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「火事だ」と叫んだのは、サモアからアメリカン・サモアへ行く飛行機の中であった。15人乗りの小型プロペラ機であり、離陸直後に床から一斉に白い煙が客室にもくもくと充満してきたからである。他の乗客は平然として座っていた。
天井をみると、白い噴気がノズル穴から一斉に吹き出していたので、エアコンが壊れていると、とっさに分かった。しかし、それにしても室内の除湿装置が無いことには、まったく呆れるほかはなかった。小型飛行機は低空飛行しており、窓外の景色は大変素晴らしい。30分程度でアメリカン・サモアのタフナ空港に降り立った。
正式国名は、アメリカ領サモアであり、主島のツツイラ島の他に、アウヌウ島、マヌア諸島に属するオフ島、オロセガ島、タウ島、ローズ環礁およびスウエイン島の7島から成り立っている。全人口は7万人程度であり、その内80パーセントはツツイラ島に住んでいる。主たる産業は、マグロを缶詰にする企業、ココア、コブラ、バナナ、タロイモ等を栽培する農業、林業および酪農などがある。
アメリカ領サモアの歴史は、1899年までは西サモアとともに一つの国であった。しかし、サモア諸島における王位争いに内政干渉をしたアメリカ、ドイツ、イギリスの3国で行われたベルリン会議において、西経171度線を境に東側はアメリカ領となった。
その主たる理由は、1872年以降ツツイラ島にアメリカ海軍の太平洋地区における補給基地があったためである。それ以降、アメリカの海外領土として存在するが、サモア人に対して強い自治権を与えている。
クックス・クーム・ポイントと云われる景勝地
ツツイラ島は火山島であり、標高653メートルのマタファオ山をはじめ5山がひしめき合っている。タフナ空港から東方ヘ、11キロメートル行くと、首都パゴパゴに到着する。この町は、天然の良好パゴ・パゴ・ハーバーが深く切れ込んだ所に有り、2009年の地震津波によって壊滅的に破壊された痕跡が痛々しく残されていた。
その途中にレインメーカー山があり、この山の頂上に雲がかかると必ず雨が降ると云われている。サマーセット・モームの「雨」に登場する山である。さらに奥に進むとクックス・クーム・ポイントという細長い島が海上にぎざぎざした櫛の歯のように並んでいるのを眺望することができる。
さて、アメリカン・サモアには、ファノ・シマサキ大酋長の屋敷内に日本人の漁師達の墓がある。その昔、山口県出身の島崎政一郎氏がサモアに居住したことが岩佐嘉親著「サモア史(上)」1970年の中に記述されている。彼は明治9年2月に出生しており、明治29年7月、20歳のときハワイのサトウキビ畑の労働者として出港している。
その後、サトウキビ農場を脱出し、コックおよび土木技術者として、サモア国のパゴ・パゴ軍港建設のため出航している。軍港建設後、パゴ・パゴでは、レストランやパン屋を開設し、大いに繁盛したという。1902年、26歳の時には村の大酋長ファノ・ツイの娘ソリーヌと結婚している。子供8人、孫41人に恵まれたという。
その後、妻のソリーヌガ大酋長となり、彼女の没後は次男のファノ・シマサキがその村の大酋長になったということが、秋田大助著「大酋長のルーツーボランティアの先駆者島崎政一郎伝」1978年に記述されている。1956年島崎政一郎は高血圧のため80歳で永眠している。
帰路の小型飛行機は、エンジントラブルのため別便に変更され、さらにその飛行機も油圧機器の不調のため機材変更となり、計4時間遅れて離陸し、サモアには深夜に到着するなどさんざんな目にあって帰国することができた。
パゴ・パゴ・ハーバー
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