徒然草子

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訪問記 大阪府

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葛井寺

葛井寺

葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺一丁目にある真言宗御室派の寺院。
藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。
本尊は千手観音。西国三十三箇所第五番札所。

起源と歴史
寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、
古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、
平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。
近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、
実際は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、
8世紀中頃に創建されたと推定される。
なお、平安時代初期に寺を再興したと伝えられる阿保親王の母も藤井氏である。

中世以前の沿革については史料が乏しく、必ずしも明確でないが、
本尊千手観音坐像は奈良時代の作品であり、境内から奈良時代の古瓦が出土することなどから、
創建が奈良時代・8世紀頃にさかのぼることは間違いない。
境内出土の瓦の1つに久安3年(1147年)の銘があり、
その頃に造営事業が行われたことが推定される。
平安時代後期から観音霊場として知られるようになり、西国三十三所観音霊場が成立すると、
その一つに数えられるようになった。

永長元年(1096年)には、大和国賀留の里の住人・藤井安基が、荒廃した伽藍を修理したと伝える。
南北朝時代には楠木正成が陣をしいたことがあるなど、たびたび兵火にさらされた。

当寺の伽藍は東西2つの三重塔をもつ薬師寺式伽藍配置であったが、
明応2年(1493年)の兵火と永正7年(1510年)で堂塔を失い、
現存する建物は近世以降の再建である。


                      (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)


(2008年9月)


藤井寺市の地名の由来にもなったお寺らしいです。
西国三十三所でもありますよね、確か。
比較的近い割りに、全然行くチャンスがなかったので、行って来ました。
っていうのも、最近運動不足気味だったので、運動のために…
相方さまに案内してもらうことになりました。


近鉄南大阪線の藤井寺の駅から徒歩ですぐ、って感じでした。
でも、すぐとはいえ、結構ややこしくて迷いましたけど…。
商店街を抜けていくんですが、どこなんだか…って感じで。
町内地図っていうんですかね?よく街角に掲示してあるやつ。
あれを見てたら、近所のおばさまが教えてくれました。
ちょっと恥ずかしかったですが(笑)


境内は思ったよりも広かったです。
ただ、本殿は普通の大きさだったように思いましたけど…

イメージ 6

観光地というよりは、地域のお寺って雰囲気にあふれてましたね。
いくら西国三十三所でも、やっぱり京都や奈良のお寺とは違うんですよね。
ただ、比較的立派な鐘楼と弘法大師の像は気になりましたが。

イメージ 3

イメージ 2


正面にある楼門がかなり大きかったですね。

イメージ 5

イメージ 4

そして、その傍らには一時期大騒ぎしていた井真成くんの看板が…

イメージ 1

あんだけ大騒ぎした割には、扱いが悪いというか…
もうちょっとしっかり飾ってあげればいいのに、って感じでした。





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