徒然草子

ずいぶん更新していない…更新の仕方忘れた(笑)

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京都御所

京都御所

京都御所(きょうとごしょ)は、京都府京都市上京区にある御所。
もともと平安京での皇居は大内裏であったが、戦乱などによって荒廃したために
里内裏であったここに移った。

江戸行幸の延長で天皇が東京へ移った後も、第二次世界大戦前まで即位は京都御所で行われると
皇室典範に定められており、大正天皇と昭和天皇は京都御所で即位の儀式を行った
(天皇の即位は京都御所で行うという皇室典範の条項は第二次大戦後削除された。
その結果、明仁(今上天皇)の即位は東京で行われた)。
また、天皇の在所を示す高御座は、京都御所にあり、それゆえ現在も京都御所こそ皇居であり、
東京の皇居は、行幸先の「東京行宮」とする説もある。
明治天皇が東京に移った際は、遷都ではなく奠都(てんと)の語を用いたとして、
京都から東京への首都移転の正統性に異を唱える主張もある

隣接して京都大宮御所仙洞御所があり、また北隣の今出川通を挟んで同志社大学と同志社女子大学
(両校とも今出川キャンパス)が位置する。
現在は京都御所、京都大宮御所と仙洞御所を宮内庁が管理し、
その周囲の国民公園である京都御苑を環境省が管理している。

普段は申し込みすることで参観できるほか、春と秋には一般公開される。

 概要
京都御所は、1869年(明治2年)にその機能が東京に移るまで、歴代天皇の居所・執務所であった。
現在(21世紀)の京都御所は国有財産で、宮内庁が管轄する「皇室用財産」に分類されている。

平安京建都当初の内裏は現在の京都御所よりかなり西方にあり、
JR西日本二条駅の辺りに朱雀門があったという。
現存の京都御所はもとは里内裏の一つで、
土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と言い、
元弘元年(1331年)、北朝の光厳天皇が最初に使用したものである。
(里内裏とは、正式の内裏が火災等で使用できない際の臨時の内裏のこと。)
ここにあった内裏は江戸時代だけで8回再建されており(うち6回は火災焼失による再建)、
現存する建物は江戸末期の安政2年(1855年)、平安様式にならって再建されたものである。
主な建物としては、紫宸殿(ししんでん)、清涼殿、小御所(こごしょ)、御学問所、
常御殿(つねごてん)、迎春(こうしゅん)、御涼所(おすずみしょ)、皇后御殿などがある。

  建物
 建礼門
御所正面入口の正門。
素木、切妻造、桧皮葺(ひわだぶき)、柱間1間の四脚門である。
開門されるのは天皇や国賓の来場など、特別な行事の時のみである。
左右の築地塀(ついじべい)には5本の筋(水平の線)が入っているが、
これも塀として最高の格式を示すものである。
この門を入り、丹塗り瓦葺の承明門(じょうめいもん)をくぐると正面が紫宸殿である。

 紫宸殿
御所の正殿で、天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われた建物である。
南庭(なんてい、だんてい)に面して南向きに建つ。
入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、平面は33メートル×23メートルほどの規模がある。
建具は蔀戸(しとみど)が使われている。
規模は大きいが、華美な装飾のない、簡素な建物である。
構造は中央の母屋の東西南北に庇を付した形になる。内部は板敷きの広い空間となり、
高御座(たかみくら、天皇の座)と、御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれている。
高御座、御帳台ともに高さ約5メートル、平面八角形で、
柱と柱の間に帳(とばり、カーテン)をめぐらし、内部には椅子が置かれている。
高御座、御帳台の背後の襖は「賢聖障子」(けんじょうのしょうじ)と呼ばれ、
中国古代の賢人32人の肖像が描かれている。これは平安時代からの伝統的な画題である。
建物正面の階段の左右には「左近の桜」と「右近の橘」の木がある。

 清涼殿
紫宸殿の背後西側にあり、東を正面とした建物。
入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、建具に蔀戸(しとみど)を使う点などは紫宸殿と共通する。
本来は天皇の居所兼執務所であったが、天皇が常御殿に居住するようになってからは、
清涼殿も儀式の場として使われるようになっている。
本来、居住の場であった名残で、建物内は紫宸殿よりは細かく仕切られている。
中央の母屋には天皇の休憩所である御帳台(みちょうだい)がある。
その手前(東側)には2枚の畳を敷いた「昼御座」(ひのおまし)がある。
ここは天皇の公式の執務場所である。
母屋の北側(建物正面から見て右側)には四方を壁で囲われた「夜御殿」(よんのおとど)がある。
これは天皇の寝室であるが、天皇の居所が常御殿に移ってからは形式的な存在になっていた。
この他に西側(裏側)には鬼の間、台盤所(だいばんどころ)、朝餉の間(あさがれいのま)、
御手水の間(おちょうずのま)、御湯殿があり、南側には殿上の間がある。
これらの部屋の障壁画は宮廷絵師の土佐派が担当している。
また、建物正面の庭には「漢竹」(かわたけ)、「呉竹」(くれたけ)が植えられている。

                       (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

(2006年4月)


今回は、春の一般公開で行って来ました。
ちょうど桜も見頃になったと聞いたので、花見も兼ねて…ですね。


京阪の出町柳から行ったんですが、やっぱり御苑は広くてよくわからなかったですね。
一応、まずは御所の鬼門にあたる猿が辻を見てきました。

イメージ 6

猿の彫刻でもされているのかと思ったんですが、よくわからなかったです。
ただ、角が欠けていて、鬼門封じってこんなだったんだな、ってちょっと変な感じでした。


一般公開は宜秋門から入ります。
中は思ったよりも人がいませんでした。
あと、結構改修工事中だったのが残念ですね。
せめて一般公開の時期をはずしてくれたらいいのに、ってついつい思ってしまいました。


諸大夫の間という建物が最初に見えたんですが、襖絵とかが見えにくかったですね。

イメージ 2

やっぱり床が高い位置にあるので、下からみると見えにくいんですよね…


新御車寄は大正天皇の即位の時に造ったらしく、かなり新しくきらきらしい感じでした。
あと、月華門から承明門を通って日華門までの回廊は朱塗りでまわりとは違って
ちょっと浮いた感じでした。
その点、建礼門と建春門は昔の建物で、かなり大きくて古めかしくていい感じでしたよ。

イメージ 5


やはりメインは紫宸殿でしょうか。

イメージ 1

ちゃんと右近の橘と左近の桜もありました。
高御座と御帳台が置いてあるんですが、それも紫宸殿が高すぎてよく見えないんですよね…
まぁ、天皇と皇后の席なんで、仕方ないんでしょうけど。
その点、清涼殿は床が低いのか見えやすかったです。
御帳台もはっきり見えましたし。

イメージ 4


今回の一般公開のテーマは奏でるということだったらしく、
小御所には管弦の人形が、御学問所には朗詠の人形が置いてありました。

イメージ 3

ちょっとリアルで怖いような気もしましたけど…(笑)
っていうのも、どちらも音が流されていたので、雰囲気がかなりでてました。
ただ、管弦にしろ朗詠にしろ、普段聞き慣れない音なので、変な感じでしたけど…


あと、庭園は御池庭と御内庭があるんですが、さすがというか、どちらも素敵でした。

イメージ 8

当たり前ですけど、日本庭園としてかなり完成度が高いですよね。


最後に御三間から出口に向かう途中のしだれ桜が満開で、すごく綺麗でした。

イメージ 7

御苑にも桜が咲いてましたけど、御所の中の桜の方が数が多かったのか、
かなり圧巻でしたね。
さすがにそこは写真を撮る人でいっぱいでしたけど(笑)


あと、御所の中では限定の商品が売られていて、さすがだと思いましたね。
やっぱりこういう時に限定商品を売られるとついつい買いたくなるでしょうしね…
あ、私は買わなかったですが…(笑)


それと、御苑も御所も砂利道なので、すごく歩きにくかったです。
あれってバリアフリー的にはどうなんでしょうね?


それに御所の北半分は全然見せてもらえないのがすごく残念ですね。
皇后御所とか若宮姫宮御所というものがあるらしいのですが…
一度くらい見てみたいですね…




閉じる コメント(2)

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おはよう御座います。
関連記事から来ました。
御所は素晴らしいですね。ポチ

2013/5/11(土) 午前 6:48 あるく

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こんにちは。
また古い記事に(笑)、コメントありがとうございます。
確かに御所はすばらしかったです♪

2013/5/11(土) 午後 4:13 [ 紫野 葵 ]


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