|
≪「憂国忌の斎行」(三島烈士・森田烈士 ≫(没後38年) 『戦後・・最も日本を愛した二人』の鎮魂祭 11月25日は 宮司が、尊敬してやまない『三島由紀夫烈士』が自決され、宮司が泣きに泣いた日です。 宮司が、最も影響を受けた『吉田松陰先生』が武蔵野で刑死され、門下生が泣きに泣いた日です。 ○憂国忌斎行 日 時 平成20年11月25日(火)午前11時〜12時 ○憂国忌斎行 場 所 世界遺産 南朝皇居 吉水神社 本殿 (奈良県吉野郡吉野町吉野山579) ○参列・参拝者の資格 三島由紀夫烈士を敬慕する方々。 ○式次第 一、三島由紀夫・森田必勝烈士に対し黙祷(1分) 一、修 祓 一、宮司一拝 一、献 饌 (祭員が神饌を献じます) 一、宮司祝詞奏上 一、参加者全員で大祓詞 一、三島由紀夫「檄文朗読」 一、宮司玉串奉典拝礼 一、参列者玉串奉典拝礼 一、撤 饌 (祭員が神饌を撤します) 一、宮司一拝 石笛にて天空に神送り〜 ≪辞世≫ 益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜 散るをいふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と咲く小夜嵐 1970年、三島由紀夫が、自ら主催する「楯の会」のメンバー4人と共に東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を人質にとって本館前に自衛官1000人を集合させ、自衛隊の決起を訴える演説を10分間行った。その後総監室で楯の会会員の森田必勝とともに割腹自殺した。 神社の史跡」 [[img(https://history.blogmura.com/img/history234_60.gif)]] [https://history.blogmura.com/ にほんブログ村 歴史ブログへ(文字をクリック)] ↑応援して頂けると嬉しゅーゴザイマス↑ |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用






私が小学生の頃に市谷に住んでいて、自衛隊の上をヘリが飛び回っていた記憶があります。
傑作○です。
2008/11/24(月) 午前 0:35
コメントありがとうございます。 このときの事は今でも覚えています。
下宿で、テレビにかじりついておりました。 学生運動が盛んだった頃だった
と思います。
ノンポリだった私は、学生運動には興味がなかった私ですが、三島氏の楯の会には
関心を持っておりました。
私にとってとてつもない衝撃でした。
宮司さんのところから転載させていただきました。
2008/11/24(月) 午前 1:39 [ Muna ]
やっぱり三島由紀夫ですよね。
傑作
2008/11/24(月) 午前 10:34
三島氏の楯の会の方々は活動されています。
ただ、文学者としての「三島研究会」は意味無しです。
2008/11/25(火) 午前 2:28
今の日本の現状を思うと三島由紀夫が憂いていたとおりになりました。
先見の明に感服です。
2008/11/25(火) 午前 9:20 [ 敬天愛人 ]
will
今朝女房に買いに行ってもらいました。
今から読みたいと思います。
傑作・ランクポチ!
2008/11/26(水) 午後 11:08
また伺います。
2008/11/27(木) 午前 2:56
おはようございます。
履歴から入らせて頂きました。
昭和45年11月25日、日本中を震撼させた事件でしたね。号外が東京中に蒔かれ、翌朝の新聞は写真を載せていました。駐屯地指令の毅然とした態度とは逆に隊員のおろおろした態度は対照的でした。
翌年昭和46年11月25日は九段で「憂国忌」だったと思います。永い時の中で何が変わったのでしょうか。「三島」は「自分の死は百年後にならなければ理解されないだろう」と言ったと何かで見た記憶があります。今「隣国」の「脅威」を前に、彼らの霊になんと報告すればいいのでしょうか。100年の時間はないのです。すぐ目の前に危機は迫っているのですから。「盾の会」の再起が望まれます。
2009/2/1(日) 午前 8:10 [ mana ]