Trip to ASIA -Asian Smile-

アジアの片隅で、見えること。1枚のPHOTOと思い。

中央アジア2003

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全11ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

イメージ 1

早くからブースの前に並んでいたので、入国審査は5〜6番目に終えることが出来た。

建物を出ると、更に闇が深い。見渡してみてもバス停などあるようには見えないし、ましてやこの時間にバスが走っているとも思えない。知り合いを迎えに来ているような車もあるが、数もそう多くない。
タクシーしかないか。
とりあえず、荷物を持って歩き出すと、さっそく声がかかる。
『タクシー、タクシー?』
少し歩いた場所(数10m程度)に車10台程度が止められる、小さな空き地(駐車場?)があり、数台の車がたむろしている。これがタクシーだとしても、さっき船から下りた乗客を、全て運ぶにはまったく足りない。(送迎に来ていた車を併せても)

そんなことを考えてみても、どうにかなるんだろうな、と思うしかない。それよりも、とりあえず寝るところを確保したいし、鉄道の駅が開いているようなら、この町を出る時刻も知りたい。

アゼルバイジャンのバクーで、苦労して取ったカザフスタンのトランジットビザ。せっかく貰った8日間のビザが船の出発待ちで、どんどん短くなり、さっき12時を回った時点で、有効期限があと48時間を切ってしまった。明日中にはこの国を出国しないと、オーバーステイということになる。この前年にもカザフスタンへ来ていたが(アルマティだけだが)、ポリスチェックの多さには辟易していたので、ビザが切れたままだと、罰金や拘束なんて事もあり得そうで、何とかウズベキスタンに入国しないといけない。
しかし、どうやってウズベキスタンへ向かえばいいのか。
以前も書いたように、自分の中にある確証は、ガイドブックの広域地図に書かれている鉄道線。ここからウズベキスタンの世界遺産で、シルクロードのオアシス都市ヒヴァに近い、ウルゲンチという町に続く細い線だけだった。(道路を記す線は、途中の砂漠地帯を抜ける道がなかった。)

とりあえず、町へ向かう車を確保しないと...。そう思って、空き地の前で立ち止まった。

【写真は駅近くにあった、小さな路上マーケット。】

イメージ 1

夜7時をかなり回ってやっと、船は再びエンジンを響かせはじめた。
アゼルバイジャンとカザフスタンの間には、夏場2時間の時差がある。現地時間ではもう9時を過ぎている。

外はすっかり日が落ち、完全な暗闇状態。その中を船は進んでいく。微かにカザフスタンのアクタウ港と思われる、タングステン風のオレンジの明かりが、海の向こうにチラチラと輝いて見える。

船の乗客たちも、荷物をまとめて、どんどんデッキを埋め始めていた。
なぜ、目の前に見えているのに入港しないのか。そんな疑問には誰も答えてくれないが、後日読んだ本には、軍事的な理由で周辺の状況を、見えないようになってから入港したのではないかと、推測してある書物もあった。

今や、軍事衛星が世界中を飛び回り、Google earth をつかえば世界の様々な場面が、個人でも簡単に見ることが出来る時代。軍事施設の存在を隠す必要があるのか、とも思えるが、見せたくないものもあるはず。世界中どこへいっても撮影禁止場所があるのと同じ事だろう。

船が接岸して、入国審査場だと思われる建物に入ると、かなりの蒸し暑さに気分が悪くなってくる。しかも、室内にあるベンチは20脚程度で、ほとんどの乗客は立ったままか、地面に座り込んでいた。
−まるで収容所へ入れられる囚人か、難民の出国待ちの行列のようだ−
ふと、頭にそんなイメージが浮かぶ。どちらも現実に見たことはない。あくまでもTVや映画のシーンを想像したイメージでしかなかったが、その後2時間近く、何のアナウンスもないまま待ち続けさせられた時には、
さすがに最初は動き回っていた子供たちも、ほとんどがぐったりしていた。

新しい国への入国は、ワクワクとした気持ちと同時に、幾らかの不安もつきまとう。この入国ポイントは、自分が経験した中でも、かなり不安をいだかせるような雰囲気が漂っていた。

2つしかない入国審査ブースに係官が現れた時には、日が変わってだいぶ経っていた。

【写真は翌朝、町の中で出会った少年たち。一昔前の日本人みたい(^^。】

イメージ 1

船特有のエンジン音と、重油(軽油?)の臭いになかなか寝付けず、うつらうつらしたまま朝を迎えた。

デッキに出てみると、海と同じような濃紺の海面を進んでいる。カスピ海の面積は日本の国土面積よりやや狭い程度。琵琶湖などとは比べものにならないぐらいに広い。更に数時間経っても、180度どこにも陸地見当たらない。

船の中ではする事もなく、前日の乗船待ちから時間を潰し続けているばかり。1冊だけ持っていた文庫本も、バクーにいた時に、テレビもない夜長、読み切ってしまっていた。子供たちと遊び続けるのも、さすがに飽きてくるし、船の座席でうつらうつらしていた。

お昼を過ぎても一向に陸地が見える気配が無いまま、更に数時間が過ぎていった。

うつらうつらを続けている時、何となく船のエンジン音が小さくなったような気がして、時計を見ると4時過ぎ。いよいよ到着か。と、デッキへ出てみるが、まだ陸地が見えるわけではない。
どうしたんだろう、と気になったが、多少スピードが落ちたものの船自体は進んでいる。陸地が近づいて、水深が浅くなったのだろうと考えた。

しかし、更に1時間ほど進むと完全に船のエンジンは止まってしまった。

エンジントラブル??
一瞬不安になったが、誰も慌てる様子が無く、船内の様子は何も変わらない。
改めて船の中を歩き回ってみて、偶然に紛れ込んだ操舵室の前で、船員に聞いてみた。
『なぜ、エンジンストップ?』
彼らは肩をすくめるだけ。
『トラブル??』
『ニエット!(No)』

船員たちが船の舳先のほうを指さすので、目を凝らしてみると、微かに水平線とは違う凸凹が見える。
『カザフスタン!』
到着のための時間調整か何かだろうか。いろいろ尋ねてみても言葉が伝わらずに解らないまま。
少しアルコールの匂いを漂わせていた彼らは、それより俺たちを撮ってくれ、と副キャプテンまで連れてきた。何だか判らないまま、お礼代わりの写真を撮って船室に戻るしかなかった。

イメージ 1

この日の受付は10時だと言われていたので、ホテルから船着き場へは歩いて向かう事にした。

とりあえず朝食を摂っておこうと、昨夜の店に立ち寄る。
旅話を書く中で、何度か立ち飲みスタンドとして登場した店だが、実は朝から開いている。パンにトマトとキュウリのサラダ、更にヨーグルトの不思議なドリンクを頼んで、手早くお腹に流し込む。
『気をつけて。写真を送ってくれよな。』
朝から働いていた顔見知りの何人かとしっかり握手を交わして(当然、夜だけのスタッフもいるし、朝だけのスタッフもいる)、そのまま船着き場へ向かった。

早めに着くと船着き場には誰もいない。前日の事もあったので、嫌な予感が頭をよぎる。
チケットカウンターのおばさんたちの話では、乗船時間は16〜18時間ぐらい。昼過ぎに出れば、翌朝にはカザフスタンに着く。ビザの有効期限はあと3日ある。なんとかなるだろう。とタカを括っていた。

船を待つ間の話や、船の中での話は

《ASIAN SMILE》スイカとメロン。
http://blogs.yahoo.co.jp/muna_zo/4973250.html

《ASIAN SMILE》異国人のお友達。
http://blogs.yahoo.co.jp/muna_zo/14869401.html

で書いているので、読んでいただけると状況は理解していただけると思うが、何のインフォメーションもないまま延々と待たされ続け、ぼーっと待合所に座ったり、周辺を動物園の動物のように動き回るしかなかった。
待ちわびた乗船手続きが始まったのが、夕方5時頃。
やっと始まった出国審査を終え、船がバクーを離れたのは8時頃になっていた。
明日、対岸のカザフスタンの町(どんな町かもまったく判らない)に着いた後、ウズベキスタンへの移動手段はあるのだろうか...。不安はいっぱいある。
考えられる旅行ルートは、地図に書かれた鉄道を示す、か細い線だけが頼りだった。

【待合室といってもこんな場所。自分の次に待合所に現れた、ファミリーで、
 《異国のお友達》の左の娘が男の子のお姉さん。】

イメージ 1

結局、9時前に開いたフロントで、今日の宿泊代金を支払い、今朝まで泊まっていた部屋に戻った。

前日のことを考え、10時少し回った頃を目指して、港湾ターミナルにあるチケット売場に向かう。ああ、来たか。という感じで、いつものおばさま(?)たちに
『チケット!』という言葉で迎えられた。

いつものようにチケットを渡すと、今度は書き換えるところが無いために、新しいチケットを切ってよこした。
『ザーフトラ!(明日)』

やっぱり...。

『時間は?』
『朝の10時に船着き場へ行け。』
『出航時間?』
『受付だ。』

この国へ着た翌日、苦労して取ったカザフスタンの、トランジットビザの期限がどんどん迫ってくる。それどころか、旅行の帰国日程との兼ね合いも考えないといけない。カザフスタンの辺境(?)へ入国して、帰国のためにウズベキスタンのタシケントまで、たとえば飛行機を乗り継いだりが可能か。

最悪のことを考えながら、この日はバクーの街の中にある旅行会社を何軒かチェックして回った。
タシケントや、カザフスタンの経済都市アルマティ(遷都され首都はアスタナへ遷ったが、国際航空便の多くや、各国の大使館等は未だにアルマティに置かれている場合が多い)への便はあるが、いずれも週1〜2便。ウズベキスタンの地方都市へ飛ぶようなルートはないので、ウズベキスタンの世界遺産サマルカンドやブハラ、ヒヴァへ行くのは、タシケントから更に往復するしかない。

明日、船が出なかったら、飛行機でタシケントへ戻る。そう決めるしかなかった。

旅にはどうしてもたどり着けないこともある。
カンボジアのアンコールワットも1994年にチャレンジしてから(この時はプノンペン−シェムリアップ〈アンコールワット〉の飛行機が取れなかった。また、陸路移動はかなり危険な状態だった。)、97年のフンセン派クーデターでベトナムからの入国ストップされたのを挟み、実際にたどり着くことが出来るまで4年以上かかった。

まあ、今回がダメでもいつか行くことが出来るかも知れない。それこそ【神のみぞ知る】だ。

結局この日の夜も、前日の送別会(?)をして貰った立ち飲みスタンドへ向かった。
少しばつの悪い思いで入り、今日船が出なくなって、明日になった事を話すと、
『大丈夫!よくあることだ。』と慰めにもならない言葉で、ねぎらってくれた。

【バクーの市街地。骨董品やギャラリーが並ぶ歩行者天国の通り。】

全11ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

muna_zo
muna_zo
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事