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「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ 故郷の岸を 離れて 汝はそも 波に幾月」
島崎藤村のこの歌を懐かしく覚えていらっしゃる方も多いでしょう。椰子の実は世界一大きな種であり、その中に栄養を蓄えているので、遠く流れ着いた地で、芽をはぐくみ、自分の力で育つ強い生命力をもっているという。先日の津波で被害を受けたウポル島の東南を行くと、潮で立ち枯れた木々が多い中で、椰子の木だけはすっくと立ち残っているのが印象的であった。
椰子の木はサモアで最もポピュラーで大切な木だ。捨てる部分がない、全部役に立つ木でもある。自然に家々の空地や、海岸に生えている木もあるが、多くはプランテーション(農場)で育てられている。木になっている実はつやつやした殻で、若い実は青色、熟した実は黄色をしている。
市場では外皮を取って、もしゃもしゃした繊維で被われた内側の殻の状態で売られている。若い実は「ヌー」と呼ばれ、ほんのり甘いジュースがたっぷり入っている。先を切ってストローを差し込んで飲む。殻の中側には白いやわらかな身がついているので、さじですくって食べる。
古い実は「ポポ」と呼ばれ、ジュースはほとんどなく白い身がたくさんついている。しぼってココナッツミルクをとる。ココナツミルクはサモアの料理の基本となる材料で、生魚をあえたり、ウム料理の味付けとなるパルサミとよばれるクリームになったり、ケーキなど菓子の調味料に使われる。
いわば日本人の醤油のようにサモア人には慣れ親しんだ味と香りなのだろう。私も台所にココナツオイルを置き、サラダオイルの代わりに使っている。自然食で身体にもよいらしい。白い身が更に固くなったものはコプラとよばれ、煮て椰子油を抽出する。この油は食用、石けん、化粧品の材料になり、サモアの古くからの輸出品である。白い身の残りやかすは豚の餌となる。
椰子の実
殻の周りの繊維はロープやマットに編まれ、また椰子の木の大きな葉っぱはファレ(家)の屋根を葺くのに使われる。真っ直ぐな幹は家の柱となる。殻は器に、細工をして首飾りやイヤリングに、残りの殻は炭として使われる。石焼きの石を熱したり、携帯の燃料として、海でBBQをするときに役に立つ。
椰子の実を木から取り、堅い殻を割るのは重労働に思われるが、子供の時から椰子の実を取扱い慣れているサモア人にとっては簡単なことのようだ。足首に輪にしたロープを八の字型に挟み、木の幹のでっぱりに掛けて、するすると登っていく。殻を割るのも、特別の尖った鉄棒にさして繊維を剥き、ブッシュナイフでばんばんと叩いて、またたく間に割る。私達がやると何度も叩き、それでも割れず嫌になる仕事だ。
このように椰子の木はサモアの人々にとってなくてはならぬ木だが、何千年も前にこの地へ来た人々が持ってきたともアメリカ、ハワイから流れ着いたともいわれている。椰子の実の殻には三つの穴があり、目がふたつと口のある顔のように見える。
これには昔話がある。昔、シーナとよばれる美しい娘がおり、川うなぎが恋をした。少女の父は怒ったが、少女はそのうなぎをあわれに思っていた。あるときその村に嵐が来た。うなぎは少女に自分の首を切って頭を地面に植えて欲しいと頼んだ。
言われるままにしたところ、そこから最初の椰子の木が生えたという。そしてその村は飢饉から救われた。椰子の木の実の三つの穴はその村を守ったうなぎの顔なのだ。南海の孤島サモアは時にサイクロンが訪れ、人も植物も動物もいっしょに押し流され、翻弄され、また助け合ってきたのだろう。
今年も一月は雨季の真っ最中だ。先日もサイクロンが近づいて三日三晩激しい雨が降り続いた。幸いサイクロンは本島を直撃せず、それて行ったが、我が家のバナナの木を投げ倒し、水道水も濁り、低いところでは川があふれるところもあった。
再び太陽が現れたときはほっとした。サモアの滞在が一年を過ぎた。あと一年の任期中、元気で皆様にサモア便りがお送りできるよう願っています。この年が皆様にとっても幸せで健康な年でありますよう遠くよりお祈りいたします。
椰子の木
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