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2009年9月28日6時48分サモアにて地震が発生した。震源は西経171.0度、南緯15.3度でサモアの首都アピアから南方226キロメートルの沖合、アメリカンサモアの首都パゴパゴから110キロメートル南方であった。
マグニチュードは8.3と巨大な地震であった。当時潮位はアピアで0.7メートル、パゴパゴで1.6メートルと観測された。アピアでは当日7時20分津波警報のサイレンがなり、各地で緊急避難用の鐘が鳴らされた。
被害状況は、ウポル島の南東部にあるリゾート地で有名なラロマヌを含むアレイパタ地区、同島南部にあるリゾート地のココナツビーチやシナレイ・リーフ・リゾートなどが壊滅状態となった。20の村が被害を受け、死者139名、多数の行方不明者が出た。6メートルの高波が襲ったとも報道されていた。首都アピアは北海岸に位置しているため、土砂くずれなどの地震被害は多少あったが、津波被害は殆どなかった。
津波通過後のリゾート地区
サモアの人々は逞しく、復興に向かって直ちに作業を開始した。半壊のファレ(壁のない家)や簡易ファレでの集団生活が始まった。壊れた建物から建築資材を回収し、半壊の建物を修理していた。
サモア電力公社では、倒れた電柱の建て替えによって、早急に電力供給を開始した。タンク運搬による給水支援活動、教会関係者による食料品の確保が実施された。
各国の支援活動としては、オーストラリア、ニュージーランドからの軍、赤十字を含む医療関係、ユネスコ協会、また子供達への予防接種、トイレ設置を目的とした日本ユニセフ協会からの支援金募集などが実施された。
日本からも多くの調査査察団がやってきた。
サモア国内には、「津波サモア09基金」が開設され、義援金の募集が始まった。
われわれ14名は、日本の支援で建ったサポエ小学校とサレアパガ小学校の校舎、グラウンドの整備を行った。海岸から100メートルにまで堆積した厚さ1〜2センチメートルの土砂を取り除くのに大変苦労した。
また、次の週末には、アレイパタ・セカンダリー・スクールでの清掃活動を行った。復旧活動が急がれるなかでも、サモアの人達は、日曜日の休息日には、神様へのお祈りを決して欠かさなかった。
津波が来襲した時、ニュージーランドの観光客14名が南海岸のリゾート地区に滞在していた。地震の後で海の様子がおかしいことに気付き、丘の上に逃げ間一髪で難を逃れた。
ところが70歳の老女が津波に巻き込まれ5分以上スーツケースに捕まった状態で波に揉まれていた様であった。それを助けに行った息子は、命に別条はなかったものの大怪我をし、ニュージーランドの病院に入院したという報道がなされていた。
また、明るいニュースとして、丁度1ヶ月ほど前に訪れたタファタファビーチのファレはほぼ無事で、そのオーナーのおばちゃんも元気であった。実は、津波来襲の日、泊まり客が一組いて、その人達の車で1キロメートル先の国道まできわどく逃れることができたとの事であった。
津波の伝播速度はきわめて速く、日本まで10時間余りで到着していた。ジェット機の飛行速度である時速800キロメートルにも及ぶ超高速度である。
サモアでは、この津波災害は、日曜日に海水浴場を解放して営業活動を行ったことに対する神のたたりであるとして受け止めている。災害後は、どの村も日曜日には決して入村を許可しない方針を貫いていた。
日本では、将来の東南海地震による津波来襲に対して、徹底的な避難訓練が行われ、迅速な救助体制の構築が必要である。
屋根がかろうじて残ったファレ
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