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パリ〜ミラノの旅から帰ってはや1ヶ月が経とうとしている。
本の取材に駆け回ったり、
卓球の練習にいそしんだり、
懐かしい仲間と会ったりして
あっという間の1ヶ月だったけど、
今夜なぜかふと、パリのことを思い出し、
友人の幼馴染で、ミッキーさんという30代の男性が経営するThai x pressのことが頭をよぎった。
そこで、何気にググったら
HPにミッキーさんの顔が…。
一緒に写っているのは、彼のお母さんだろう。
ミッキーさんもきりっとしたハンサムボーイだったけど、
お母さんも素敵な感じ。
テイクアウトしてミッキーさんのアパルトマンで食べたタイ料理のおいしかったこと!
また、明日はミラノへ移動するという6月29日の夕方、
友人と彼女の甥っ子さんとわが夫と私の4人で繰り出したシャンゼリゼ通りの
路地裏にある ル・ルレ・ドゥ・ラントレコート。
(これは、その直前に甥っ子さんが撮ったもの) なんでも、パリ一おいしいステーキハウスということで案内してもらったのだが、
7時頃お店に行ってみると、やはり長蛇の列だった。
メニューはステーキセットのみ。
なので、係の女性は焼き加減と飲み物をどうするかだけを訊いてくる仕組みだ。
しかも、ステーキは最初に1枚、
たいらげた頃あいを見計らってもう1枚運ばれてくる。
緑色のソースが独特で、付け合わせのポテトもサクッとおいしい。
人気店なのにリーズナブルな料金で、
ステーキがサーブされる前にサラダもたっぷり食べられて、
22ユーロだったか。
夫と友人の甥っ子さんはさらにデザートも頼んだので、
私と友人は目を丸くしてしまった。
ミラノに移動した翌々日。
友人が連れていってくれたリストランテ バグッタは、
ドゥオーモの近くにあり、
何十年も続く老舗レストランとあって、店内はちょっとした風格も。
お目当てのカツレツがメニューに見当たらず、
豚肉のミラノ風とパスタをシェアして食べたら、
なかなかのお味だった。
何よりも、友人が語ってくれたお父さんとの秘話に
私と夫はプチ感動したわけで、それが味にも加点されてしまった。
というのは、彼女のお父さんは40年以上も前にミラノでブランド品の輸入業を起業し、
友人は20歳のときに始めてこのレストランに連れてきてもらったそうだ。
以来、ミラノに来るたびにこの店には何度となく足を運び、
お父さんが亡くなった後は、
彼女が父親の事業を継いでパリだミラノだ香港だと飛び回っている。
事業を引き継ぐとき、会社はちょっとしたトラブルを抱えて、
一時はたたむことも考えたけど、
どうにか妹さんと力を合わせ、業績を伸ばしてきた。
亡くなるときの「ごめんな」のひと言が、
彼女を前へ前へと向かわせたというのだ。
それだけに、バグッタという老舗店には
お父さんとの思い出が詰まっているのだろう。
パリ〜ミラノから帰って、
なぜか食の思い出とともに、
そんな会話のやり取りまで甦ってくる今宵である。
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海外編〜2015パリ〜ミラノ
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帰国してすぐに、毎年恒例の本の取材が始まり、
9日と10日はどちらも4軒ずつ回るというハードワーク。
今年の本は、地元周辺の情報本のため、
グルメだけでなく、銀行、保育園、ペットホテル、美容院などなど多岐にわたり
ページ数も取材件数も相当数になる。
なので、本格稼働する前に備忘録として
今回のパリ〜ミラノの総集編を。
(こちらは主にグルメです(笑))
まず、パリ到着の翌朝、モンマルトルで買い食いしたパン・オ・ショコラもおいしかったけど、
オルセー美術館の目の前にあるカフェで食べたクロック・ムッシューが感動的だった。
自宅でときどき作る、食パンにハムとチーズを乗せて焼くだけのあれは、
クロック・ムッシューと呼んではいけないと思った。
オルセーからオランジュリー美術館へ向かうときに渡ったセーヌ川の橋には
南京錠がたっくさん。
恋人たちの永遠の愛に鍵をかけるのだとか。
パリ2日目の夜、
友人のお友だちが選んでくれたオーガニックレストランでの食事は
どれもこれも素材の味を生かした、安心安全なメニュー。
私の目の前に座ったのが友人のお友だちで、
彼はタイと中国のハーフでフランス生まれのフランス育ち。
英語で会話するも、うまく伝えられなくて私はカチンコチンだった…。
その翌日、夫と私はクリニャンクールの蚤の市に向かった。
夫がトイレを借りたかったので、帰りにマックに立ち寄ったら、
何か買えばトイレ専用のコインを出してもらえることが判明。
注文はカウンターでも受け付けるけど、
店内には自動券売機も置いてあった。
出国前、英会話のクラスメートの方が
「パリはサクランボがおいしいわよ」
と教えてくれたけど、ポンピドーセンター近くの果物屋さんでも
サクランボが山積みしてあった。
ポンピドーを見終わったら寄ろうと思ったのに忘れてしまい、
ミラノのスーパーで見つけたので買ったらほんとに肉厚で甘くておいしかった。
1キロ1ユーロしない値段にもビックリ!
(サクランボの写真は撮り忘れた) ミラノに移動して、
『最後の晩餐』を見終えたあと立ち寄ったカフェで食べた
本場イタリアのティラミス。
夫はエスプレッソコーヒーとともに。
私はアメリカンコーヒーで。
ミラノで泊めてもらったマンションの寝室窓には
丸い穴が…。
マンションの地下にはゴミの集積場所があり、
日本といっしょで分別にはかなりうるさいらしい。
以前、長女とイタリアに行ったときに食べそこなったカツレツは
今回どうにかありつけられた。
日本で言うと、ポークピカタ?
とにかくうまし。
友人が案内してくれたお店はパスタも絶品だった。
ちなみに、この日のミラノは42℃を記録。
体感的には30℃を超えたなくらいの感じだったけど。
湿度はそれほどなし。
今回のミラノでは、
友人宅で食事することが多く、
イタリアに居ながらピッツァを食べる機会がなかった。
くやしい〜と思っていたら、
最後に空港で立ち寄ったカフェにピッツァが…。
その店で焼いているかどうかは別として、
パン生地が厚くて、チーズも日本より濃厚でおいしかった。
最後に、
ミラノ万博で1時間並んで入場したイタリア館の様子をちょこっと。
日本館のような体験型のアトラクションはないものの、
さすがイタリア、見せ方はきれい。
やはり、開催国のパビリオンは入場者数が一番多い。
アメリカ館は全然気合が入っていなかったなぁ↓
最後の最後に、
ドイツ館で撮ったタマッキー。
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ミラノ市内はいたるところにEXPOのマークが貼られ、
それなりの盛り上がりようだったけれど、
世界的に認識されているかどうかというと、
日本でもそれほど話題にはなっていない気がする。
ともあれ、私たちはミラノ入り3日目に万博を目指した。
友人宅からメトロのROVERETO駅まで歩いて10分。
事前情報では、EXPO内のレストランは以上に高く、
水でさえ4.5ユーロ(約630円)、日本食に至っては4000円は覚悟とのことだったので、
まず、駅構内のスタンドでコーラ2本とオレオを2個買った。
なぜオレオかというと、サンドイッチは高かったし、
夫が、これさえあれば飢えはしのげるだろうと言ったからだ。
EXPOまではROVERETO駅から赤ラインで1本。
30分ほどで会場に到着した。
入場口から最初のパビリオンまでもかなりの距離だ。
夫は腰を痛めているから、歩くスピードも人の2倍。
とりあえず、日本館を目指すことにして、
会場の外を巡回しているバスに乗ることにした。
最初に入ったのが、コカ・コーラ館だった。
そこではなんと、コーラをただで飲ましてくれる。
メトロ内で飲み干したコーラが、細い缶でよかった〜
夫はさらにFANTAのマシーンで、
自分で作るミックスジュースをブレンド。
(彼が押したボタンはピーチとパイナップルだったか。
おいしかったけど飲みきれず、ショップで容器を買っていた)
次はドイツ館へ。
ミラノ博のテーマは「地球に食料を、生命にエネルギーを」。
ここ、ドイツ館はけっこう遊びを取り入れながら
見せる工夫をしていたと思う。
その後も歩いて歩いて、やっと日本の旗を見つけたときはホッ。
何しろこの日も40℃近い暑さだったのだ。
以下の、アーティスト猪子さんが率いるチームラボの作品は圧巻。
これより先は、和食紹介コーナー。
上のテーブルはだまし絵のようになっていて、
奥に行くほど足を高くしてある。
このコーナーを過ぎると、
かなり広いスペースに6人掛けのテーブル席が何十席も用意され、
いろんな国の人たちと向かい合って座り、
お箸で和食の写真をいただく仕掛けになっていた。
(興奮して、写真を撮り忘れた。。。)
こうして文字にするとそっけないけど、
最後のコーナーはかなりの盛り上がりで、
日本館自体、待ち時間はイタリア館に次ぐくらいの人気ぶりだった。
ちなみに、水が4.5ユーロとか和食が4000円もするとかいう前情報はガセネタで、
会場内にはひねると冷たい炭酸水と水が出てくる水道コーナーが何カ所にもあり、
夫はコーラ館で購入したボトルに何度も注いでは飲み干していた。
日本館を出るとすぐに和食レストランがあり、
天ぷら定食でも20ユーロ(約2800円)くらい。
coco壱番屋のカレーなら12ユーロ(約1680円)だった。
結局、私たちは広いEXPO会場の数カ所にあるフードコートでそれぞれ好きな物をチョイスし、
私が払った金額は、野菜サラダとリゾットとビールでしめて15ユーロ(約2100円)。
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日本に帰ってきたら、さっそく次の日から卓球の練習。
今日は、明日から始まる夏の陣の打ち合わせと英会話の授業が。
記憶が薄れないうちに旅の記録をと思っているのに、
なかなか時間がないのである。
これまでの私なら、少しいらだっていたかもしれない。
でも、今回友人とたくさん時間を共有することで、
私は確実に彼女からギフトを受け取り、
もっと悠然と生きることを教わった。
時間のあるなしは関係ない。
どんな状況も、今こうしてあることに感謝し、
文句を言うのではなく、感謝して善処する。
そのことで、どんどんいい方向に物事が進んでいくということを、
彼女は身を持って教えてくれたのだ。
パリやミラノでバイヤーの仕事をし、
香港や日本で販売を行っている彼女の方こそ、
私や夫を相手にしている時間なんてなさそうなものだけど、
彼女は朝方4時までかかってでも仕事を片付け、
どうにかして私たちと過ごす時間を捻出してくれた。
朝はゆっくり3人で食事をし、
エスプレッソコーヒーを入れてくれ、
のんびりとおしゃべり。
それから洗濯物を回し、バスで行くスマートなスーパーや、
いつも彼女が散歩に行っている小川の流れる公園や、
普段使いしている至近距離のスーパーなども案内してくれた。
ちょっと腰にトラブルを抱える夫は、
その間部屋で音楽を聴きながらうたた寝をしたり、本を読んだり。
お昼はドゥオーモの近くの老舗レストランや、
以前彼女が住んでいた地区の人気レストランに行ってイタリアンを食べた。
夫と私がミラノ万博に行っているときや、
ドゥオーモやスカラ座、スフォルツァ城を見に出かけたときだけが、
唯一彼女のフリータイムだったけれど、
そんな貴重な時間に彼女はスカイプでパリや香港や日本とやり取りし、
私たちが帰宅するとさっと台所に立ち、
冷たいものを用意してくれたり、お風呂を勧めてくれるのだった。
ちなみに、このマンションの給湯器は電気式で、
タンクもそう大きくはないため、
私たち2人がシャワーを浴びると、
次のお湯が貯まるまでは2時間以上かかり、
結局彼女は翌日の昼間、私たちが出かけたときにすばやく浴びるということにしばしばなった。
「申しわけない」
と言うと、
「来てくれただけでありがたい。奇跡だ」
と言い、
「こうしてただいっしょにいられるだけでシアワセ」
と言ってくれるのだ。
夫も私も全人格を肯定してもらえたことで、
彼女のマンションはいよいよ居心地のいい物になった。
ミラノに着いて3日目の午前中、
彼女に家具付きで部屋を提供している大家さんがやってくることになった。
水の元栓の次は、ガスの元栓がよくわからない彼女の為に、
10㎞離れた場所から奥さんと車で駆けつけた大家さん。
「ここを借りて1年以上経つんだから、いい加減覚えろ!」
とイタリア語でまくしたてるのかと思いきや、
英語で優しく説明し、笑顔を絶やさない人物だったのには驚いた。
おそらく、彼女がとても愛すべき善人だから、
自然とそういう人が集まってきてしまうのだろう。
パリで一流ブランド本店の要人と交渉するときの彼女は、
はっきり言って「大阪のあきんど」って感じなんだけど、
普段の彼女はとても腰が低くて利他的。
そのギャップがまたなんとも面白い。
私たちに提供してくれた寝室。 寝室にあるデスク。SURFACEは私の。 イタリアの住居には必ずビデも設置されている。
リビングダイニングにあるサイドボード。
壁の絵も、すべて大家さんが掛けたものらしい。
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パリ〜ミラノのすべての工程を終え、
いま帰りの便を待っている。
写真はミラノで泊めてもらった友人の家での最後の朝ごはん。
このあと友人は、サラダと目玉焼きを作ってくれたけど、
二日酔いの私はフルーツとヨーグルトとカフェオレで終了。
二日酔いには訳があって、
友人のお友だちで日本人のAさんが昨夜、
ご自宅に招待してくれたのだ。
そのAさんが大のお酒好きで、
近くの魚屋さんで調理してもらった
イカとムール貝ときびなごの唐揚げをおつまみに
シャンペンとワインでさしつさされつ。
友人と夫は下戸なので、
次の日に残るような飲み方はしないけど、
私はついつい飲みすぎてしまったというものだ。
とにかく、パリでもミラノでもいろんな出会いがあって、
刺激的だった。
日本に帰ったら、ゆっくり記事をアップしようと思う。
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