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<国歌>斉唱時は「起立、国として指導」…塩谷文科相が強調 全世界当然のことであり、『正論』 国歌斉唱時起立できない先生は、すぐに辞職させて下さい ! 国歌清祥で規律したくない方は遠慮失せず海外に移住なさってください。 北朝鮮で国歌を唄う時声を出さなければ銃殺されるそうです。私はそこまでしてはいけないと思うのです。 入学・卒業式の国歌斉唱時に起立せず、神奈川県内の教職員らが氏名など個人情報の消去などを求めて横浜地裁に提訴したことに関連し、塩谷立文部科学相は18日の閣議後会見で「国歌斉唱時に起立するのは国際的にも常識。それが理解されていないのなら、国として何らかの指導をする必要がある」と述べた。新学習指導要領では、起立についての規定はなく、波紋を呼びそうだ。 また、塩谷文科相は「(教職員が起立するかしないか)バラバラな対応があるのならば把握しなければならない」として、全国的な調査の必要性を訴えた。指導は、教職員と児童生徒の両方を対象とすべきだとした上で、「『起立して(歌うよう指導する)』と書かなければならないのかなとも思う。どこにも書かれていない」と述べ、指導要領改定も示唆した 国歌、国旗に敬意を表するのは当たり前です 国歌も唄わない国旗にも敬意を示さぬ人はどこか、頭が変ですMRA,MRIでの検査を受けてください。 ブログ村ランキング参加中ですご協力願います [https://history.blogmura.com/his_shiseki/ にほんブログ村 史跡・神社仏閣] |

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起立は当然です。
寒くなったので風邪にはご注意下さい。
良い連休を。
傑作○です。
2008/11/22(土) 午前 11:15
コメントありがとうございます、なぜそういった思考パターンに入り込むのか
理解できません。
2008/11/22(土) 午後 3:31 [ Muna ]
当然です。
傑作
TB
2008/11/24(月) 午前 10:35
何故「当然」でしょう?
国家神道は「神道」とは何の関係もなく、寧ろ、「神道」の本質とは正反対の所謂「カルト宗教」ですよ。
そのカルト宗教の儀式を、どうして国民に強制しようとするのでしょう?アナタ方が個人的に、国家神道の儀式をするのは勝手ですが、「自分達の宗教」を国民に押し付けてはいけません。余りに、常識に欠けた行いでしょ?
2008/12/6(土) 午後 7:04 [ - ]
学校教育
こんな話を聞きました。
小学校の給食で金を払って居るのだから「頂きます」と言わない
「頂きます」とは言葉である。
本来、人類には最初、言葉は無かったと考えるのが妥当と思われる。
但し、何らかの形で意思伝達の方法があったと想われます。
何故なら動物は我々人類のように言語を使わなくとも集団化している。
言い換えれば人類も言語を使わなくとも集団化していたと考えるのが妥当の根拠です。
其の集団化のメカニズムは専門家にまかせます。
つまり言語、言葉は其の集団化の中で発展してきたものです。
想定するに言語、言葉は集団の中で意思伝達の中心と為ったと想われる。
人類には最低でもこの様な基本行動の基が考えられます。
この項目を如何に正確に早く伝達するのが言葉、言語です
それでは{金を払って居るのだから「頂きます」と言わない}を分析します。
金とは貨幣です。
続く一
2008/12/7(日) 午前 9:19 [ 諫言 ]
続く一
貨幣は一般的に労働の対価と云われている。
労働とは身を動かして働くことである。
労働
労働=身を動かしてはたらく
労=つとめる、つかれる、ねぎらう、いたわる
働=はたらく、つとめる
{働きを労(ねぎら)う}ことを云う。
共同生活のなかで金には労いの言葉が含まれていると想われます。
つまり、労働を受けた者は(御苦労さま)労働を供給した者は(有り難う御座います)が意思伝達に使われたと想います。
ですので、仮にレストランなどに行っても、お金を払う際には「苦労さま御馳走さま」の意味合いの言葉を懸けるが適当なのではないだろうか。
次に、其のかけられた者は「有り難う御座います」の意味合いの言葉を懸けるが適当なのではないだろうか。
続く二
2008/12/7(日) 午前 9:20 [ 諫言 ]
続く二
それでは本題の「頂きます」はどうであろうか。
人類の共同生活のなかで食事は生命を繋ぐ大事な行為である。
食事とは共同生活の中の労働、亦は自然の恵みを体内に取り込む頂点を云う言葉です。号令です。
これ等は共同生活を円滑にする決まりとして定着したものと思います。
故に「頂きます」と言わないことは皆と仲良く過ごしたいと言う事を放棄することにも繋がります。
皆な仲良く過ごしたいと思う心は全ての人に有ると思われます。
給食費を払わない親
金を払って居るのだから「頂きます」と言わない親は無知から生まれた行為である。
しかし、給食費を払わない親は約束ごとを守らない親で悪である。
絶対に赦しては為らない。
経済状況で払えないのは別問題である。
続く三
2008/12/7(日) 午前 9:21 [ 諫言 ]
続く三
国歌「君が代」問題
国家とは一定の領域と人民による排他的統治権を有する政治団体または政治的共同体をいうとされている。
語源的に領域は
領域
領=くび、えり、おさめる、うける
域=ちいき、くいき、かぎる、くぎる
領域=領有している区域。国際法上は一国の主権に属する区域、領土、領水、領空の三部から成るとされている。
(此の土地は自分の所有である)
(此の家は私の家である)
此の領有を主張するのはどうも人間の生活圏の確保の面から本能のようだ。
此れは世界の人々が同じく持って居ると想われる。
其の上に共同体(国)が作られている。
どうも此の纏まろうとするのも人類の本能のように思える。
「人は一人では生きてゆけない」と言う言葉で代表されているように思える。
言い換えれば国とは人間の本能が作り出したものともいえる。
続く四
2008/12/7(日) 午前 9:22 [ 諫言 ]
続く四
国歌、国旗
国歌、国旗はその国の象徴になっている。
日本の国歌「君が代」、国旗「日の丸」は平成十一年に法律で決まった。
但し、「君が代」「日の丸」の存在使用は明治時代以降には使用されていた。
「君が代」のルーツ的な面では平安時代まで遡るようである。また「日章旗」については聖徳太子までルーツは遡る。
現在、国連加盟国での国家、国旗は全て存在すると想われる。
日本の国歌、国旗の反対論者
反対論者の中心は国家主義を対象にしているように想われる。
しかし、国家主義は個人の領域の延長が国家であることの前提を無視している。
次に反対論者は「君が代」にクレームを付ける。
次に反対論者は「日の丸」にクレームを付ける。
全くの言い掛かりである。
天皇制は別問題である。
問題は、軍国主義と一党独裁の暴力を憎むべきだ。
自国はもちろん他国の人達の自由を暴力で支配する思想、行動を憎むべきである。
又、そのような国がいまだ有るならそれを憎むべきなのである。
此れが一番危険なのである。
続く五
2008/12/7(日) 午前 9:23 [ 諫言 ]
続く五
仮にも日本は軍国主義でもなく一党独裁でもない。
本来、国の基本の姿は皆と仲良く一生を為し遂げることにある。
大日本帝国が「君が代」「日の丸」を使ったとしても「君が代」「日の丸」には罪はない。
それは「君が代」「日の丸」を使って自国はもちろん他国の人達の自由を暴力で支配する思想、行動をとった軍国主義と一党独裁の暴力に罪がある。
人間の本能の中には征服の欲も有ると想われる。
この征服の欲を如何にして暴力に結び付けないかが鍵でありピントのずれた考えは共同生活の支障をもたらすのみである。
何故なら「君が代」「日の丸」は軍国主義が本来平和の象徴を悪用したのである。
仮に料理に使う包丁は美味い料理を作る際の必要な道具である。
其れを殺人の為に悪用したのが軍国主義です。一党独裁なのである。
その「君が代」「日の丸」は象徴に相応しくないとするならば代案を出して皆と教義して民主主義にて決めればよいことである。
続く六
2008/12/7(日) 午前 9:23 [ 諫言 ]
続く六
小刀で料理しても食えないこともないがうまい料理は作れない。
衛生的にも問題が出る可能性がある。
「反対だ」と唱えるのは言論の自由である。
但し、単に反対だから「国歌」を歌わない、「国旗」掲揚には起立しないと云うことは民主主義でもなければなんでもない。
仮に此れは法律に決まっているから(する、しない)と言った問題ではない皆で決めて従う姿勢だ。
暴力だ。
日本人の民主主義を否定し、自由を奪い、皆と喜び合うことを遮り、他人の協調性を欠き、子孫の信じるものを強制する。
軍国主義となんら代わりが無い。
憎むべきは人の生命を脅かし、自由を奪い、皆と喜び合うことを遮り、他人の財産を奪い、子孫の夢を断ち切る考えや行動を憎まなければならない。
仮に共同生活を否定する先生と皆で仲良くしようとすることを教えない先生が居たならば。
亦、そのような親が居たならば。
2008/12/7(日) 午前 9:25 [ 諫言 ]
諫言様
ありがとうございます。
すばらしいお言葉身にしみます、なんとか いい日本に戻って欲しいです。
自分の非力さがうらめしいです。
2008/12/13(土) 午前 4:24 [ Muna ]