|
今朝の朝食は、シーリアル、パン、硬いパパイア、珈琲であった。宿泊料として1人65タラ支払って、午前8時出発した。メイン・サウス・コースト・ロードを、一路ムルヌウ岬を目指して西進した。
本日、4月5日(日曜日)はイースターサンデーであり、道中には多くのキリスト教徒達が男性は白い洋服、ネクタイ、ラバラバを着用し、女性は白いドレス、レース、帽子を、子供達も白い衣装をまとって三々五々、教会に向かって歩いていた。イエス・キリストの復活祭であり、年間行事として重要な日であった。
約25キロメートル行くと、ムリヌウ岬に向かう未舗装のツフタホェ・ロードがあり、そこを左折して行った。ツフタホェ村は、大変興味のある伝説、観光地、考古学上の遺跡に満ちている。例えば、マンゴ洞窟、湿原森林公園、古代スターマウウンド、岩盤水浴、海岸遊歩道などがある。
我々は、まず、サモア独立国の最西端にあるムリヌウ岬を訪問した。この岬は、この世で最も華々しい日没を見ることができる、最高の地点である。何故なら、日付変更線が間近に通過しており、世界で最後の日没を毎晩観賞することのできるスポットであるからである。そのため、この岬で日没を見に来る人々に対して、入場料1人10タラ、駐車料1台5タラを徴収していた。我々には、早朝であったため、ココナツの実を4個サービスしていた。
1991&1992のサイクロンで壊滅したカソリック教会
この地を襲った1990年2月のサイクロン・オファおよび1991年十2月のサイクロン・バルは、いずれもカテゴリー5であり、風速毎時200キロメートルであった。そのため、ファレアルポ半島の村々は完全に壊滅した。
村人達は、その後内陸部に移動し、国道沿いのファレアルポ・ウタ村を建設した。元の村は、ファレアルポ・タイと呼ばれている。写真にあるように、壊滅状態になったカソリック教会の石造建物が気味の悪い悲惨な姿を後生に残していた。
この教会から300メートル南西方向にロック・ハウスの看板があった。ここで、村の酋長がでてきて我々の説明役をしてくれた。十分ほど森の中を歩くと湿原地帯があり、さらに進むと岩盤を掘削して建設された洞窟であるロック・ハウスがあった。洞窟の中には、天然石で作ったアームチェアがあり、その周りには石のベンチが両サイドにあった。
伝説によると、ファレアルポの男性と女性がロック・ハウスの建設を競い合っていた。男性は右側を、女性は左側を掘削していた。最初の日の日没時には明らかに男性側が勝っていた。そこで女性達は、そこに留まって、男達が眠っている間、夜通し掘削を続けた。もちろん女性達が勝利を得たわけであるが、男性達はかんかんに怒って、掘削を放棄してしまった。そのために、右側の空間は未完成のまま残された。
その昔、このロック・ハウスには人食い人種が住んでいたと言う。初代国王であるマリエトア・タヌマフィリⅡがこのロック・ハウスにやって来て、アームチェアに座り、今後人食いを止めるように説得したと言われている。
案内人の酋長の説明によると、1991年のサイクロン・バルが村を襲撃したときには、村人達は、ロック・ハウスの手前にある湿原地帯の池に飛び込んで難を逃れた。さらに、68人の村人がロック・ハウスに7日間避難し、全員が救助されたそうである。避難中、大量の雨水が洞窟内に浸水してきたため、近くから大きな岩石を集めて床を造ったようである。これが、現在のベンチとして残されていた。ロック・ハウスにまつわる村の歴史を語ってくれた案内人の酋長に礼を言って、1人10タラを支払って別れた。
ロックハウスの入り口
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


