顕本寺(けんぽんじ)は、大阪府堺市堺区にある法華宗本門流の寺で常住山顕本寺をいう。 開山は日浄とされる。 歴史 1450年、堺の木屋と餝屋と称する者たちの自宅を法華堂としたのが始まりとされる。 当初の寺は開口神社に近い甲斐町山ノロにあった。 本門流を起こした日隆の流れにあって南西国末頭と呼ばれる寺格を得ていた。 第12代将軍の足利義晴を擁する細川高国に対抗して、 1527年に細川晴元と三好元長が阿波から足利義維を堺につれてきた際には、 この顕本寺を本拠とした(堺公方または堺大樹と呼ばれた) しかし、その後晴元は元長と袂を分かち、1532年に一向一揆衆を差し向けて堺の元長を攻め、 敗走した元長はこの寺で自害。後ろ盾のなくなった足利義維は阿波へ去った。 元長の殉難地ということもあり、その後も三好一族との結びつきは続き、 三好長慶、三好義賢(実休)らの軍勢が寄宿する免許を得たり、 元長の二十五回忌の法要が行われた。 1536年の天文法華の乱で本門流の大本山本能寺が焼けた際には、本山がこの寺に逃れ、 1547年〜1548年ごろに京都へ戻るまでの間、顕本寺にあった。 1615年の大坂夏の陣の兵火で、寺は焼失。再建された際に、現在の場所に移った。 安土桃山時代、この寺の坊の一つ高三坊の高三隆達が小唄「隆達節」を創出したことでも知られる。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用) (2008年10月) 南宗寺から歩いていきました。 ここは、三好長慶のお父さんの元長が死んだお寺らしいです。 ただ、場所は移転してるらしいので、この場所ではないみたいでしたけど。 お寺自体はあまり観光地化されてないお寺でした。 一応、説明板が外には設置してありましたけど、堺市の地図にも小さくしか載ってませんし。 ここは本当に三好元長のお墓のみを目当てに行ったので、 ほかは本当に見ませんでした(笑) というか、ほかはちょっとのぞきにくい雰囲気でしたね。 普通に墓地になってたり、お堂もたぶん観光地でないお寺のお堂でしたから。 だから、普通にのぞくには適してないお寺だと思います。 三好好きの相方さまがいなかったら絶対に行ってないところですね。 |
訪問記 大阪府
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