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サバイ紀行

 
 「サバイィへ行かなければサモアを見たことにならない」、とよく言われる。
サバイィ島は奥座敷、首都のあるウポル島よりも大きく、歴史も古い。南太平洋のほぼ中央に位置するサバイィ島からポリネシアの文化が始まったという説もあるくらいだ。
 
  自然のままの美しい海岸があるが、同時にそれだけ近代化されず、取り残されているとも言える。この島出身の人は海外へ出て活躍している人が多い。サバイィはたまに帰ってくる人にはサモアらしい伝統が残っている心の故郷だ。キリスト教が最初にもたらされた地でもある。
 
  去年のクリスマスにLさん一家に泊めていただきサバイィ島の東の辺りは少し回ったが、今回は車で島一周をした。ウポル島から船で約50分、日本からの寄贈のフェリー、「レディサモアⅢ」が3月に新しく加わり、計3本の日本製の定期便が一日に動いている。
  
  マノノ、アポリマという小さい島を横に見て、船は珊瑚礁の外側の大洋に出る。大きく波にもまれながらも、その日は穏やかなほうで酔うこともなくサバイィ島に着いた。
 
船で同行したT君と一緒にサバイィのK君を尋ねた。村のはずれの寂しい所に1人で住んでいる。カレッジで理数科の先生をしているのだが、夕方帰ってからは時間が有り余るそうだ。
 
真っ暗闇の外に星だけは満天に賑わっているという。買い物も自転車で一時間も走らなくては店もないと言う。やきめしとインスタントのシジミ汁の貴重な昼飯を息子のような若者達からごちそうになった。その後皆で近くの砦の遺跡らしいところを探しに山に登る。
 
40分程歩いて、道を間違ったらしい。偶然出会ったサモア人に案内してもらい、熱帯雨林の中を斜めに突っ切り、やっとその場所に出た。溶岩の大きな岩が丘をなし、あたり一面草が覆っている。頂上に大きなマンゴーの木があり、砦だったらしく周りがよく見渡せる。互いに部族が争っていた時代のものだろうか。
 
いつの時代か、誰がいたのか何も記してあるものはない。人々の記憶の中にあるだけで、今記そうという人もいないらしい。そのうちに忘れられていくのだろう。汗をびっしょりかいたので、近くのに「どぶん」と浸かり、やっと涼を得た。
 
   2人の若者と別れ、翌日から島を南から西へと巡る。泊まりは海岸沿いのファレだ。ファレは蚊帳とマットレスが置かれ、食事付きで1人100ターラ(約3.500円)だ。泊まっているのは白人と日本人くらいだ。
 
  サモア人にとって海は魚を釣るところで、子供以外は泳いだり、遊びに行くところではない。海は美しく澄んで、珊瑚礁のあたりには熱帯の魚が自由自在に泳いでいる。市場で見かける青ブダイやハタ科の魚もいる。夕食に白身の美味しい魚が出た。
 
サモア最古の教会
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  その週はイースターホリデイだったので、日曜の朝は教会へ行く人々が美しい白いドレスと帽子で聖書をかかえて歩いているのに出会う。久しぶりに外を歩いているような、太ったお年寄りにも出会う。男性は背広にネクタイ、下は白いラバラバだ。正装の少年が教会の鐘をついていた。空気タンクを改良した筒が鐘として、使われて屋根付きの小屋に納められている。教会はりっぱで美しい建物だ。
 
  日付変更線がサモアの辺りで折れ曲がっているので、サモアは世界で最後に日が明ける所だ。とりわけサバイィ島の西北の先端の岬、ムリヌイは最後の夕日が見られると有名らしい。その地を通りかかり、車を止めたとたん、反対側のファレから子供と母親が現われ、「20ターラ(700)」と言ってきた。
 
  「ただ海を眺めただけなのに」と腹が立ったが、お金を渡した。「椰子の実のジュースを飲んでいくか」と一つずつ先端をナイフで切ってくれた。ほのかに甘いたっぷりのジュースを飲みながら、海を見ていると、おみやげにと更に2つ持ってきてくれた。サバイィでも人里離れたこんな所では魚を売るにも、椰子の実を売るにも遠すぎる。これが唯一の現金収入なのだろうと、彼女と子供の色褪せたシャツとラバラバを見て思った。
 
  サモアの島々は海中の火山の爆発で隆起したものだ。サバイィ島の一部は20世紀初頭にも爆発が7年間に渡り起こり、溶岩(ラバ)が吹出し、村を押し流したそうだ。黒々とのたうち回ったラバが冷えて、固まり教会を呑み込んだまま観光地として残されている。
 
  土壌は軽石のように水を貯めないので、タロ芋やバナナなど農作物の収穫には土の改良が必要だ。家族の半分はアメリカンサモアやニュージーランドなど現金収入が得られる所へ移住している。彼らの仕送りで、学費や生活必需品をまかなっている。人との付き合いを大切にするサモア人は冠婚葬祭の出費も大きい。その上教会への寄附も大きい。人々が牧師の生活費を支えているのだ。
 
  サバイィ島の東側に最初の宣教が行われた古い教会が残っていた。イギリスの宣教師たちが聖書をサモア語に訳したという。文字のなかったサモア語にアルファベットを当てて、訳するには大変な忍耐がいったことだろう。
 
  1830年から11年かかったそうだ。その下で伝道したという大きなタマリギという木の一部が今は教会の説教台として使われていた。外では日曜学校の子供たちが教会の庭掃除を手伝っていた。 なぜサモアにキリスト教がこんなにも根付いたのか不思議だが、それまで部族闘争に明け暮れていた人々がキリスト教によって、平和と先進国の様々な品物や医薬品を与えられたことが大きいと思われる。
 
  サバイィ島のドライブ旅行は信号のほとんどない舗装された道と少ない車のおかげで快適だった。人々はゆったりと緑の中にファレを構え、教会を中心に静かに暮らしていた。
 
  海はまさに群青色、観光客もほとんどなく、自然がそのままで残っていることは私達にはパラダイスだが、サバイィの人々にとっては産業がないということだ。伝統と近代化のちょうどよいところで止まってほしいと願うのは私達のわがままだろうか。
 
シリシリ山の花(千々岩壬氏提供)
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