台湾一之宮 高士神社公式ブログ

日本と台湾の友情は、148年前のこの土地から始まった!

御由緒

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御由緒

当神社の御由緒は定かではありませんが、日本が台湾を治め始めた当初、明治政府は南台湾を中心に政治を注力したという経緯から、小規模ながらもかなり古くより御鎮座されていたものと思われます。
歴史上、表舞台に出てくる神社は開山神社が有名ですが、同神社は鄭成功を祀る廟宇に少し改良を加えて神社としたものです。現在は延平王郡府として、やはり廟となっております。

当神社はそれとは異なり、牡丹社事件によって西郷従道が制圧したその村落の山頂に、最初から神社として鎮座していました。
よって台湾でも比較的新しい神社は北白川宮能久親王が祀られている場合が多く見られますが、当神社の旧御祭神は天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)一座であったと伝えられます。古くから御鎮座されていたことと、地方の山間部に存在していたことから、原住民独自の信仰と習合し、信仰されてきました。やがては御祭神の御神名もあまり気にされなくなり、村の神様として篤く信仰されました。

また、現在台湾で建築が復元されている神社の多くは当時の日本企業(製糖・炭鉱・鉱山・樟脳工場など)の庭内社であることが多いのですが、当神社は私有施設の神社ではなく、村の鎮守様として当初から祀られた希少価値の高い神社となっております。

この神社にお参りした氏子は国会議員や県会議員、裁判官、教育長等、次々に立身出世をし、人生の大願を成す神として崇敬されていました。

しかし残念なことに日本が敗戦し、台湾を去るとともに神社は遺棄され、或いは破壊されて歴史から葬り去られようとしていましたが、幸いにも当神社は山間部に在り、災害により村も幾度か移転していることから、比較的良い状態で保存されてきました。しかしついには天災によって建物を倒壊しましたが、氏子村民の熱意により、屋根が掛けられ、保存活動が行なわれていました。
そして今般御社殿の再建の慶機に恵まれました。

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