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バイシガノ川

 
アピア市内に流れ込む大きな河川として、バイシガノ川がある。この川は、ウポル島の最高峰である標高1,160メートルのフィト山の分水嶺から北方に流れ出す広大な流域面積をもつ河川である
 
サモアの人々はこの川に大変世話になっている。上流から流れ込む豊富な水で電気を起こし、飲料水かんがい用水工業用水などに利用している。
 
まず、上流域から見ていくと、1981年に建設されたファレ・オレ・フェ発電所がある。この発電所では、2カ所の川から取水した水が、水路を通り調整池を経由して、パイプで送水されている。すなわち、ファレ・オレ・フェ川から取水した水は2.6キロメートルの鋼管水路を通り、またバイバセ川から取水した水は1.4キロメートルの鋼管水路を通って、調整池に貯えられる。
 
ファレ・オレ・フェ川の流域面積は2.0平方キロメートルであり、その平均流量は毎秒0.15立方メートル、最大流量は毎秒2.9立方メートル、最小流量は0である。この調整池の大きさは、5,600立方メートルである。この調整池からは延長3.5キロメートルのペンストックと呼ばれる水圧管を通って流速毎秒0.67立方メートルの高圧水がドイツ製の発電機に送水される。有効落差は300メートルである。ここでの発電量は、1,740キロワットである。
 
中流域には、1959年に建設されたアラオア発電所がある。この発電所では、バイシガノ川の支流から取水した水が、2つの水路を通り調整池を経由して、パイプで送水されている。すなわち、東側の支流から取水した水は2.7キロメートルのコンクリート製の用水路を通り、また西側の支流から取水した水は0.2キロメートルのコンクリート製開水路を通って、調整池に貯えられる。
 
東側の支流の流域面積は16.5平方キロメートルであり、その平均流量は毎秒0.69立方メートル、最大流量は毎秒42.6立方メートル、最小流量は0である。
 
取水堰の例
イメージ 1
 
また、西側の支流の流域面積は12.5平方キロメートルであり、その平均流量は毎秒0.76立方メートル、最大流量は毎秒35.9立方メートル、最小流量は0であるこの調整池の大きさは、およそ15,000立方メートルである。この調整池からは延長150メートルのペンストックを通って流速毎秒0.96立方メートルの高圧水がドイツ製の発電機に送水される。
 
 有効落差は136メートルである。ここでの発電量は、1,050キロワットである。この発電所の各施設は老朽化が進んでおり、早急な整備または更新が必要である。
 
下流域には、1982年に建設されたサマソニ発電所がある。この発電所では、バイシガノ川から2系統で取水された水が、調整池を経由して、水圧管パイプで送水されている。すなわち、取水した水は鋼管パイプを通り、調整池に貯水される。
 
写真は、遺跡タコの家の近くにある取水堰の風景を撮影したものである。左側の堰を通過した水が鋼管パイプに引き水されているのである。余分の水は元の川に放流されている。調整池の大きさは、およそ10,000立方メートルである。
 
この調整池からは延長3,600メートルのペンストックを通って流速毎秒1.29立方メートルの高圧水がドイツ製の発電機2基に送水される。有効落差は86メートルである。ここでの総発電量は、1,900キロワットである。
 
いずれも流水式発電と呼ばれるものであり、ダム方式と比較して、環境に優しい発電方式である。また、長大な導水管や水圧管が山から谷に向かって、また村を通って大蛇のように横たわっているのが特徴的である。
 
これらの発電所を通過した水は元のバイシガノ川に戻されて行くので、下流域では再度同じ水を利用することとなる。
 
さらに、バイシガノ川の水は、飲料水としても重要な水源であり、写真に示すように、アラオア発電所の近くに大きな5個の直径約30メートルもある新しい貯水タンクが設置されている。雨季には、激しい降水のために上流の土砂を含んだ濁水が入り込むと、土砂の沈殿に時間がかかり、上澄み水が濁ったままで家庭に送水されることもある。
 
この時期は、できるだけ節水する必要があり、夜間給水制限が行われている。こうして、十二分に利用された河川水は、へとへとになってアピアの河口に到着し、波にもまれながら海へ流れていくのである。
 
飲料水用貯水タンク
イメージ 2
 

サモア駅伝競走

 
  2009年8月29日、ウポル島の東半分を走破するサモア・ペリメータ・リレーが開催された。サモア在住米国退役軍人会が企画・運営したものである。総距離102.4キロメートルを各チーム6名のランナーで走ることとなるが、各ランナーが3〜6キロメートルを4回に分けてリレーしていった。
 
   コースは、ウポル島の南海岸にあるシナレイ・リゾートを出発し、メイン・サウス・コースト・ロードを一路東方向に走り、さらに川を横断して、ラロマヌに至り、北上する。サムスから西方向に転じて、アフリロ・ダムを右側に見ながらリチャードソン・ロードを走り、レ・マファ峠まで登りつめ、レ・マファ・パス・ロードを北上する。その後、海岸線に出てから、さらに西方に向かい、メイン・イースト・コースト・ロードに沿って一路アピアを目指して邁進する。ゴール地点は、アピアの政府庁舎横の観光案内所である。
 
   出場チームは、全部で11チームであった。内訳は、消防署、警察、オーストラリア高等弁務所、ニュージーランド高等弁務所、アメリカのピースコという平和部隊、ランニングクラブ、国境無き技術者達およびJICAチームであった。わがチームは、計6名であった。いずれの選手も日頃からトレーニングを積み重ねた強豪である。
 
   今回の駅伝競走では、厳しい競技ルールが規定されており、バトンタッチの方法、伴走車に対する取り決め、走行時間の計測方法、区間走行速度など詳細な取り決めがなされていた。とくに、ランナーの誰かが走行不能となった場合、その残りの走行距離をその前後のいずれかの走者が走らなければならないこと、登録メンバー以外の人が走れば無効とされた。また、伴走車は2台と決められた。
 
   チームの出発時間は、事前に提出した5キロメートルの個人記録を基に算出された。出発時間は、チームの走行予測時間に合わせて時差を付けることとなった。出発時間の一番早いチームは午前2時であり、わがチームは下から4番目で、午前4時スタートとなった。
 
最終ゴール地点の横断幕
イメージ 1
 
  この駅伝競走は、われわれ全員で応援することとなった。伴走車は4台とし、前半、後半に分かれて分担することとした。夜間反射板付きゼッケンは、警備員から拝借することとなり、無事間に合った。
 
  当日は、事務所を午前3時に2台の車で選手6名全員が乗り込んで出発した。出発点のシナレイ・リゾートには、午前3時40分に到着した。途中の食事は、昨晩用意したおにぎり、巻きずし、バナナチップスなどを車中で食べることにした。
 
  とくに、夜間に出没する野犬に対しては、事前に、村のマタイに配慮していただくよう依頼してはいたが、ランナーの前後を2台の車ではさみ、野犬が入り込まないように気を付けた。
 
   ここで、エピソードを二つ紹介する。1つ目は、サラニ川を横断するとき、次のランナーを載せた前方先導車が、道を間違えて左折せずに真っ直ぐ行ってしまった。ランナーはちゃんと左折して行った。このとき後続車は、彼が突然左折したので、急にトイレでも行ったのかと思い、その地点で停車した。彼は戻って来ないばかりか、後続してくる他の車がどんどん左折して行った。そこで、初めて左折するのが正式なルートであると気がつき、彼を追うとともに、前方先導車に電話連絡した。その先導車は直ちにその地点まで引き返し、後方の車、ランナーを追い越して、間一髪で、中継点で次ぎのランナーを降ろして一安心という話。
 
   2つ目は、やはり同じ中継所のことである。先導車が先行して待機していたが、ランナーはその区間4人抜きで飛ばしてきたので、予定時間より早く着いた。突然ランナーが現れたので、車内にいた次のランナーが大慌てでスタートしたという話である。
 
   参加することに意義があり、完走することを目指したわがチームは、ボランティアチーム2位に入賞した。タイムも10時間24分と予想時間より2時間も早かった。夕刻には、16名がドミに集まり、打ち上げ会を行って、選手達を慰労した。

トギトギガの滝

 
ププ海岸からプエ山に至る広大な溶岩台地にあるオ・レ・ププ・プエ国立公園は、1978年、南太平洋で最初に制定されたものである。標高1、020メートルのプエ山と島の最高峰である標高1、160メートルのフィト山を結ぶウポル島の分水嶺からププ海岸に至る2、850ヘクタールの広大な森林公園である。
 
最初は、絶滅危惧種であるトンガの「フライングフォックス」というフルーツこうもりの生息地にする予定であった。最初の頃は、翼長1.5メートルもある巨大こうもりが森の樹の間を空高く旋回していたようである。しかし、不法な密猟が行われ、その数は激減していった。
 
今回は、7名で、メイン・サウス・コースト・ロードの北側にある天然記念物のマ・トリーからビジネスセンターを経てトギトギガの滝までハイキングした。
 
マ・トリーには、海岸道路駐車場から徒歩15分で到着した。山道は余り良くないが、一応は整備されていた。マ・トリーは、アオギリ科の樹木であり、樹高25メートル、幹周3メートルであり、板根が著しく発達している。
 
写真に見るように、厚さ5センチメートルの板状の根が、高さ3メートル、長さ10メートルにわたって、らせん状に渦巻きながら四方八方に伸びていた。熱帯地方に生息する樹木の特長であり、岩盤の上で強風にも耐えるための知恵であり、構造力学的には完成した根茎形態である。
 
アオギリ科樹木の板根
イメージ 2さらに、メイン・サウス・コースト・ロードから北方に3キロメートルほど4WDで行くと、ペアペアケーブという溶岩でできた洞窟がある。ここまで往復4時間でトレッキングすることもできる。また、トギトギガの滝からは、ガイドの案内で、往復3時間でハイキングすることもできる。
 
その東側には、東西300メートルに及ぶパ・トンガという防護壁がある。これは、昔トンガとの戦争で造られた高さ2メートルの要塞であり、考古学上重要な遺跡である。
 
この国立公園の東側境界線からメイン・サウス・コースト・ロードを東方に2キロメートルほど行くと、北方に20メートルほど入った所に、遺跡スター・マウンドが見られるようである。この遺跡は、中央サークルから8本の高さ一メートル、長さ5メートルの土手が伸びており、鳩を捕獲するためのプラットホームとして使われていたそうである。
 
マ・トリーから東の方向に歩いて行くとビジネスセンターへ出た、さらにイリイリ川にそって北上すると、マウンドと呼ばれる鳩を捕まえるのに使われたという小山のような遺跡があった。
 
その近くに、トギトギガの滝を見学する人達の駐車場と水着に着替えることのできる更衣室、トイレ、避難所が整備されていた。トギトギガの滝は、高さ5メートルほどの2段の滝から成り立っており、上段には広い滝壺があった。この滝壺でダイビングすることもできる。下段には水泳を楽しむことのできる広大なプールがあり、河川敷へと連結していた。
 
水量は毎秒5立方メートルほどあり、豊かな水量のために、美しい大滝の迫力があった。
 
イメージ 1この滝は11月から4月の雨季の時期が美しく、乾期では水量がすっかり減少してしまうのである。泳いだり、丸い薄っぺらな石ころを拾っては、川面に投げ飛ばし、何回ジャンプしてどこまで遠くまで飛ばすことができるかを競い合っていた。
 
 
 
 

オレプププエ国立公園

 
 サモアの国立公園として有名なオ・レ・ププ・プエ国立公園を探索する機会を得た。ウポル島の南部に位置しており、標高1、020メートルのレ・プエ山の火山活動によって流れ出した溶岩台地が国立公園として指定されている。ププとは、コースタル・ウォークあたりの海岸の地名である。プエ山からププ海岸までの広大な国立公園である。
 
我々8名が車2台でアピアを午前10時に出発した。アピア市内は晴れているが南方に雲があり、天気が余り勝れないと懸念された。ウポル島を南北に走るクロス・アイランド・ロードの峠に達するとポツポツと雨が降ってきた。
 
20キロメートルほど走ると、メイン・サウス・コースト・ロードと交差する。ここを東に折れて4キロメートルほど行くと、コースタル・ウォーク・トレールという海岸へ通じる入り口があった。
 
ここでは、かなりの雨が降っていたので、車を駐車させ、小さなファレに入って雨宿りをした。しばらくすると、雨は小やみになってきたので、先発隊3名が出発することとなった。この海岸へ通じる道路は3.2キロメートルの悪路であり、4WDの車しか通行できないため、C氏の車しか通行できなかった。そのため、N氏の車は入り口に駐車させた。
 
C氏の車で駐車場まで行った後、ピストン運転で後発隊の4名を載せての往復運転となった。途中2カ所に岩盤の露出した窪地があり、車の底を摺るはめになった。また、道路にはみ出したかやの背の高い草地に突入することとなり、うまく洗車することができた。
 
出発点に戻る途中でかなりの雨が降り出した。後発隊の4名はすっかり戦意を喪失したようで、ハイキングの中止を考えるようになった。しかし、天候の回復を願って、後発隊4名を載せて駐車場まで移動した。
 
岩礁に押し寄せる波怒涛
イメージ 1
 
一方、先発隊の3名は1キロメートルに及ぶコースタル・ウォーク・トレールを歩き始め、約5分で海岸線に達し、その後は、溶岩台地でできた荒々しい海岸線に沿って移動した。途中から強い雨がふりだしたが頑張って歩行を続けた。
 
しかし土砂降りとなったため、カッパも役に立たず、歩行が困難となったので、携帯電話でC氏を呼び出し、進退を伺った。C氏はすでに後発隊の戦意喪失と強雨のため中止を伝えに先発隊を追いかけていた。そこで、残念ながら今回は探索中止となった。
 
その後、3週間が経った土曜日、再度挑戦することとなった。我々7名で、午前10時アピアを出発した。途中、標高800メートルの峠で小雨が降ってきた。11時頃海岸への入り口に到着した頃には天候は回復していた。
 
駐車場までの悪路地帯では数人が降車し、車の安全走行を計った。駐車場からは徒歩25分で荒々しい波の打ち寄せる溶岩からなる断崖絶壁の海岸に到着した。津波来襲地帯であるため、巨大な大波の恐怖感で足がすくんでしまった。予測不可能な大波が打ち寄せ、ブローホールからの強烈な噴水があり、ずぶ濡れになった。
 
黒色の溶岩台地には、スベリヒユという多年生植物が自生しており、肉質の小さな葉を試食してみると酸味の利いたヌメリがあり、美味であった。その他、ササや小さな灌木が生育しており、溶岩地帯が現在の島となる過程で、溶岩を地覆する植物成長体系の原点を見るようであった。
 
断崖絶壁の岩盤の上には、タコの木が沢山自生していた。岩盤は堅くて根を張ることができないため、地上に直径3センチメートル、長さ1メートルほどの8本の根茎を伸ばし、木の幹を支えている。この構造は海岸部の強風に対しても十分に耐えることのできるものであった。
 
 
南洋の太陽が照りつけるこの溶岩大地に腰かけ、我々は昼食を取った。みんなで持ち寄ったおにぎり、かつおの醤油煮、ベーコン、にがうり、および冷凍バナナを楽しくいただいた。押し寄せてくる波浪を見ていると、日本の東尋坊にも勝る絶景に感動し、次のような俳句を吟じてみた。
 
岩壁に打ち砕かれる夏怒濤    PO TU
 
オ・レ・ププ・プエ国立公園のコースタル・ウォーク海岸
 
イメージ 2
 

ウム料理

 
サモアで最も伝統的で有名な料理方法としてウム料理がある。ウムとは、焼き石かまどのことである。村の首長であるマタイが、若い男性が一人前になるために、その調理方法を教えている。各家庭には、トタン屋根の調理小屋があり、その中央部には石を焼くための火床が設置されている。
 
日曜日の早朝から準備をし、教会から帰ってきた人たちをもてなすもので、聖餐(トウナイ)と言われている。我々は、ウム料理の見学と試食会に参加するため、まず、サバイィ島のプアプアにあるサモア人のLさんの家庭を2泊3日で訪問する機会を得た。
 
早朝から私達のためにウム料理の準備が始まった。お母さんが青いバナナの皮を剥き、水に漬けてさらしていた。隣の煮焚き用の小屋ではココナッツの殻の炭が燃え、ごろ石が赤く燃えていた。
 
息子達が庭を走り回る子豚を1匹掴まえて、丸焼きの準備をした。首を絞め、動かなくなるまで押えた後、火のところで毛を焼くとつるつるの白い肌が表われた。さらに湯を掛け、ナイフで丁寧に毛を剃っていた。つぎに、ナイフで内臓を取り出し、きれいに洗った後、燃えた石をお腹に入れ、臭みをとるためにマンゴーの木の葉を更に押し込んだ。
 
初めは少しかわいそうだ等とも思って見ていたが、次第に豚は食材に見えてきた。息子達は黙々と手際よく作業を進めていた。娘はかぼちゃの皮を空き缶できれいに削り取った。最後にそれらをタロ芋青バナナとともに、パンの木の葉等を重ねた火の床で蒸し焼きにしていた。
 
教会から帰ってきた私達は、トオナイ(聖餐)として、豚肉、鶏肉、タロ芋、バナナ、かぼちゃやトマトにラーメン入りのスープなどたくさんのご馳走をいただいた。食事はまずお祈りで始まり、栄養豊かなウム料理を堪能させていただいた。
 
次に、訪問する機会を得たのはウポル島のKさんの家庭である。日曜日の朝十時頃訪問すると、すでに真っ赤になった焼き石からなる火床が用意されていた。石の大きさは直径10センチメートル程度である。
 
薪や椰子の実から作った炭などを使って、数多くの石を十分に焼き上げていた。この焼き石を広げてヤム芋、皮を剥いたバナナ、ブレッドフルーツなどを焼いた。片面を焼いた後反転した。
 
ウム料理用の焼き石からなる火床
イメージ 1
 
焼き上がる前に、カワハギという魚をバナナの葉でくるみ形がくずれないように丁寧に編み上げた。さらに、ココナツミルクを2・3枚のタロの若葉でこぼれないようにしてくるみ、さらにアルミホイールで包囲した。これはパルサミと呼ばれ、タロ芋やヤム芋に付けて食べる調味料である。
 
我々も一部手伝うことができ、パルサミは自分自身のものをそれぞれ作成することができた。最初は、ココナツミルクをタロ芋の葉っぱで包むことができず、こぼしたりしていたが、何とかうまく包み込むことに成功した。
 
つぎに、バナナの葉っぱを何枚か敷き、その上に先ほどの魚、マーケットから買ってきた鶏肉、豚肉を置き、パルサミを包んだアルミホィールを並べていた。これらの食材の上にバナナの葉っぱを10数枚覆い掛け、熱が逃げないようにて、おおよそ40分間蒸し焼きにしていた。
 
楽しみにしていたウム料理がテーブルに並べられると、豚肉や鶏肉の良い匂いが漂ってきた。また、鶏肉と野菜を入れた美味しいスープが出された。さらに、ムニエル風に調理された魚料理、コンビーフ(塩漬けにした牛肉)が出された。
 
お腹一杯になってしまったが、さすがはサモア人、ケロッとしていた。楽しい会話の一時をすごすと、これまた偉大なるアイスクリームのかたまりが大きな器に入れられて配膳されてきた。これにはすっかりたまげたが、別腹にすっぽりと入ってきたのは何と不思議なことであった。
 
サモアの家庭では、毎週の日曜日、教会へ行き、その後、家族と共に美味しいウム料理を聖餐として食しているのである。広い調理場があり、食材が豊富にあり、さらに燃料費が安いことなど、これは大変うらやましい生活習慣であると思った。
 
火床の上にバナナの葉っぱを敷き、その上にパルサミを置いている
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