全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

南太平洋大学

 
南太平洋大学USP)は、大洋州フィジー共和国の首都スバァに本校があり、サモアに農学部、ソロモン諸島、バヌアツ、トンガ、キリバス、ツバル、ナウル、クック諸島、マーシャル群島、ニウエ、トケラウの10カ国にエキステンションセンターのある総合大学である。
 
上記の諸国が出資し、19702月に創設された大学であり、フィジーのスバァのラウカラ・キャンパスの面積は72.8ヘクタール、サモアのアラファ・キャンパスの面積は30.8ヘクタールである。
 
スバァの本校には、教育学部、天然資源学部、社会経済開発学部、エキステンション・サービス部、開発関係応用研究センター、また教育研究所、天然資源研究所、太平洋研究所、社会研究所、行政研究所、および大学図書館があった。
 
サモアでは、1962年、西サモア独立国として独立後、首都アピアに農務省の管轄下に熱帯農業専門学校が創設され、アラファ・キャンパスに施設が建設された。8年後には、南太平洋大学農学部として再編成された。
 
USPの特徴は、サモア以外にある各国のUSPセンターが人工衛星を使って、教育およびその他の業務連絡が行えることである。このUSPネットは、1998年から日本がオーストラリア、ニュージーランドと協調して実施した無償資金協力「南太平洋大学通信体系改善計画」により構築されたものである。これにより、同時双方向の音声と画像による遠隔教育が可能となった。
 
現在の南太平洋大学の全学学生数は、約2万人である。サモアには農業・食品工学科があり、スタッフは講師1名、ボーイズ3名、学生数は90名である。
 
全学組織は、教育、法律、言語メディアおよび社会科学を包括する法文学部、経済、会計、経理、財政、管理、国際法、マネジメント、観光開発、農業食品科学を包括する経営学部、および環境の開発保全、海洋、土地利用、地理学、生化学、情報工学、数学、物理学、統計学、海産物、および食品を包括する環境・理工学部の三学部で構成されている。
 
南太平洋大学キャンバス内のバイアンツリー
イメージ 1
 
USPでは、学部卒業生に対して、七種類の学士、すなわち農学士、芸術士、法学士、理学士、商学士、教育学士、および工学士の学位を与えている。また、大学院修了生に対しては修士および博士の学位を与えている。
 
あるJICAシニアボランティア、2008年3月〜2010年3月の間、南太平洋大学サモア分校農学部、現在の農業・食品工学科に着任した。彼は、家畜飼育に関する農場支援計画、年間計画、運営、保全に関するデータ処理およびレポート作成、農場技術職員への指導、および循環型農場システム、飼料製造機に関する訓練業務を担当した。
 
付属農場は、2009年12月より、研究・教育・普及トレーニング機関に属するようになったことにより、畜産部門の統括管理者として仕事をした。
 
彼の仕事の内容は、利益性の高いものに重点を置き、計画・収支計算、動物動態表による頭数管理、飼料発注のデータ管理、および廃墟となった畜舎の再利用であった。
 
中でも、養豚、養鶏に関する講義をし、地元農業委員会で活動した。サモアの鶏卵自給率を百パーセントにしようとする地元畜産家と交流し、現在の養鶏数を14、OOO羽から5OOOO羽に拡大する計画を立てた。
 
これは、いつ生産されたか分からない鶏卵の輸入品に代わって、新鮮な鶏卵を自給できる画期的な計画である。
 
飼料製造機は、日本からの援助金850万円によって購入したものであり、自給可能な主原料となる飼料用キャッサバの製造(収穫、洗浄、裁断、乾燥、粉砕)試験を行った。さらに、彼は付属農場畜産部門の統括指導を行ったこととして高く評価された。

サモア国立大学

 
サモア政府は、経済的自立に必要な知識と技術力を有した人材を育成するため、教育分野に力を入れている。サモア国立大学は、1983年に設立されたが、大学の組織、施設、機材の整備が立ち遅れていた。そのため、国内の人材育成が十分になされてこなかった。
 
サモア政府は、国立大学開発20年計画を作成し、2000年までの第一段階として、大学機能の移転、校舎および教育機材の拡充について、日本に無償資金協力を要請してきた。
 
日本政府は、1995年度〜1996年度、無償資金協力として、教育省サモア国立大学に対して、17.2億円を供与した。目標は、サモアの社会経済発展に貢献する人材を育成するために、サモア国立大学の教育水準を向上させることであった。
 
講義棟、実験実習棟、管理棟、図書館、集会場、学生厚生福利施設などの施設が建築され、実験実習機材、視聴覚機材、LL機材などの教育関連機材が整備された。集会場としては、サモアの伝統的建造物である「ファレ」が設置され、サモアの文化的特色が反映されている。
 
1997年8月、施設の建設と機材の設置が完了し、直ちにサモア側へ引き渡された。1998年度には、大学の施設管理者を日本に派遣して研修を受けさせるなど、今後の効率的な運営がなされるものと期待された。しかし、視聴覚機器、コンピュータ施設、薬品中和施設の維持管理の技術レベルが低く、また維持管理費が不足していた。
 
イメージ 1
 
2001年3月に実施された調査の結果、1997年から2001一年の間に学生数が2.2倍に増加したこと、集会場「ファレ」の使用は、有料で一般市民に休日解放されるなど多目的な利用が行われていること、および美観を保持すべき「ファレ」の木製屋根の一部に腐食箇所が出現していることなどが指摘された。
 
一方、JICA専門家及びシニアボランティアの派遣により、大学運営管理、日本の大学との研究交流、学生交流計画が積極的に進められており、良好な成果を上げてきている。いずれも、施設等の供与に留まらず、適切な技術協力が伴っており、プロジェクトの成功に繋がっていると評価されている。
 
大学の組織は、人文学部、商業・経営学部、看護健康科学部、理学部、教育学部、および工業高等専門学校、商業高等専門学校、海事訓練学校で構成されている。
 
あるJICAのシニアボランティアは、2006年サモア技術学院が再編成されて、サモア国立大学工業高等専門学校となった冷凍・空調学科において、教鞭を取ってきた。
 
着任時、学生の勤勉意欲が低いこと、時間にルーズであること、社会的に指導教科の必要性が不明確であること、および保守の重要性が理解されていないことを指摘していた。
 
彼は、まず業務用空調機のテキストを作成し、理論と実務との対応を明確にし、学生による卒業論文作成と発表会の指導に力を入れた。特に、空調部門における技術者認定制度の導入に努力したことが高く評価されていた。
 
空調機は非常に高い圧力と高電圧を取り扱うため、大変危険な作業であるため、このような技術者を認定する制度の導入は重要であった。その導入計画に対しては、総論賛成・各論反対の声があったが、サモア冷凍空調工業会の後援でようやく軌道に乗りだしたことなどの苦労話が披露された。
 
イメージ 2
 
最近では、大洋州国内の人材育成を目的としたオーストラリア太平洋カレッジの設立に伴い、サモアの人材を開発するプログラムが導入され、これが、サモア国立大学の学生数の増加に繋がるものと期待されている。
 
 小田実は、「何でも見てやろう」を書いて有名になった。世界中を回り、自分の等身大の目線でものを見て、書いた。べ平連(ベトナムに平和を世界連合)を作り、市民活動を続けた。私も「何でも見てやろう」の精神だけは持ち続けたい。
 
 サモア国立大学日本語科のお手伝いに来てくださいと言われて、さっそく行くことにした。日本文化の一端として、折り紙、習字、海苔巻きつくり、ゆかたの着付け等を授業の中に取り入れて、日本語の理解を深めるのだ。2月から6月までの前期の授業だ。
 
 サモア国立大学は十数年前に日本政府の資金で、アピアの郊外に、広大な敷地のキャンパスと校舎を建設し、3学部(経済、人文、看護)と附属の技術専門学校を擁する、学生数2、000人の現代的な大学として再出発した。門を入ると、大小の椰子の木々、美しく花を咲かせている大きな樹木、灌木の花々が咲き乱れるプロムナードが続く。
 
 刈り込まれた芝生は丘に続き、遠くにも校舎が見える。正面玄関を入ると、大きな楕円形の屋根のファレがどんと構えて、サモアらしい雰囲気だ。式典やイベントに使うため、片側に舞台がある。普段は学生が集会を開いたり、ゼミの授業をしている人影がみえる。
 
 美しい木枠の梁が大きな屋根を支えている。校舎はファレを中心に、渡り廊下でつながっている。教室は先生の権限で鍵がかかっているため、時間待ちの学生はホールや渡り廊下に設けられた木のベンチに坐り、本を読んだり、しゃべったりしている。
 
 そこに坐り、スケッチをしていると、「あなたはアーチストですか」と声をかけられたりして、楽しい。名前や家族のことなどを聞いて、親しくなれる。南太平洋に浮ぶ聞いたこともない島から来ている学生もいるのだ。
 
 語学は英語が中心で、中国語と日本語のみだ。フランス語もドイツ語もあったそうだが先生が不在のため開講できないのだ。日本語教室はLL教室のため、特別にエアコンがついている。椅子や机に小さく日の丸印がついているが、十数年の歳月で色褪せてみえる。
 
サモア国立大学 正面玄関
 
イメージ 1
 
 先生は日本に2年留学していた、サモア人の若い女の先生と、日本のJICAからの派遣ボランティアの先生の二人だ。テキストは手作りでプリントを渡している。遠い国日本のことを学ぼうとして、「あいうえお」から始め、あいさつが出来、カタカナで自分の名が書けるようになっていく。
 
 私の日本文化を経験する日は、見て、さわり、味わうことができるので、皆楽しみにしていてくれる。折り紙は、色の名前を覚え、和紙の手ざわりを知り、折る、たたむ、ふくらませる、のばす、結ぶ等の動作とともに言葉を覚える。着付けにも海苔巻きでも動作の言葉が使え、なるほど体を使って覚えるとはこういうことだと納得する。ゆかたの帯もうまく結ぶことができるようになった。
 
 学期最後の授業は日本文化を調べ、英語で発表するものだ。先生から本を二、三冊渡され、テーマを選び、インターネットなどで情報を集め、十分程度しゃべるのだ。私は順位を決めるジャッジ3人のうちの1人をさせてもらった。
 
 学生の選んだテーマは日本の食、衣、人口問題、茶道、能、神前結婚、日本の城、雛祭り日本の宗教と現代の思想等力量に応じて、よく調べて発表した。サモアには本よりもインターネットの時代が急速にやってきて、現代の若者らしく、コンピュータを駆使して、画像で実物をみせて説明するから説得力がある。
 
 教会で牧師の演説を聞き慣れているからか、しゃべるときも日本の学生のように照れたりせず、堂々としているのには感心した。について発表した学生が一位で、理解の深さ、英語力、構成力もよかった。
 
 見てきたように能について話すので、聞くとDVDで見たそうだ。ともあれ日本を見たこともない若者が、日本文化を調べ発表し、多少深く日本のことを知ってくれたことを嬉しく思った。
 
イメージ 2
 茶の湯を発表した学生が利休の「一期一会」のことを話していたが、サモアで学生とこのような機会をもてたことこそ、私の人生でまたとない素晴らしい出会いであったと心から感謝した。そしてこれからのサモアでの人との出会いを大切にしていこうと思った。
 
今日はサモアでの食事事情を紹介します。若いときは外国へ行くとき、日本食を持っていくことはなかった。現地ではそこのものが一番おいしいと思っていたからだ。しかし、今回は違う。長期だし、油っこい物を食べたくない年齢になっているからだ。
 
日本から1カ月半ほどかかって、船便が届き、中から梅干し、そうめん、みそ、干し椎茸などが現われると、涙が出るほど嬉しかった。実のところ、ここでもキッコーマン醤油、ミツカン酢、のり等は売られている。米もあるので、毎日の食事は基本的には和食だ。
 
アピアにはスーパーマーケットが知っているだけでも、6、7軒はあり、それぞれの店の特徴を知って買い物をすると、たいていの物は間に合う。他に野菜市場と魚市場が産地直送の品々を並べて売っている。サモアの特産はタロ芋、ブレッドフルーツ、バナナが有名だが、その他きゅうり、茄子、ショウガ、ささげ、かぼちゃ、チャイニーズキャベツという菜っ葉もの、せりのような香菜等は山のように売られている。
 
茄子などは一袋に30個ほども入っており、皮は固いし、種はあるしで買うと食べきるのが大変だ。タロ芋はゆがき、更にみそをつけて焼いて食べるとほくほくとしておいしい。こちらの人々は石焼きにしたタロ芋を、バルサミというココナツミルクのホワイトソースで芋の若葉をあえ、塩味強く味つけしたソースにつけ食べる。
 
果物はアボカド、レモン、パパイア、ドリアン、ドラゴンフルーツ、ササラッパ、甘柿のような味のするサプタ等々熱帯の甘く、ねっとりしたものが多くある。値段は安く、大きな物でも1個5ターラ(150円)くらいだ。まだ知らないものも沢山あり、知り合いから庭で採れた物ですと言っていただくフルーツもある。
 
ササラッパ
イメージ 1
 
 
しかし、日本で馴染みの、ほうれん草、キャベツ、レタス、玉葱、人参、じゃがいも等はニュージーランドからの輸入物で値段も日本並か、少し高い。メロン、西瓜、ぶどう、トマト等も輸入物でとても高いけれど、どうしても買いたくなる。
 
買う人は白人や日本人、またはホテル、レストラン用の物として買うようだ。ここでも栽培すればよいのに、太陽も水も十分あると思うが、暑すぎるのだろう。魚は毎朝、6時に港から直接市場で売り出す。台の上にじかに並べ、木の葉の付いた枝で蝿を追いながら売る。
 
日曜日の朝は魚も豊富で、サモア人でごった返す。買い物をしてから、教会へ行き、その日の午後は大ご馳走を家々や教会の仲間と食べるのだ。市場で目立つのは、頭部を切って並べたまぐろの群、焼いて食べるとおいしいそうだ。身は厚さ5、6センチの胴切りで一つ買って冷凍しておくと、いつでも刺身が食べられる。
 
鯛、鯖、鰺、鰹なども大きい物から小さい物まで多種多様。白身の鯛は塩をして昆布でしめておくと、押し寿司として使える。カラフルな、はたやべらのような魚、目の飛出した魚なども多く並んでいて、絵に描きたくなる。伊勢海老のような五色海老、ぞうり海老、貝などもある。オカというポリネシアン料理はココナッツミルクで刺身の角切りときゅうり、玉葱などをあえたもので、白ワインで食べるとよく合う。
 
千切りのキャベツを皿に沿ってきれいに丸く並べ、その上にそぎ切りまぐろをのせ、真ん中にわさびと醤油のたっぷり入ったボールを置き、つけて食べるサシミという料理は日本からのバリエーションだろう。日本人の男性で、単身で来ている人々の中には、研究熱心で、魚の名前や熱帯の果物、山々を歩いては花々を写真で収集し、公開している人もいる。
 
私も多くの名前を教わった。また自炊して料理に目覚める人々もあり、魚の捌き方も見事なものだ。ちなみにサモア語のレッスンの後、私宅で集まったときにはそれぞれの人が料理を作って持ち寄った。その時のメニューは刺身、白身魚の南蛮漬け、切り干し大根の煮物、野菜炒め中華風、ミックスサラダ等々。
 
私は何を作ったかと言うと、巻き寿司だ。ホテルのマネージメントを専門とする人もいてワインの選択から、手際よき皿の洗い方まで、実践しつつ教えてくれるのでありがたい。ひょっとして男性の方がやる気になると、料理のセンスは高いのかもしれない、とひそかに思っている次第だ。
 
ポリネシア料理 オカ
 
イメージ 2
 

サモアの歴史

 
1962年1月ニュージーランドから独立したサモアは、50年足らずの歴史を持っているにすぎない。さて、それまでのサモアはどんな歴史を辿ってきたかを紐解いてみよう。
 
ポリネシア民族は、ニュージーランド、トンガ、サモア、マーケサス、フィジー、タヒチ、イースター島、クックアイランド及びハワイなどに分布している。ポリネシアの起源といわれるモンゴロイドが、フイリッピン、インドネシアなどを経由してサモア諸島に到来し、ポリネシア文化を構築するようになったのは紀元前1000年頃だと言われている。
 
ファア・サモアと呼ばれるサモア民族の生活は、木片を擦り合わせて素早く火を付けられること、また、若者が12メートルもある椰子の木に登りココナツの実を採ってくること、さらに、村の女性達がココナツの葉を使って籠をつくり、ウム料理用の魚を包むことができるなど特色ある文化を持っている。
 
サモアの男達は素晴らしい芸人であるばかりでなく、祈祷、航海術、ファレの建設、漁などが得意である。
 
サモア諸島は、1722年オランダの探検家ヤーコブ・ロッヘフェーンにより発見され、1768年フランスの航海探検家ルイ・アントワーズ・ド・ブーガンビルが上陸している。
 
1830年には、イギリスのジョン・ウイリアムズ牧師がサバイィ島北岸アバオに上陸し、キリスト教を伝導している。1834年から11年かけて初期の宣教師達が聖書をサモア語に翻訳したと言う記念碑が、アバオのアッセンブリー・チャーチの前に建てられている。1838年には、アメリカのウイルス艦長がビンセンス号でサモアに寄港している。
 
1860年代になると、ウポル島のアピア港が世界の捕鯨船舶の補給港として繁栄し、イギリス、ドイツ及びアメリカが勢力を競ってきた。1887年〜1889年の間は「サモア危機」と呼ばれるサモア市民戦争が勃発していた。
 
この間、アメリカ、ドイツおよびイギリスがサモア諸島を統治する問題で鋭く対立していた。1890年には、「宝島」と「ジキル博士とハイド氏」の著者ロバート・ルイス・スチブンソンがウポル島バイリマ村で1.6平方キロメートルの農園を購入し、最後の4年間を過ごし、著作活動を続けるかたわら、マタイ達に法的な知識を与えるとともに、正しい市民運動を指導していた。
 
昔の国会議事堂
 
イメージ 1
 
1899年には、ドイツが西サモアを植民地とし、アメリカが東サモアを領有することとなった。西サモアでは、このころからマウ運動と呼ばれる反植民地化運動が盛んに行われるようになった。この運動は、1900年初頭にサバイィ島で始まった非暴力運動であり、1920年代後半には西サモア全土に広がって行った。「マウ」とは意見、強い力を表示する証言を意味している。マウ運動の指導者はサモアの伝統的なマタイ(首長)の人々で、その後援者達は白線の入った青色のラバラバを身に着けていた。
 
1919年は、ニュージーランドを施政権者とする国際連盟委任統治領となるばかりでなく、この年スペイン風邪で人口の20パーセントを失った。1929年12月28日、マウ運動は最高潮に達し、アピア市内で行われた平和行進中のパレードに、ニュージーランド警察が発砲し、11人のサモア人が死亡し、4人の大首長のひとりであるトゥプア・タマセセ・レアロフィ・オアッアナ二世が殺害された。「暗黒の土曜日」と言われているこの事件が、実質的に西サモア独立の引き金となった。
 
1945年の国際連合信託統治領を経て、1962年には「西サモア独立国」として独立した。1997年には国名を変更して「サモア独立国」となった。その後の大きな事件としては、2009年の車の左側通行への切り換え、及びウポル島南部の津波来襲などがある。
 
海岸のファレ
イメージ 2
 

.
mur*li*200*
mur*li*200*
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

登録されていません

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事