むにゅ’s のぉと

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建物

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近代建築、現代建築、いろいろ見て回った建物や、その建物にある手すり子や袖壁なども記録してみました。
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恵比寿様の鏝絵

岡山県内にある恵比寿様の鏝絵。イメージ 1
蔵の妻に鎮座していらっしゃる。
明かり窓の庇の上には鬼、下には鶴。
庇の妻には松。イメージ 2イメージ 3
窓の格子の中の
扉には松竹梅。
イメージ 4撮影時にその扉は開いていたために松竹梅は一部しか
写っておらず、拡大しないとよくわからない。
外部に施された鏝絵の状態よりも屋内の方がかなり色鮮やかだった。

この鏝絵を作った左官職人の方は40年ちょっと前に他界されている。
昭和20年代から30年代にかけての作品のようだ。
蔵の状態からして昭和20年代後半から30年代前半くらいだろうか?
言うまでもなく、恵比寿様、鶴、松は縁起物。
鬼は魔除けの鬼瓦を見立てたのだろう。

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きんせ(金清)カフェ

京都の島原にある「きんせ旅館」のカフェ。
この建物の前は何度も通っていたが、ずっと旅館だと思い込んで居た為
カフェが出来ていて利用できるとは全く知らなかった。イメージ 1
数年前にやっとカフェとして利用できることを知った。

約250年前の揚屋建築だそうな。
すぐ近くには輪違屋や角屋もある。
                             イメージ 2
玄関の引き戸を開けるとタイルが敷かれた
小ホール風のスペースがあり、
そこが珈琲豆の焙煎場所となっており

イメージ 3その奥でステンドグラスと鹿の置物が
出迎えてくれている。

床のタイルは泰山タイルだろうか?
                        店内はあまり明るくない為、画像を加工して少し見やすくはしているが・・・
イメージ 4イメージ 5イメージ 6






イメージ 7鳳凰、牡丹、鶴、燕、菊、薔薇、
チューリップなどのステンドグラスが
ふんだんに使われており、離れたところにある
洗面所の床のタイルも素敵だ。
店内のあちらこちらに猫のポスターや雑貨が
置かれており、ご店主さんは猫好きのようだ。

イメージ 8イメージ 9イメージ 10左の真ん中の
画像には、昔の
屋号であろう
「金清」と書かれた温度計が
窓の横に写っている。

部屋の向こうには更に小部屋が続く・・・と言った感じの造りになっている。
このお店は何回伺っても、昔の照明のままなのでうまい具合に
写真が撮れない上に広角レンズでないと収まらない。
とにかく、鳳凰のステンドグラスの下の扉をくぐると
格天井のお部屋とそれに繋がっている隣室が一気に視界に
飛び込んでくるので、それをすべてカメラで撮って記憶に残そうとしても
アタシの撮影技術では到底無理なようだ。
画質は荒れてしまったが、かなり輝度を上げて見やすいように加工し
無理に画像のサイズも小さくしてアップしている。
お天気の日でも、室内に陽光が降り注ぐことはないので結構暗いが
落ち着くことこの上なしだ。
珈琲代だけで、これだけの室内を好きなだけ拝見させていただいけるのは誠に有難いことだと思う。
正直、あまり人様には教えたくないお店の1つだ。
旅館営業もされていらっしゃるので、宿泊も可能だそうな。
カフェは1階部分での営業だ。
何回伺っても、まともな写真を撮れたことが一度もないお店なので
もう写真は撮らずにこの目に焼き付けて雰囲気を愉しむだけにしようと
心に誓っている。



カフェきんせ
  ↓

http://www.kinse-kyoto.com/


                                                  

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安治川河底隋道

昭和19年(1944年)に鉄筋コンクリートで造られた淀川の河底の隋道。
日本最古の河底トンネルだそうな。
イメージ 1昔は源兵衛渡しというものがあったそうだが、
交通量の増加によりこの隧道が造られ、
その渡し船は消えた。
(まだ、大阪にはいくつかの渡し船は残っている。)
この隧道ができた当時は人が歩いて通る通路と
車両用の通路の2つがあったが、現在では
人と自転車が通れる通路のみとなっている。

イメージ 2イメージ 3写真の2つの扉は
建築当初のエレベーター。
現在は使われておらず、
新しいエレベーターが
この横に設置されており
人と自転車は利用できる。
更にその横には階段があり

エレベーターが稼動していない時間帯は階段も使えるが
狭いので自転車をかかえて階段を登り降りするのは難しいだろう。
エレベーターには両河岸に係員さんがいらっしゃる。
何回か利用させていただいているが、お正月などはきちんと新年の挨拶も
してくださるので気持ちよく利用できる。
淀川の河の下のトンネルなので、漏水もあるようだ。
また、比較的長いトンネルなので夜間の女性の1人歩きは怖いのだが、
夕方になるとこのトンネル通路内にも警備員さんが数名立ってくださるので安心だ。
淀川に橋を架けると船などの通行の邪魔になるので、
深さ40尺の場所に約80.6mの地下道を作ったそうで、
昭和10年(1935年)に起工し約9年かけて昭和19年(1944年)に完成。
イメージ 4イメージ 5イメージ 6






建築当初のエレベーター利用規則の看板がまだ残っている。

プレートには「道隋川冶安」と書いてある。
イメージ 7イメージ 8反対河岸の
かつての
エレベーターの
扉は一部新しく
なっていた。



ネット上で検索するといろいろ画像や能書きが出てくると思うが、
「建設コンサルタンツ協会」のPDFファイルがヒットするだろう。
実はそのPDFファイルには実際にこのトンネルに自動車が通行している写真が
載っている。かなり貴重な資料だ。
説明もプロの方々のものなので、下手な素人のネットの書き込みよりも正確だ。
アタシは必ず、URLなどを貼らせていただくときにはそちらのサイトに伺うなり
電話などで了承をとってからURLを貼らせていただいているのだが、
今回はそれをやっていないのでURLは貼らないでおく。
だが、興味のある方はウィキペディアでの検索よりもそちらのPDFファイルを
読まれた方が良いと思っている。
イメージ 9イメージ 10イメージ 11







漏水も激しくかなり老朽化しているので
補修工事も必ずや行われるであろうと望んでいる。
ちなみに利用客は結構多いのではないだろうか?

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大阪倶楽部 その2

美しい手すりのある階段を使って4階の広い部屋から下階へと移動。
イメージ 1イメージ 2イメージ 3








イメージ 6イメージ 7階段の途中にはステンドガラスがあり、陽に当たって模様が目を楽しませてくれる。
2階の扉上部にはシルクで出来た絵があった。




イメージ 4イメージ 5こちらも接収されてからの
返却後に新たに作りなおした
ものだそうな。
この階には談話室と食堂。

食堂にはマントルピースもある。


イメージ 9イメージ 10電話室もフロアの隅にあり、
床の寄木も素敵だ。
1階は喫茶室、囲碁・将棋室、
撞球室と仕切られている。
ちょうど見学させていただいた時、ラフな服装の紳士が撞球をお一人で
愉しまれていらっしゃったのだが、さすがにカメラを向けるのは失礼なので
チラッと拝見だけさせていただいた。
イメージ 8
イメージ 11
もちろん、社交場なので
分煙もきちんとされていた。
間仕切りで仕切っているだけ
なのだが、ガラス張りの
喫煙ルームでないというのが
なんとなく紳士の嗜みのようなイメージで好感がもてた。
建物内には理容室もある。
アタシには無縁の社交倶楽部の内部見学。
とても楽しかったし、説明も大変丁寧だったので再訪したいと思っている。


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大阪倶楽部 その1

大正13年(1924年)築。
安井武雄氏設計・大林組施工の美しい建物だ。
イメージ 1
RC4階建、地下1階、屋根は洋瓦葺き。
大正3年(1914年)に最初の倶楽部の
建物が竣工した時に決まった「大阪」のOと
「倶楽部」のCを組み合わせた徽章が
玄関入り口の上に掲げられている。
(写真左下)
この建物は二代目の建物になる。
 
イメージ 2
明治期に東京では欧米にならって社交倶楽部が
次々と設立され、大阪でも大正元年(1912年)に
この大阪倶楽部が作られたそうだ。
レディファーストの欧米においても
社交倶楽部という場所は紳士だけの場所であり
女性がすべてのスペースを利用したり
立ち入ることはできない。
そして、ここも同様だ。
イメージ 3イメージ 4イメージ 5外壁は
瀬戸焼の
伊奈製陶製だそうな。
 
 
玄関入るとすぐに市松模様の
大理石床と泉盤の天邪鬼が
出迎えてくれる。イメージ 6
          
今でも、天邪鬼の口から水が少しだが出ている。
目玉の部分は翡翠。
 
建築当初からかなり豪華な調度品が揃っていたのだが、
敗戦後のGHQの接収が昭和26年(1951年)まで続き
返還された時には、家具、調度品、照明は無くなっているかボロボロにされてしまっているかの状態で、
天邪鬼の目玉の翡翠も消えてしまっていたそうだ。
 
倶楽部会員さんたちの寄付で昭和28年(1953年)にはかつての会館と同じような
美しさを取り戻すことができたとのことだ。
こちらの倶楽部の会員さんを伺うとすごい方々ばかりだ。
やはり、紳士はこういう時につべこべ言わずに出すものは出すのだろう。
倶楽部会員同士この会館の中でいろいろな趣味のサークル活動のようなものに
参加したり、または会話を愉しみながら情報交換も行ったのだろう。
そして、それは今現在でも続いているのだ。
ここだけでなく、日本各地にまだこういう場所があるということを忘れてはいけない。
 
イメージ 7イメージ 8
だいぶ大雑把に言うと、
梁の補強部分が「ハンチ」。
 
そしてこの建物には
美しいデザインのハンチが
使われている部屋が多い。
イメージ 9
 
  
イメージ 10
 
 
 
ハンチだけでなく、
梁にも装飾模様が
施してあるのは
言うまでもなく、
尚且、美しい。
 
 
極力、写真を小さくして少ない枚数にしたはずなのだが、
またしても写真が増えてしまったので残りは次回に・・・
 
 
 
 

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