(2008年11月) 境内に宮本武蔵の伝説で有名らしい一乗寺下がり松がある神社です。 境内といっても、本殿からだいぶ離れたところにありましたけど。 なにしろ、本殿は詩仙堂のすぐ横にあるんですが、下がり松はかなり手前にありましたし… 下がり松のすぐ横には、大きな石の鳥居と灯篭がありましたが、 そこには近寄れないように柵がめぐらしてありました。 なんでなんでしょうね?? 本殿は本当に詩仙堂のすぐ横って感じで、境内から横の詩仙堂内の紅葉が透けて見えてました。 本殿はかなり小さい感じでした。 境内もさほど広くない感じでしたし。 本殿のすぐ近くに宮本武蔵の像と、先代の下がり松の一部分が展示してありました。 でも、その一部分って本当にちょこっとだけで、逆になんだかかわいそうなくらいでしたけど… 最後に、ここで決闘したらしい宮本武蔵の説明なんぞを… 宮本 武蔵(みやもと むさし、天正12年(1584年)? - 正保2年5月19日(1645年6月13日))は、 江戸時代初期の剣豪。 兵法者であり、また書画でも優れた作品を残している。 概要 二刀を用いることで有名な二天一流兵法の祖。 水墨画家・工芸家としても知られる。 名字は宮本、また新免、通称は武蔵、本姓は藤原、諱は玄信(はるのぶ)である。 幼名は辨助(べんのすけ、弁助、弁之助とも)、号は二天、また二天道楽。 著書『五輪書』の中では新免武蔵守 藤原玄信を名乗っている。 現在、自筆とみなされている有馬直純宛書状・長岡佐渡守宛書状には「宮本武蔵玄信」と記し、 長岡佐渡守宛書状には「二天」の号も書いている。 熊本市弓削の墓碑は「新免武蔵居士」、 養子伊織が武蔵死後9年目に建てた『新免武蔵玄信二天居士碑』 (小倉碑文)には「播州赤松末流新免武蔵玄信二天居士」とある。 武蔵死後71年目の『本朝武芸小伝』(1716年)で「政名」なる名が紹介された。 これを引用した系図や伝記、武蔵供養塔が広く紹介されたことから諱を「政名」とする武蔵の小説、 紹介書が多数あるが、二天一流門弟や小倉宮本家の史料に、この「政名」は用いられていない。 逆に史的信頼性が完全に否定された武蔵系図等で積極的に用いられていることから 「政名」なる諱を否定する意見もある。 京都の兵法家吉岡一門との戦いや巌流島(山口県下関市)での試合が、 小説、時代劇映画、テレビドラマ(時代劇ドラマ)等の題材になり有名。 著書である『五輪書』は、現代も人生哲学書として、あるいは経営、 スポーツなどの指導書としても読まれ、日本のみならず翻訳されて世界各地で愛読され 影響を与え続けている。 国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』他にも 『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』など優れた水墨画・鞍・木刀などの 工芸品が現在に伝わっている。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用) |
訪問記 京都府
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