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─ウズベキスタン/ヒヴァ (Khiva)─
7月になりました。
ということは、今年もあと半分を切ってしまったということです。
まあ、これは考えようで
今年はまだ半分も残っている、と考えれば
出来なかったことを、これからでも
充分な時間があると思えるものです。
全てが二律相反する、という訳ではありませんが
全てのことにはそういう選択岐がつきまといます。
ただ、それらの選択岐は
あとから、あのときこうしておけば、とか
別の道を選択しておけば、と思いめぐらすことで、
後悔をしたり、嘆いてみたりするようなものは
自分自身が、記憶にとどめているだけで、
全ての瞬間に何らかの選択を無意識で下しています。
でも、ホントにそうでしょうか。
選択岐があって、どちらかを選んだから
その結果があるのではなく、
選択そのものには必然がある、と考えれば
選ばなかった道、というのは、
本当は無かったものだったのかもしれません。
日常のあらゆる瞬間に、無意識で選択をしていますが
それを意識しなくても、自ずから選んでいることがあります。
例えば、自動改札機を通るとき、
右へ行くか、左へ行くか、それとも端のほうまで
大きく移動するか。。。
何台も並ぶ自動改札機をどう選ぶかは、
二律ではなく、もっと多くの選択岐があるように見えますが
ひとつひとつを分解していけば
全ては二者択一で、無意識に選択しているのです。
それらの選択岐は、でも、本当にあったのか。
やはり自らの選択は、自らが招いた必然なのかもしれません。
過去の選択岐を思い悩むよりも
少なくとも、前へ向かう選択を考えるほうが
よっぽど楽しいし、ワクワクするわけです。
まあ、こう書いたものの、
目の前の選択ひとつづつのスピードが必要になります。
どれを選んだとしても、何を選んだとしても
全ての結果は必然であるなら、
思うがままに任せてみるしか、
仕方が無いこともあるかもしれません。
またいつも通り、まとめることが出来ません(^^。
旅も日常も、いつも選択の連続です。
そして無意識のうちに選択して、
今があるのは、必然です。
この娘と出会った時は、確か泣いていました。
同年代の男の子とけんかをしていたように思います。
男の子(複数だったか?)がどこかへ行って
その後、この娘を慰めているうちに
こんな笑顔になったのです。
けんかしているのを、見過ごしても、
また慰める必要も無く、
確か結局、そのおかげで夕食にありつけなかったことも
こうして文章にしてみて、今、思い出しました。
全てが自分自身の選択で、
でもこの娘の笑顔が見れたのは必然だったともいえます。
日常の中では、あまり選択することが見えなくなっていますが
旅の中では、そんな選択がよく見える時があります。
そう、だからこそたとえ必然的結果に至るとしても
選択するワクワク感が見えるから、楽しいのでしょう。
じゃあどうすれば。。。
常に選択していることを意識すれば、
すこしは人生のワクワク感が増えるのかもしれません(^^。
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ヒヴァも暑かったですね。。(イエメンの方が暑かったけど)
あらゆる自らの選択は、自分自身に必要な選択なのだと思います。
自ら選択したと思えない状況でも
その状況は自ら作り出したものだと思います。
選択を誤ったと思っても
いつかそれは誤っていなかったと気付くものだと思います。
自らの選択の上にある現在の自分ですもの^^
ちょーポジティブ思考のえじぷ〜♪でした!
2011/7/5(火) 午後 7:06 [ えじぷ〜♪ ]
えじぷ〜♪サン、そう、結果としてどんな選択をしようが、どの方向を向こうが、それらはその瞬間ごとに自分自身が選択した答えなのですから、その時点を楽しむ余裕を持てばいいのですが、その切り替えが、とても難しい(^^。とはいえ、かなり出来ていると思っています。焦らず、泳がず。。。問題は重大に局面で急にプレッシャーを負荷されると
、気合いが空回りしないように、いや、それが気の使い過ぎで、胃が痛い\(^^。
2011/7/28(木) 午前 2:25