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2010年4月5日は、サバイィ島一周旅行の最後の日である。サモアに最初にキリスト教が伝来したのは、1830年にジョン・ウイリアムズ宣教師が、サバイィ島東部のサパパリイイ村を訪問したことに由来している。
その後、マナセ近くのアバオ村において、英語で書かれた聖書がサモア語に翻訳されている。我々は、これらのキリスト教の伝来の土地を訪問することとした。
まず、アバウ村にある小さなアッセンブリーチャーチを訪問した。ここでは、1834年から11年かけて聖書をサモア語に翻訳する仕事が初期の宣教師たちによって実施された。翻訳は、常に暑い日照をさけて、近くのタリエの大木の日陰で庭石に腰かけて行われた。
現在、教会の前庭には、記念碑が建立され、当時の庭石が花壇を飾っていた。また、このタリエの木が枯れたあと、その切り株で現在の教会の説教壇が制作されていた。案内していただいた若い宣教師の話によると、当時の教会と翻訳した場所は国道の反対側の山手にあったそうである。
このキリスト教会では、イースターマンデーの祭日であるにも拘わらず、多くの子供達が幼稚園に来ていた。子供達に別れを言って、つぎの村マウガを訪問することにした。
聖書のサモア語への翻訳記念碑
マウガ村は丸い直径150メートルほどのクレータの周りを囲ってできた大変めずらしい村である。このクレータは、今から1万年前から180万年前の第四紀更新世プライストーンの時代に大噴火したムリファヌア火山帯の噴火口である。
入り口には立派な教会が建てられていた。入り口に差しかかると子供達が3人やって来て、入村料として1人10タラ、車1台5タラを請求してきた。彼らのお小遣いになるのではないかと心配したが、これが子供達の仕事とする村のきまりのようでもあった。
クレータの周りには10軒ほどのファレが建てられており、中央の大きなトタン屋根を葺いたファレの集会場の中で会議が行われていた。クレータのセンターには深井戸があり、村の生活水をつるべでくみ上げていた。クレータの斜面は牧草で被われており、馬の放牧場に利用されていた。
メイン・ノース・コーストを南下していくと、プアプア村に到着した。ここには、海岸と国道を挟んで2つの水浴プールがあった。海岸側は女性専用で、山側の水路は男性専用であった。川の河口部に造られていたので、淡水であった。また、海岸沿いには、子供を抱いた聖母マリア様の像が入れられた聖堂が黒い3つの岩石の上に建てられていた。
さらに南下を続けると、サバイィ島の東海岸の美しい群青色とエメラルド色の美しい海岸にそって、シウフガ、ラノを経由して、サパパリイイ村にやって来た。ジョン・ウイリアムの記念碑が、写真に見るように、国道を挟んで、ロンドン宣教師協会LSMのサパパリイイ教会の前に建立されていた。
1830年、鉄器商人であり後に宣教師となったジョン・ウイリアムが自分で制作した「平和の使者」という船に乗ってこの地に上陸した。彼はそれほど長くは滞在しなかったが、強力な武将であったマリエトア・バイヌウポに出会って、キリスト教への改宗を説得するのに成功した。
これを契機にサバイィの人々はすべてキリスト教徒となったのである。このようにして、マタイ制度の力強い後援もあり、キリスト教がサモア全土に普及していった。
さらに南へ行くと、サバイィ島の主要な港町サレロロガへ到着した。この村は、ウポル島へ向かうフェリーボートの発着場であり、本日は、ウポル島の首都アピアに直行する新レディ・サモアⅢに乗船することができた。よく揺れたが、乗り心地はよかった。全室冷房がよく効いていた。超満員で超満車であったが、所用時間3時間でアピアに到着した。
ジョン・ウイリアムの記念碑
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