|
アピア市内から空を見上げるとバエア山が聳え立っている。標高は470メートル程度であり、京都の大文字山とほぼ同じ高さである。写真に見るように緑の木々で被われた美しい山である。
C氏は、猛暑の日でも、土砂降りの日も欠かさず毎週週末にはトレーニングのため熱心に登山を続けている。彼は、サモア最高峰であるサバイィ島にある標高1,858メートルのシリシリ山、ウポル島の最も高い山である標高1,160メートルのフィト山にも登っている。また、富士山には80回以上登山し、さらに、世界の山では、標高5,950メートルのキリマンジャロにも登った経験の持ち主である。
我々も数回バエア山には登ったことがある。70歳前後の初老にはややきつめの登山ではあるが、頂上にある写真のラジオポストまで登り切った達成感は素晴らしい。登山口は、バイテレ・ストリートのツフィオーパに有り、途中では、アピア港の美しい光景を楽しみながら、コースの3分の2まで楽しいハイキングをすることができる。
最後の3分の1は、熱帯性密林の中をくねくねと七曲がりする山道を、難行苦行をしながら頂上まで登り詰めるコースである。山頂までゆっくり歩いて2時間程度である。
山頂からの下りに要する時間は、1時間程度である。ある日、牧場の近くを歩いていると、前方の崖地から大きな肉牛が2頭駆け上がってきて、道を塞いでしまった。我々は、牛の生態をよく知らないので、しばらく様子を見ていた、牛たちもこちらをジッと見て警戒しているらしい。
およそ20分もすると草をはみ出したので、その横を通過しようとした。そのとき突然こちらを振り向いて来たが、攻撃する様子もなかったので、静かに通りすぎることができた。我々との間隔は1メートル前後であった。この登山道では、野犬はよく出没するので、撃退する棒きれをもっていたが、牛には通用しない。
アピア湾よりのバエア山
もう一つの登山道は、アピアから4キロメートルほど行ったところにあるロバート・ルイス・スチブンソン博物館から山頂近くにあるスチブンソンの墓までのコースである。サモアでは「ツシタラ」として有名な小説家スチブンソンが、健康のため、最後の4年間を過ごしたバイリマ村には、広大な敷地に建つコロニアル風の2階建ての美しい住居が建っている。
入口の門から邸宅へ続く並木道は、英国調の庭園の雰囲気が漂い、鳥のさえずりが心地よい。ここから西方向に10分ほど平坦な道を歩き、バイリマ川の小さな小川を渡って、5分も登ると、山頂へ行く木道が2本に分かれている。所要時間35分の健脚コースと45分の普通コースに別れる。我々は、普通コースを歩いて、途中サモアの黒トカゲを見ながら、熱帯樹林帯をトレッキングした。すっかり気分爽快となり、森林浴を十分に満喫した。
山頂近くの見晴らしの良い丘にたどり着くと、そこには白い家の形をしたスチブンソンと彼の妻のファニーの墓がアピア港を見下ろすように佇んでいた。彼の墓標には、彼の生前の意思に従って、次のような詩文が刻まれていた。
広大な星の輝ける空の下に墓を掘って我を埋めたまえ、我楽しく生き、喜んで死す、・・・・・、海の水夫、丘のハンターとなりて・・・・・・
スチブンソンは、1894年12月に亡くなったが、その後バイリマ村は、ドイツの富豪である博愛主義者、続いてニュージーランド政府に統治されていたが、1962二年サモア独立後は、サモア政府に所属した。彼の100年紀の1994年には、R・L・スチブンソン博物館として公開された。
博物館には、当時のオルガン、喫煙室、暖炉、食堂、図書室、3寝室、および治療室などがあり、小1時間で1回りすることができる。
このように、バエア山は、サモア諸島が3,000年前から南東アジアからの移民達を受け入れ、1899年にはドイツの植民地となり、世界第1・2次戦争後にはニュージーランドによって委任統治および管理され、ようやく1962年独立し、その後今日に至るまでの悠久の歴史を見つめてきたのである。
バエア山の頂上にあるラジオポスト
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




