村井煙草から村井銀行へ

今は無き村井兄弟商会の紹介です。

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京都を中心に展開するケーキとパスタのセカンドハウス七条西洞院店が4月3日を以て閉店するという話を聞いたため、最終日の同店を急遽訪れてみました。

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七条通りに面したこの店は、旧・村井銀行京都七条支店の建物(設計・吉武長一、竣工・大正3年)をレストランとして使用しており、現在でも大正時代の洋館の外観をそのまま残しています。

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(現在の姿:2011.4.3撮影)



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(大正時代の村井銀行アルバムより)


エントランス部分には小さな屋根が取り付けられていますが、当時と変わらぬ雰囲気ですね。

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最終日もメニューが掲示されていました。



内装はかなり改造されていますが、頑丈な壁の『金庫室』(左手奥)は今も残っています。

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最終日、せっかくなので同店オリジナルメニューの『新セカンドトマトカルボナーラ』を注文しました。

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トマトソースと温泉卵の調和が、何ともよかったです♪



そしてデザートのアーモンド・ケーキに、紅茶はアールグレイで..(^^)

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料理も美味しかったですが、スタッフの方々も親切でとても良かったです。
ありがとうございました。


竣工からもうすぐ100年を迎えるこの建物が、いつまでも元気でいて欲しいものです..。



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アーモンドといえば...ちょうど今、アーモンドの花が咲き始めましたね(^^)
明治37年7月1日、たばこ専売法が施行されて、日本における煙草の製造はすべて『官』によるものとなりました。以後、煙草の専売制は昭和60年の日本たばこ産業株式会社(JT)発足まで、80年以上にわたって続くこととなります。

当然のこととして、それまで煙草の製造・販売事業を国内外で展開してきた村井兄弟商会も、これを機に煙草事業から撤退することとなりました。

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この写真は、同年10月7日に芝紅葉館で撮影されたもので、日米トラストによりアメリカ・タバコ会社より経営に参画していたパリッシュ(第1副社長)・ゴッドセー(財務総長)両氏の送別会が催された時のものです。
村井吉兵衛(社長)、村井眞雄(第2副社長)、松原重榮(文書総長)、村井貞之助らの顔がみえます。


煙草事業からの撤退により、村井兄弟商会の諸工場や東洋印刷の設備はすべて国に買収され、莫大な補償金を得た吉兵衛は、義弟・貞之助らとともに同年12月1日に村井銀行を設立することとなります。

総持寺宝物殿

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

私事ですが今年も法事を兼ね、曹洞宗大本山・総持寺(横浜市)にある村井家一族の墓にお参りしてきました。


吉右衛門(初代・吉兵衛)と妻・孝子(コウ)の墓


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宝物殿では『総持寺・名宝展』が開かれています。

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入り口では村井家から総持寺に寄進された金剛力士(仁王)像が出迎えてくれました。

鎌倉時代の作と伝えられる木像です。
村井煙草の発展に力を合わせた村井吉兵衛をはじめとする兄弟たちでしたが、その陰には彼らを支えた強力な女性陣がいたことを忘れることはできません。

吉兵衛の養父・吉右衛門とその妻・孝子との間に生まれた四人の娘たちが、夫である村井兄弟をしっかりサポートしていたのです。

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(向かって左から)
三女・梅子(むめこ)、孝子(コウ)、次女・光子(ミツ)、長女・宇野子、四女・君子(キミ)


実姉でもある養母・孝子を非常に大切にした吉兵衛でしたが、四姉妹(実際には五姉妹だったのが一人は早世したので成人したのは四人)の絆、そして吉兵衛の眼鏡に適った義弟達の連帯感が村井兄弟商会の発展の大きな力になったものと思われます。

梅子は寺坂家から眞雄を、光子は坂田家から貞之助を、宇野子は吉兵衛を、そして君子は真木家から五郎をそれぞれ養子として迎えました。彼らについてはまた稿を改めて書きたいと思います。

吉兵衛夫妻の墓

松も取れた三連休のとある一日、村井吉兵衛夫妻の眠る総持寺(横浜市鶴見区)に参って来ました。

吉兵衛夫妻はともにお正月に亡くなったため、命日の墓参りはしづらいものがあります。

本成院釋正徳:大正15年1月2日歿、享年63。俗名・村井吉兵衛

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成就院釋尼妙満 :大正5年1月1日歿、享年47。俗名・村井宇野子

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総持寺は曹洞宗の大本山なのですが、村井家は出身地・鶴来(石川県)の多くの家がそうであるように浄土真宗。
なぜ違う宗派の寺、それも浄土真宗とかけ離れた禅宗の大本山に葬られることになったのか・・詳細は不明ですが、明治の終わりに総持寺が能登から鶴見に移転する際に、吉兵衛ら村井家が多額の寄付をしたことは間違いないようです。総持寺の宝物殿には、村井家から寄贈された品々が多数納められています。

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