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後の煙草王(小三郎)が、叔父である初代・吉兵衛の養子に入ったのは小三郎が九歳の時でした。 初代・吉兵衛は、天保三年壬辰(1832年)五月五日加賀國鶴来町に生れました。 彼は彌兵衛、治兵衛の二人の兄を持つ末息子で、父・彌右衛門とともに鶴来におりましたが、父親亡き後に長兄・彌兵衛とともに京都に出て煙草商を営むこととなります。商才に長け兄・彌兵衛を助ける一方で、幼い小三郎の能力を高く買っていたようです。 初代吉兵衛と妻・コウ(孝子)との間には5人の娘があり(一人は早世)、小三郎は長女・宇野子と結婚して二代目・吉兵衛を名乗ります。そして彼を中心とした姉妹の婿に実兄・彌三郎を加えた人々が『村井兄弟』として活躍しました。 初代・吉兵衛は後に吉右衛門と名乗り、明治二十五年壬辰(1892年)二月八日京都にて歿。 行年61歳(数え年齢)。法名・釋行満。 下の写真は五人姉妹の長女・宇野子です。 3歳の頃から小三郎と生活を共にし、煙草王の夫人として村井煙草を支えた功労者でもあります。 |

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内緒さま、ありがとうございます。
明治・大正時代の写真がかなり残されております。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
2008/12/21(日) 午後 11:07
貴重な写真が残っているのですね。
いつも楽しみに読んでおります。
2008/12/22(月) 午後 6:00 [ montefioralle ]
montefioralleさま、こちらこそいつもありがとうございます♪
吉右衛門さんと宇野子さん、ちょっと似ていますよね!?
2008/12/23(火) 午前 7:57
先祖を少し知ったような気がします。
父は、村井の「美津子」と言う娘のように幸せになれるよう
私に名前を付けました。村井銀行は三和銀行になったと父は言ってました。
2008/12/27(土) 午前 10:51 [ 道草 ]
みつこさん、初めまして。ご来訪ありがとうございます。
初代・吉兵衛さんの兄・治兵衛さんにもいずれ登場してもらおうかなと思っております。
村井銀行は昭和の金融恐慌でなくなってしまいましたが、日本橋にあった銀行本店の建物は比較的最近まで残っていました。東海銀行と三和銀行が合併したUFJ銀行を経て、現在は三菱東京UFJ銀行日本橋中央支店がその場所に建っておりますが、近代的な建物の一部には旧・村井銀行の建物がオブジェのように使われております。
2008/12/27(土) 午後 5:51
内緒様>さっそくのご訪問有り難う存じます。
今は昔・・少々情けない話ではありますが、先祖の残してくれたこれらの建物を今も観ることができることに感謝しています。
ただ、残念ながら..京都の煙草工場は今年の夏、遂に解体されてしまいました。
これからまた記事を更新したいと思いますので、またのご来訪をお待ちしております。
2009/11/2(月) 午前 9:24
私の曽祖父がかつて村井兄弟商会で支配人をしておりました。米国資本を導入して合弁企業の設立に尽力したと聞いております。
2010/8/24(火) 午後 1:56 [ kmatsu ]
kmatsuさま、コメントありがとうございます。
もしかすると、◯原様のご子孫でいらっしゃいますか?
曾祖父らが大変お世話になったようですね。
差し支えなければ、muraibros@yahoo.co.jpまでご連絡をいただけると嬉しいです♪
2010/8/31(火) 午前 7:13
ご返信をありがとうございます。
先ほどメールも送信させていただきました。
私も曽祖父の足跡を調べており、このブログに書かれているエピソードも興味深く拝読しております。
今後ともよろしくお願いいたします。
2010/8/31(火) 午前 11:52 [ candomatsu ]
candomatsuさま、ありがとうございます。
こちらへもまたお越しくださいね♪
2010/9/1(水) 午前 2:21