極光おろし

ラップランド+ツンドラ+フィヨルド=ムルマンスク

旅日記(2)

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冷戦終結,鉄のカーテン消滅前後という20世紀末の激動の時代,その東欧・ソ連を歴史とともに駆け抜けた,北伝兵衛の旅の記録,その第2弾です!
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 今回の画像は極めつけ!1991年12月13日付の「ソビエツカヤ・ロシア」紙のトップ面記事で,これはソ連邦を解体して,連邦に変わる新たなる国家連合「独立国家共同体」を創設する協定をロシア共和国(当時の国名)議会が批准したことを伝えるものです。つまり,ソ連邦崩壊正式決定を伝える記事です。
 写真は,当時のエリツィン大統領が,ロシア,ウクライナ,ベラルーシのスラブ3カ国間で締結した「独立国家共同体」創設の協定の経緯や内容について,議員の質問に対して答弁を行っているところです。
 尚,この記事の見出しは連邦から共同体へ?と書かれています。

 下の写真は,上の記事の続きです。中ほどの見出しには,太字でまだすべてが失われたわけではない,隣に細字でゴルバチョフ氏は(協定批准に)同意したものの,尚も疑いを抱くと書かれてあります。

 この日の新聞は,自分のいるソ連で何が起こっているのか知るために,また,ホームステイ最終日ということで記念にと買ったものですが,今では家宝となりました!!!

 

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 ソ連邦崩壊直前のモスクワの画像の第4弾です!

 一番上の写真は赤の広場のレーニン廟に向かって右の端にある「レーニン博物館」の中で撮ったものです。この直後にソ連邦は崩壊し,レーニンは多くのロシア市民から一気に憎まれ者へと落ちていくことになります。私は,その評価はどうあれ,ロシア史の中でのレーニンの出現は,その時代に相応しい必然性であったと考えています。スターリンも,中国の毛沢東の出現もそれなりの必然性があったと思います。

 上から二番目の写真は,当時のホームステイ先の近くのパン屋さんです。パンがたくさん棚に並んでいますが,この写真を撮る前の数日間,この店の棚にはパンも何も全くありませんでした!
 
 今から考えてみれば信じられないことですが,この当時のモスクワは食料が配給制でした!即ち,食料品を購入するには配給券が必要で,それに指定された数量だけしか入手できませんでした。お金だけあってもパンは買えなかったのです!

 下の2枚はいずれも,ホームステイしていた先の周辺地区の風景です。

 

 

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 「ソ連邦崩壊直前のモスクワ」第3弾です。この旧東ドイツ製のフィルムの写真は,私の記憶が正しければ,確かソ連邦の崩壊が決定的となったCIS(独立国家共同体)結成に関するロシア,ウクライナ,ベラルーシの3国合意がなされる1日前(1991年12月11日)に,私自身がホームステイ先の近くで撮ったものです。

 確かこの日の気温は−15℃でした。

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 「旅日記2」で紹介してきました「ソ連邦崩壊直前のモスクワ」の画像第2弾です!

 上からの2枚は,当時のグム百貨店の店内。当時はまだ「ソ連国営デパート」でした。商店もほとんどが国営であったため,店内はとても質素でした。品物はあまり売られていませんでした。とにかくひどい物不足でした。

 下の2枚は,モスクワ市の中心部からメトロで30分ほど南へ下ったやや郊外の住宅街「チェルターノバ」地区です。このエリアに当時の私は短期ホームステイをしていました。当時はほとんどこの地区に外国人はいませんでした。

 この写真は私の知り合いからもらった旧東ドイツ製のフィルムで撮影したため,暗くて色が変になっています。

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 今回お送りする画像は「旅日記2」で紹介しました。ソ連邦崩壊直前のモスクワの画像です。ソ連邦の公式な崩壊日(1991年12月30日)のほんの一月ほど前に私が撮影したものです。早いもので,あれから丁度15年目の冬を迎えようとしています!

 4枚とも「赤の広場」の画像ですが,上から2枚目と3枚目は,レーニン廟前の衛兵の交代式の様子です。これはソ連邦時代には毎日欠かさず行われていたもので,1時間ごとにレーニン廟を警護する兵士が交代するものです。

 銃を右手に銃口を上に向けて持ち,足を高く上げてゆっくりと歩を進める衛兵の姿は,当時のモスクワの観光名物でした。この制度は連邦崩壊後も続けられていましたが,1993年10月の,ロシア最高会議派による反エリツィン(当時大統領)クーデター失敗直後に廃止になりました。

 クレムリンの中央宮殿の屋上にはまだ赤旗(ソ連邦国旗)が翻っていますが,これはこの1ヶ月後に引き下ろされることになるのです!

 

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