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サモアが世界のニュースに取り上げられることはめったにない。しかし、9月7日付けで車線が変更されたことは、NHKニュースでも報道されたらしい。約30年前に沖縄でアメリカ方式の右側車線から左側に移行したことは、覚えていらっしゃる方もあるだろう。
サモアでは昨年から反対運動が続き、裁判沙汰にもなったらしいが、政府の意向、車線右から左の決定は合法ということで、着々と準備が進められていた。しかし、反対が90%で本当に実行されるかどうか、私達も半信半疑で眺めていた。まず車線変更の理由が今だにはっきりしない。
アメリカ領の東サモアと同様に、こちらサモア独立国もアメリカ式右側車線を導入していたが、左車線のニュージーランド、オーストラリアに住むサモア人が多くいること、大型の高いアメリカ車を買うより、小型の日本車やニュージーランドからの中古を買う方が安いことなど、経済的な理由が本当のところだろう。
中には首相が車線変更により歴史のページに残りたがっているのだという皮肉な意見まで飛出していた。この歴史的大イベントのために、日本からJICAの交通安全のエキスパートが来て、私達は安全のための講習と運転をする人は実地訓練まで受けることになった。
日本と同じ向きになったからよいと言うほど簡単ではなく、今までの多くの車は右側車線用の左ハンドルで中央が見えにくく、信号機のないロータリや右か左かの一瞬の判断の迷い、うっかり事故の危険も予想されるからだ。
車線変更後のアピア幹線道路
沖縄では変換の日は8時間、車の運転を禁止にしたそうだが、サモアではどうなるのか私たちは不安と期待の中で見守った。実施の9月7日と8日は休日になり、7日の午前6時を期して、車線は右から左に変更した。
10分前にすべての教会の鐘が一斉に鳴りお祈り、首相のテレビでの宣言、続いてサイレンが鳴り響き、この歴史的変換は実行に移された。車の速度は時速30〜40kmに押えられ、曲がり角には警官が立ち、「左側通行」のサインが車の前後、通りにも貼られ、新しい道の矢印、新しい信号機がその時より動きだした。
休日の2日間は酒類販売禁止となった。私達は家に留まって静かにしていたが、休日の2日目は外へ出て、近くの山へ登って休日を楽しんだ。いつもはのんびりしているサモア人だが、案外きびきびと変換に対応しているのに驚いた。
ただ地方のマタイの抵抗やバス運転手のバス修理費要求のストライキが少しあっただけだ。バスの乗降口が今までのままでは道路の中心に降りねばならなくなるので、すべてのバスは乗り口を付け替えなければ運転できないことになったからだ。
ここのバスは車体が木で出来ており、切ってドアを開け、元の明き口には木を貼り付け、ペンキを塗り替えねばならない。窓にはガラスもなくドアも開けっ放しだ。でも人々の大切な足で、バス通学生の多い公立の中学、高校生は更に一週間休みとなった。
なんとか大部分のバスもドアを付け替え、新聞で見る限り、大きな事故もなくこの歴史的変換はスムーズに行われたようだ。今までルーズだったシートベルトの着用、スピード制限、夜間飲酒10時以後レストランでの販売禁止、何より多くの警官の出動と交通取締が厳しくなったことは成果であった。皆が用心を忘れた頃がかえって危険かもしれない。
その1週間後、アピア市内の6階建てのビルディングに聖マリア像が現れたという話題があった。単に屋根の樋から雨が壁にしみこんで像の形を作ったのかもしれない。それはイエスを抱くマリア像のようでもあり、コカコーラの瓶の形のようでもあった。
クリスチャンの国サモアでは神からのメッセージという牧師の言葉と共に、夜間その像を拝む人々が列をなした。私も2.3日後に見に行ったが、確かにイエスを抱くマリア像のように見えた。車線変更は神の意向にかなったのだろうか。ともあれ話題の多い九月であった。
車線変更になったアピア市内
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