徒然草子

ずいぶん更新していない…更新の仕方忘れた(笑)

訪問記 滋賀県

[ リスト | 詳細 ]

滋賀県の観光名所(主に神社仏閣・城跡・遺跡など)の訪問の記録です。
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

日吉大社

日吉大社
 
(2009年10月)
 
三井寺の次は日吉大社に行ってきました。
ここはいつも近くまで行くのに入ったことがなかったんで。
今回初めて中まで入ってきました。
 
まずは特徴的な鳥居。
イメージ 1
この普通の鳥居の上に三角がついてるのが山王鳥居っていうそうです。
かなり特徴的ですよね。
 
で、境内は予想以上に広かったです。
中には西本宮と東本宮って2つの大きな本宮と、沢山の摂社がありました。
東西の本宮の入り口は楼門になってまして。
 
まずは西本宮。
イメージ 2
色は若干あせてましたけど、立派な楼門です。
 
お次は東本宮。
イメージ 3
こちらもなかなか立派でした。
 
境内全体が杜になってるので、かなり雰囲気のある神社でした。
昔の鎮守の森って感じかな〜

三井寺(園城寺)

三井寺(園城寺)
 
(2009年10月)
 
多分ここはご朱印目当てで行ったんだと思います…
あとは一度も行った事なかったから…でしょう、多分(笑)
 
確か京阪の石坂線でしたっけ。最寄は。
そこから歩いて行きました。
 
さすがに門は大きかったですね。
雰囲気もありますし。
イメージ 1
 
あと、境内はかなり広大でした。
まずは金堂(だったかなぁ)が目の前に現れるんですが、
その横には近江八景の「三井の梵鐘」があります。
イメージ 2
多分有料でつくことができます。
 
とにかく境内にはたくさんのお堂があって、それぞれ見所ありです。
でも、結構広いのとアップダウンがあるので、ちょっと疲れます(笑)
 
三井寺の名前の由来になった井戸もありました。
イメージ 3
ちゃんと水がこんこんと湧いてました。
井戸っていうより泉って感じでしょうか…
 
あと、一番高いところに西国三十三所にもなっている観音堂があります。
イメージ 4
こんな感じで石段を登った先にありました。
 
イメージ 5
観音堂はこんな感じで、結構ひらけたところにある感じですね。
 
あとは高台になってて、景色が良かったです。
遠くに琵琶湖が見える…かな?
イメージ 6

多賀大社

多賀大社
 
(2009年9月)
 
確か青春18きっぷ最後の遠出だったと思います(笑)
近江鉄道に乗り換えて行きました。
近江鉄道、多分初めてだったと思うんですが…かなりのどかな気分を味わいました。
 
駅は確か終点で、駅前には大きな鳥居が。
イメージ 1
いかにも「門前町」って感じでした。
 
で、境内に向かうにつれて杜が広がってる感じでしたね。
もちろん境内前の鳥居も大きかったんですが、
その奥にある太鼓橋はいろんな意味ですごかったです(笑)
イメージ 2
傾斜がはんぱない(笑)
これは上るよりも下りるほうがつらかったです。
 
で、本殿前はかなり開けてました。
杜の奥の広場みたいな感じでした。
イメージ 3
屋根の色と後ろの緑の色のコントラストがすごく綺麗だったのを覚えてます。
ちょうど結婚式されてたので、あんまり写真撮れなかったんですけど…

瀬田唐橋

瀬田唐橋

瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋。
全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。
勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。

宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされ、
歌川広重の『近江八景』のうち『瀬田夕照』はこの橋の風景を描いたものである。
また、日本の道100選にも選ばれている。

歴史と伝説
琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、京都防衛上の重要地であったことから、
古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。
本格的には近江大津宮遷都の時に架橋されたと考えられるが、
当時は現在の位置より65m南の龍王社・雲住寺を東端としていた。

古代 
・最初に架けられた橋は両岸に生えていた大きな藤の木を利用したつり橋で、
 景行天皇(日本武尊の父)の時代に丸木舟を横に何艘も並べ、
 藤や葛のツタで絡めた搦橋が架けられた。 
・神功皇后の摂政元年、香坂皇子と忍熊皇子が反乱。
 忍熊皇子は神功皇后(応神天皇の母)の家来である武内宿禰の軍に攻められ、
  瀬田で自害したという。(「日本書紀」 気長足姫尊 神功皇后) 
・壬申の乱 671年、大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場となった。
 大友皇子方が、橋板をはずして大海人皇子方を待ち受けたが、突破されて滅んだ。
 御霊神社の主祭神は大友皇子である。(「日本書紀」 天武天皇 上 元年七月)
 文献上の初見である。 
・恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)764年、宇治から近江を取ろうとした恵美押勝に対して、
 孝謙上皇方は田原道(関津遺跡)を通って瀬田の唐橋に先回り。これを焼く。
 押勝は高島郡に走り、滅びた。 (「続日本紀」 淳仁天皇 天平宝字八年九月) 

平安時代 
・869年(貞観11年)12月4日に火事。(「日本三代実録」巻十六) 
・871年(貞観13年)11月4日に火事。(「日本三代実録」巻二九) 
・藤原秀郷の大ムカデ退治伝説として有名だが、背景には平将門の乱平定があるといわれる。
・治承・寿永の内乱(源平合戦)1183年(寿永元年)に源義仲対平家、
 1184年(寿永2年)に源義経対義仲の合戦があった際に、
 源範頼が攻める瀬田橋の橋板をはずして守っていたのが今井四郎兼平。
 宇治で敗れた義仲と合流し、粟津で敗死。(「平家物語」) 

鎌倉〜室町時代 
・承久の乱 1221年(承久3年)、後鳥羽上皇の京軍(山田次郎重忠が率いる比叡山の僧兵三百騎)と
 北条義時の弟・時房率いる鎌倉幕府軍が瀬田川を挟んで交戦。 
・建武の戦い 1336年(建武4年)足利直義の率いる足利軍と朝廷軍が瀬田川を挟んで交戦。 
・本能寺の変〜天王山の戦い 唐橋を現在の位置に移したのは織田信長。
 架橋奉行は瀬田城主の山岡景隆で、90日で完成させたという。
 明智光秀が本能寺の変で織田信長を倒した後、安土を攻めようと唐橋まできたが
 山岡景隆は屈せず、唐橋と瀬田城を焼いた。 

江戸時代 
・膳所藩(本多家)が管理。東海道がここを通った。 

木造の橋が現在のコンクリート製になったのは1979年(昭和54年)のことであるが、
橋の特徴である擬宝珠は歴代受け継がれており、
「文政」「明治」などの銘が入ったものも現存する。

                      (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)


(2008年7月)


石山寺からの帰りに、寄りました。
ちょうど、京阪でひとつ手前の駅になるんですが、唐橋前からまっすぐ東方向にあります。


近江八景のひとつで、夕景が綺麗ってことなんですが、
たぶん私たちが着いたのは早かったんでしょうな。夕景ではなかったですね。


とにかくびっくりだったのが、橋が平坦ではないというか…
アーチがすごくはっきりとしてました。
真ん中には島があって、そこが一段低くなってる感じですね。
だから、正面から見ても向こう側がよく見えないんですね。

イメージ 2


一度通り抜けて、対岸からちょうど太陽に向かって撮影しようってことになりました。
で、対岸にはちょうど石碑らしきものがありましたし。

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 1


あとは、竜宮神社という小さな社もありましたね。
あまりにも目立たなさすぎでしたけど。


とにかく、石碑を入れて写真を撮るのが大変でした。
なかなか綺麗に写ってくれなくて…
でも、写真には難しくても、自分の目で見る分には綺麗でしたよ。
実際行って見たほうがいい、ってことなんでしょうかね?





建部神社

建部神社

建部大社(たけべたいしゃ)は、滋賀県大津市に鎮座する神社。
近江国一宮。社格は、式内社(名神大)、旧官幣大社(現、神社本庁の別表神社)。

主祭神は日本武尊で、天明玉命が相殿神。また権殿に、大神神社から大己貴命を勧請している。

歴史
伝えによると、116年(景行天皇46年)に神崎郡建部郷(現在の東近江市五個荘付近)に、
景行天皇の皇子である日本武尊を建部大神として祀ったのが始まりとされ、
675年(天武天皇4年)に現在地へ移転した。

源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、
後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。

1871年(明治4年)に「建部神社」として県社に列格されたが、1885年(明治18年)に官幣中社、
1899年(明治33年)に官幣大社となった。
戦後の1948年(昭和23年)には神社本庁の別表神社となり、社名を建部大社とした。

                      (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)


(2008年7月)


近江一宮ということで、行ってきました。
ちょうど瀬田唐橋からまっすぐ東に行くとありました。


近江一宮という割にはあまり目立ってませんでした。
ただ、やっぱり規模は大きいように思いましたけど。
正面の鳥居は大きかったんですけど、

イメージ 1

例によってまた横から入ってしまいました(笑)


正面にあった楼門は比較的大きかったです。

イメージ 5

楼門をくぐると、ちょうど池がありました。

イメージ 2

池には噴水(?)らしきものがありましたが、噴水というよりは滝みたいでした。
なんていうんでしょうね…あれって。


拝殿はあまり目立たない建物でした。変な感じですね。

イメージ 3

本殿はもちろん入れませんから、遠目でしか見てないんですが…

イメージ 4

どうしてでしょう。あまり印象にない建物でした。


なんていうんでしょうね…一宮といっても、今は普通の神社ってことなんでしょうか?
あまり目立ったところがない神社でした。
でも、逆に言えば、昔ながらのあまり観光地化されてない神社ってことなんでしょうね。
ある意味その方がすばらしいことだとは思います。
ただ、その割には杜がなくて、私的にはイマイチでした(笑)





全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事