神田明神(かんだみょうじん)は、東京都千代田区外神田二丁目にある神社。 正式名称「神田神社」。 神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神。 旧社格は府社(1870年まで准勅祭社)。 現在は神社本庁の別表神社となっている。また旧准勅祭社の東京十社の一社である。 歴史 社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、 大己貴命を祖神として祀ったのに始まる。 神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、 神田ノ宮と称した。 承平5年(935年)に敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、 将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けた。 嘉元年間(1303年 - 1306年)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、 延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。 江戸時代、江戸城増築に伴い現在地に遷座した。 江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇され、 神田祭の山車(当時は山車が中心だったが、明治に入ると電線の普及等により 山車の数は大幅に減少した)は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、 一名「天下祭」とも言われ、江戸三大祭りの一つと言われる。 現在「神田囃子」は無形文化財に指定されている。 江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたが、1923年の関東大震災で焼失した。 その後再建され、1945年の東京大空襲では本殿・拝殿などは焼失を免れた。 明治元年、准勅祭社に指定されたが、明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、 天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、 平将門は祭神から外され、代わりに少彦名命が大洗磯前神社から勧請された。 平将門神霊は境内摂社に遷されたが、戦後昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰した。 また、野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に 住居を構えていたという設定から、敷地内に銭形平次の碑がある。(銭形平次自体は架空の人物) (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用) (2008年6月) 東京の本社への出張(懇親会)の帰りが自由行動だったので行ってみました。 ちょうど、本社が新宿にあるので、電車で1本で行けるので。 とりあえず丸の内線に乗って、御茶ノ水へ行きましたが、 ちょっとどっちに行ったらいいのかわかりにくかったですね。 なにしろ、川があったりして入り組んでたので。 とにかく看板と地図を頼りになんとかたどり着きました。 しかし、参道脇は日曜だったせいか店が閉まっていて寂しかったですね。 神社自体はだいぶ派手でしたけど。 楼門がかなり派手で立派でした。 もっと古い建物を想像してたんですけど、案外新しいみたいでしたね。 境内には早くも茅の輪ができてました。 みんながくぐってたから、私もくぐってきましたけどね。 境内の脇には少彦名命の像とか大黒の像みたいなのがありました。 あとは獅子の岩かなぁ?よくわからなかったんですが。 でも、どっちにしても、神社といえ、あまり好みじゃない神社だったので、 ちょっと拍子抜けでした。 まぁ、私が前日のお酒を引きずっていて、本調子じゃないせいで、 しっかりと見れなかっただけかもしれませんが… |
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