたしはここに日本の病根の一つがあるような気がしてなりません。清貧の思想は良いのですが、弱者が正義と行き過ぎるのが問題です。この記事ではマスコミもその論調に逆らえずとありますが、むしろ行き過ぎてその論調をあおっているのは、マスコミであると思います。

以前にとりあげた
「乳母車を電車が引きずった」(http://blogs.yahoo.co.jp/mukyu_shikari/32530050.html
「乳母車を電車が引きずった2」(http://blogs.yahoo.co.jp/mukyu_shikari/32593685.html)などはその一例であると思います。

弱者と呼ばれる人は、その弱い部分に対しては勿論援助され守られなければねばなりません。だからといって何をしてもよいというものではありません。だれであっても守るべきことは守らねばなりません。弱者の行為が不正であってもその行為には一言も注意を喚起せず、一見強い立場にあるものの非ばかりをあげつらうのは、勇気のある者の行為でではありません。それが不正であれば、それがたとえ弱者であっても正すのが勇気です。

こういった風潮は大人になりたくない子供たちや、大人になりきっていない大人など、ひずんだ社会を生みます。本来弱者であることを不本意に思い、早く弱者を脱却したい、弱者に陥りたくないと願い行動するのが活力ある社会のもとなのに、居心地の良い弱者の世界に安住するというのは、あきらかにひずんだ社会です。すぐきれるといった社会不安の一因になっています。

世論に流されて、言いやすいことだけ言っているようでは、この記事で言う中国の文化大革命と変わりはありません。弱者とされている人にあえて直言すれば非難の嵐です。これは進歩的知識人が忌み嫌う戦前の大政翼賛会と同じで言論の自由はないに等しいということは前にも述べました。

宗さんは「清貧」ではなく「清富」の思想をと提案しておられます。一つの考えと思います。最後に「もうひと言」という欄に「中国には言論の自由はないが日本よりずっと自由に発言している」というのが印象的でした。

地方格差と農業改革

内閣改造が発表されました。参議院選挙の敗因は行政改革にともなう地方の切捨てにあるといわれ、改革を進めながら地方にも配慮するという玉虫色の内閣改造だそうです、が、そのんなことではたしてうまくいくのでしょうか。

地方との格差と、大合唱ですが、地方の市町村の税収不足や就職難といった話は聞きますが、ほんとに格差があるのでしょうか。わたしはNHKの「家族に乾杯」という番組が好きで、よく見ますが、出演者がたまたま道であった人の家を訪ねていくのですが、どの地方もどの家も大変立派な新しい家で、都会のサラリーマンには想像もつかないほど、お金のかかった家に住んでいる人が多いように思えてなりません。あの番組の趣旨から言って、豊かな家庭ばかりを選んでいるとも思えません。農村地域を車で走っても立派な家並みに感心します。

一方、全国の耕作放棄地の面積を合計すると埼玉県の面積に等しいと云うことがいわれております。地方の格差があるとすれば自作農制度にこだわった、農業従事者の年齢構成の変化に合わない農政、農業の生産性低下、それと営農できる農家とできない人との格差拡大、つまり農業政策の失敗にあるのではないかと思うのですがどうでしょうか。

戦後の占領軍による農地改革以来、まったくといってよいほど、農業政策は変わっていないように思えます。バブルの少し前、三ちゃん農業という言葉でがありました。じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの三ちゃんが農業の担い手だという意味です。そとき誰にもその次の時代はどうなるのかは明確だったはずです。そのじいちゃん、ばあちゃんも今は無く、耕作放棄する以外に無くなったというのが現状ではないでしょうか。その一方食料自給率は40%を割っているということです。

現在大部分の農家は兼業農家といいます。何事も専業で必死の努力しても国際競争力を手にできるかどうかです、兼業でなんとかなるという甘いものではないでしょう。こういう事態を放置して都市部の住民の税を地方につぎ込むのはモラルの低下を招くだけではないでしょうか。

三ちゃん農業ということばが、生まれる前に実施すべきだった農業改革を、手を打たずに過ごした結果ではないでしょうか。農業行政の怠慢以外の何物でもありません。農林行政に携わった政府、官の不作為という犯罪にも等しいことだと思います。社会保険庁の問題や旧厚生省の薬害、公害問題同様の怠慢です。

今やるべきことは、農業改革を急ぐことではないでしょうか。先日新聞の4面か5面の記事に自作農制度の放棄という記事を見ましたが、国土を国全体から見てどう利用するかと観点からの、発想の転換が必要ということでなないかと思います。これは道路改革や郵政改革などよりはるかに国民全体に広く深い影響のある改革であるとおもいます。マニュフェストの第一項目に掲げて、方針を掲げて国民の意思を問うべきものです。

改革が遅れたため、痛みを受ける人も多くなると思いますが、避けて通れるものではないとおもます。民主党の主張しているような価格補償制度などは一時的セーフティネットとしては有効でも、ばら撒き行政で何とかなるようなものではないと思います。

農業というのは、国の基幹産業の一つであると言って異論のある人はいないとおもいます。製造業始め他の基幹産業はそれぞれ改革を経験してきて、今日があります。戦後のほとんどの期間政権の座にあった自民党の責任は重いと思います。社会保険庁の問題と同様にこの農業問題の不作為も今回の敗因の一つに上げなければならないと思います。地方格差ということは農業政策失敗と同義語と思います。次回の衆議院選挙で勝利するのは農業改革で国民の支持を得た方だとおもいますがどうでしょうか。

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