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フィジーでは首都のあるスバには寄らず、国際空港のあるナンディのホテルに滞在した。フィジーはイギリスの植民地だったとき、サトウキビの開墾に多くのインド人を移民させたそうだ。
以来、今は44パーセントがインド系フィジー人で経済、政治に原住民のフィジー人と力が拮抗している。2006年にクーデターが起こり、2009年には民族平等を認める憲法が廃棄され、今のところ軍事政権が暫定政府の力を握っている。観光地のあるナンディでは人々は穏やかに生活している。日本からの飛行機の直通便はなくなったらしいが、ちらほら日本人にも出会った。
サモアやトンガから来てみると、道路も広く大きなスーパーマーケットもあり、近代化された都会だ。エスカレーターがあるビルディングがあり、本屋には新しい本が並んでいるので久しぶりに新本の匂いを嗅いだ。インド系の本屋の主人は、自分はフィジー生まれで、150年ほど前に先祖がここへ来た。インドへはいつか訪ねてみたいと語っていた。
野菜市場へ行くと目がくりくりとした人なつっこい顔のフィジー人のおばさん達が地べたに野菜を並べている。すぐ側にインド人やアラビア人も果物やナッツを売っている。手工芸品の市場ではインド系の人々が買わないかとうるさく迫る。フィジーの人々は黙々と木彫りをしている。
色々の人々が生きている世界だ。ナンディという町の突き当たりに、ヒンズーの寺院があった。シバの神を祀る本殿を中心に塔が立ち、壁や柱には色鮮やかに神の顔や姿、様々のシンボルがまばゆいばかりに描かれている。インド人の家族が供物を皿に盛って、お堂を裸足でお参りしながら巡っている。小さな子供も一緒だ。
仮装したフィジー人
ナンディの北にスリーピング・ジャイアントと呼ばれている山があり、丁度人が仰向けに寝ているような形に見える。その山の山麓に世界中から集めたというランの大庭園があり、色とりどりの花が咲き乱れていた。
庭園内には、小川や池があり、山麓にそってめずらしいランの園をめぐるピクニックを存分にエンジョイすることができた。
さらに、クイーンズロードを北へ進むと、ビセイセイ村にやって来た。この村は、昔、最初のフジーの原住民が上陸した地とされている。先のクーデターのときには、互いに対立する首脳がこの村の出身であり、村が政権対立の舞台となったところである。
さらに進むと、小高い所に出てきた。この土地をブンダ・ポイントといって、ナンディの沖合に点在するママヌザ諸島を見渡すことの出来る展望台があった。波静かな群青色の海域に浮ぶ大小様々な島々がリゾートエリアのメッカとなるだけの貫禄を呈していた。
島の周りには真っ白な海浜があり、宝島のような多くの無人島が点在していた。この丘を下りた所にブンダ・マリーナがあり、沢山のヨットが停泊していた。
フィジー第2の都市であるラウトカは、人口4万2千人の町で、サトウキビを栽培し、砂糖の積み出し港として、栄えている。ナンディから約20キロメートル北方に位置しており、途中の国道をドライブしていると至る所にサトウキビ列車のレールが縦横に走っていた。
ラウトカは、大きく分けて工業地区、商業地区および住宅地区の3区から成っている。
工業地区には、砂糖精製工場、パインツリーのチップの山、埠頭に停泊する貨物船が見られた。毎年、11月頃には、サトウキビの収穫が最盛期を迎え、トラックやサトウキビ列車がひっきりなしに行き交うようである。
商業地区には、バスターミナルに隣接して、屋内型の大きなマーケットがある。
住宅地区には、チャーチル公園、シムラ高級住宅地などがある。
ナンディから船に乗って近くの島へ行った。トレイジャーアイランドという島では1日海に潜って魚を見たり、島のホテルのプールで泳いだりした。観光客のために安全に設備され、食事もおいしいし、シャワー室も気持ちよく整備されていた。島に着いたときも帰るときも人々は海岸まで出てきてギターを持って歌ってくれた。
10日ぶりにサモアに戻った。じっとりと汗ばむ暑さだ。木々の緑が圧倒的に強く、波の音が荒々しい。山のような洗濯物と早速始まった食事の準備、しかし自分の家で生活することは何より充実していておもしろいと感じた。
ランの大庭園
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