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フィラリア病の撲滅

 
西サモア独立国にWHO(世界保健機構)サモア・フィラリア・コントロール・プロジェクトができたのは1976年の頃である。WHOは、人々の健康を基本的人権の一つとして捉え、その達成を目的として設立された国際連合の専門機関である。
 
健康とは、完全な肉体と精神状態にあり、社会福祉にある状態を指し、単に疾病または病弱でないことではない。そのために、病気の撲滅のための研究、適正な医薬品や医療技術の向上だけでなく、災害時の緊急対策や感染症対策など多くの活動を行っている。
 
熱帯性のフィラリア病とはどのような病気なのか。最近はあまり罹らないが、日本でもフィラリアという寄生虫によって、陰嚢水腫を起こし巨大になった自分の陰嚢に腰を降ろした患者がいたようである。また、フィラリアという寄生虫を人に運んでいるのはであることも明らかにされている。
 
フィラリアという寄生虫は人の体の中、とくにリンパ節にすみ、リンパの流れを悪くして象皮病を引き起こす。脇下のリンパ節に入れば、手がグローブのようになり、股間のリンパ節だと足が象の脚のようになる。また、フィラリアは、雄雌揃うと、子虫を血液中に生み出す。蚊に刺されると、血液中のその子虫が吸い出され、蚊の体内でその子虫は育てられ、次の人まで運んでいくのである。
 
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Iさんは、1977年2月にサモアへ着任し、WHOのフィラリア・プロジェクトに参加した。ウポル島とサバイィ島の間にある周囲2キロメートルのマノノ島などに赴任して蚊の生態に関する研究を行った。このプロジェクトはWHOが企画し、西サモアが同意し、日本政府が援助協力するものであった。さらに、途中からは、アメリカのボランティアも参加してきた。I氏は昆虫部門の助手としてはたらくこととなった。
 
フィラリアは蚊と人に頼って生きている寄生虫であるので、これを撲滅するには、人の体に寄生しているフィラリアを殺す方法、蚊をすべて殺してしまう方法、および蚊がフィラリアを運べなくする方法がある。西サモアにおけるフィラリアの調査、撲滅および駆除は過去に何回か実施されていた。
 
これまで、1965年と1971年の2回にわたって全住民投薬法によってフィラリア病の感染率を20パーセントから0.1パーセントまで減少させている。ジェチルカルバマジン(DEC)は人の血液中に生み出された子虫を退治する薬である。
 
一盛和世著「六色クレヨンの島・サモアの蚊日記」(文化出版局、昭和58年6月)によると、「この薬は、体重1キログラム当たり1錠6ミリグラムを12回飲まなければならない。これをサモアで実施できたのは、教会組織、大家族の集団であるマタイ制度が大いに役にたったそうである。また、小さな島国で、絶対人口が少なかったこと、昼間の間に子虫を生み出すという性質が昼間での血液検査を容易にしたこと」が挙げられる。
 
このフィラリア・プロジェクトの目的は、その後の感染状態の把握、人と蚊のフィラリアの陽性率を調査して将来の感染をコントロールすることであった。そのため、チームは人の血液検査治療する人、および蚊の生態調査、実験、駆除を担当する人に分類された。I氏は蚊のチームに参加され、毎日夜昼問わず村から村へと巡回し、勢力的に調査活動を実施された。
 
西サモアには、蚊が11種類いるが、フィラリアの媒介をする蚊はポリネシエンシスとサモアヌスであることなどが明らかにされた。
このプロジェクトの成果のお陰様で、我々はこの病気に罹らなくても良いことは大変素晴らしいことである。
 
バニアンツリー
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日付変更線

 
地球儀の縦の線、つまり子午線である経線のゼロ度はイギリスのグリニッジを通過している。この線が世界中で使っている時間の基準である。そこから順々に経線を辿っていくと、時間は東へ行くほど進み、西へ行くほど遅れてくる。地球儀を赤道で分割すると、中心角360度の円が見えてくる。これを24時間で一周すると、1時間は中心角15度に相当する。こうして地球儀を動かしていくと、地球を半周したところに太平洋がある。東経180度進んだ時間と西経180度遅れた時間が一致する。
 
18世紀の航海者達は日付変更線の必要性を最初に認識した人々である。19世紀になると、太平洋の中央部で日付を変えることが慣習的に行われていた。1884年にワシントンで開催された万国子午線会議で経線ゼロ度がグリニッジを通過することが決定された。その後、経度180度を基準に同一国内で日付がかわることを避け、北側ではベーリング海峡を東へ、アリューシャン列島で西へ曲げられた。
 
 
日付変更線とは、その線を越えると日付を変えるように定めた線であり、太平洋上の東経180度(西経180度)の子午線を基準に陸地を避けて折れ線状に設定されている。航空機や船舶が東から西へ超える場合は日付を一日進ませ、西から東へ超える場合には一日遅らせるのである。日付変更線は気をつかって、1つの島、1つの国を昨日と今日に分けないように避けて通っている。
 
サモア諸島創造の伝説として、岩佐嘉親「サモア史」(大陸書房、1970年)によると、『タガロアラギという神様が、天の上から下界を見下ろしてあくびをした。さすがの神様も視界に広がる単調な青い海にはたいくつしていたようである。そこで神様はこの大海原に自分が遊びに行けるように足場を造ってみようと思い立った、そして、そこは神様、思ったことはすぐにできる。見事に「マヌッアテレ」と呼ばれる岩がポツンとできた。「うん、これはよい、もっと造ってみよう」と言われた。出来映えに気を良くした神様は、足場は多い方が良いとマヌッアテレ岩を割って、沢山のかけらを造り、それを拾い、大きな海にばらまいたのである』と説明されている。
 
太平洋に散らばる無数の島々はこのようにして誕生したのである。なかにはタガロアラギが、やれやれ一仕事終わって、両手をパンパンと払ったときに落ちたほこりでできたのではないかと疑わせるような小さな島々もある。神様はうっかり造ってしまったのかも知れないが、そこにも人々が暮らしている。
 
 
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例えば、サモア独立国の北方に位置するキリバス共和国はギルバート諸島、フェニックス諸島およびライン諸島の一部からなり、33の環礁が赤道付近に3,800平方キロメートルに渡って散らばっている。このキリバス共和国の国土の中央を日付変更線が通過していたために、一つの国が時間的に分断されていた。
 
1995年、キリバス共和国は日付変更線の東側の時間を24時間進め、全国同じ標準時間を設定した。そのため日付変更線は大きく東側へ移動し、キリバス共和国は世界で最も早く日付が変わる国となった。日付変更線は、南太平洋に散在する国と国の間でさだめられたので、複雑になっている。
 
ちなみにサモア独立国は最も遅くに日が暮れる国となっている。たまたま、海の上を日付変更線が通過するのでよかったが、これが大陸の沢山の国々を通過するのであったら大変なことになる。隣の町まで出かけるのに昨日になったり、今日になったり混乱してしまう。隣町の学校やオフィスに行く度に、日曜日が2回来たり、また無くなったりと大変であろう。
なお、サモア独立国では、まもなく日付変更線を変えて、キリバス共和国と同様に、世界で最も早く日付が変わる国になるようである。
 
ジャックフルーツ(千々岩壬氏提供)
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キリスト教の伝来

 
2010年4月5日は、サバイィ島一周旅行の最後の日である。サモアに最初にキリスト教が伝来したのは、1830年にジョン・ウイリアムズ宣教師が、サバイィ島東部のサパパリイイ村を訪問したことに由来している。
 
その後、マナセ近くのアバオ村において、英語で書かれた聖書がサモア語に翻訳されている。我々は、これらのキリスト教の伝来の土地を訪問することとした。
 
まず、アバウ村にある小さなアッセンブリーチャーチを訪問した。ここでは、1834年から11年かけて聖書をサモア語に翻訳する仕事が初期の宣教師たちによって実施された。翻訳は、常に暑い日照をさけて、近くのタリエの大木の日陰で庭石に腰かけて行われた。
 
現在、教会の前庭には、記念碑が建立され、当時の庭石が花壇を飾っていた。また、このタリエの木が枯れたあと、その切り株で現在の教会の説教壇が制作されていた。案内していただいた若い宣教師の話によると、当時の教会と翻訳した場所は国道の反対側の山手にあったそうである。
 
このキリスト教会では、イースターマンデーの祭日であるにも拘わらず、多くの子供達が幼稚園に来ていた。子供達に別れを言って、つぎの村マウガを訪問することにした。
 
聖書のサモア語への翻訳記念碑
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マウガ村は丸い直径150メートルほどのクレータの周りを囲ってできた大変めずらしい村である。このクレータは、今から1万年前から180万年前の第四紀更新世プライストーンの時代に大噴火したムリファヌア火山帯噴火口である。
 
入り口には立派な教会が建てられていた。入り口に差しかかると子供達が3人やって来て、入村料として1人10タラ、車1台5タラを請求してきた。彼らのお小遣いになるのではないかと心配したが、これが子供達の仕事とする村のきまりのようでもあった。
 
クレータの周りには10軒ほどのファレが建てられており、中央の大きなトタン屋根を葺いたファレの集会場の中で会議が行われていた。クレータのセンターには深井戸があり、村の生活水をつるべでくみ上げていた。クレータの斜面は牧草で被われており、馬の放牧場に利用されていた。
 
メイン・ノース・コーストを南下していくと、プアプア村に到着した。ここには、海岸と国道を挟んで2つの水浴プールがあった。海岸側は女性専用で、山側の水路は男性専用であった。川の河口部に造られていたので、淡水であった。また、海岸沿いには、子供を抱いた聖母マリア様の像が入れられた聖堂が黒い3つの岩石の上に建てられていた。
 
さらに南下を続けると、サバイィ島の東海岸の美しい群青色とエメラルド色の美しい海岸にそって、シウフガ、ラノを経由して、サパパリイイ村にやって来た。ジョン・ウイリアムの記念碑が、写真に見るように、国道を挟んで、ロンドン宣教師協会LSMのサパパリイイ教会の前に建立されていた。
 
1830年、鉄器商人であり後に宣教師となったジョン・ウイリアムが自分で制作した「平和の使者」という船に乗ってこの地に上陸した。彼はそれほど長くは滞在しなかったが、強力な武将であったマリエトア・バイヌウポに出会って、キリスト教への改宗を説得するのに成功した。
 
これを契機にサバイィの人々はすべてキリスト教徒となったのである。このようにして、マタイ制度の力強い後援もあり、キリスト教がサモア全土に普及していった。
 
 さらに南へ行くと、サバイィ島の主要な港町サレロロガへ到着した。この村は、ウポル島へ向かうフェリーボートの発着場であり、本日は、ウポル島の首都アピアに直行する新レディ・サモアⅢに乗船することができた。よく揺れたが、乗り心地はよかった。全室冷房がよく効いていた。超満員で超満車であったが、所用時間3時間でアピアに到着した。
 
ジョン・ウイリアムの記念碑
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溶岩流地帯

 
サモアが火山地帯にあるため、各所に「ラバ・フロー」と呼ばれる溶岩流地帯が存在する。今回のサバイィ一周旅行では、最も新しいアオポ火山帯に属するアオポとマウガの溶岩流地帯を中心に訪問することとした。
 
2010年4月4日、メイン・ノース・ロードのバイサラ村において、昼休みを取った。昼食は、近くのバイサラホテルのバイキング料理をいただいた。テラスからの眺めは壮観であり、美しい海岸で、透明な海水中にところどころサンゴ礁が点在していた。さすがホテルの料理だけあって大変美味であり、1人25タラ支払って、アオポの溶岩地帯を目指した。
 
アオポ村はサバイィ島の中央北部にあり、ラバ・フローのど真ん中に位置している。1760年、標高1,625メートルのアフィ山大噴火し、溶岩流がアオポ村の西側を通過し、北方向、北西方向および北東方向に流れ出し、16キロメートル離れた海岸地帯の多くの村々に大被害をもたらした。
 
また、1902年には、標高1,578メートルのムー山小爆発し、アオポ村の南部に流れ込んでいる。溶岩はきわめて新鮮な玄武岩であり、土や植物を含んでいない。この溶岩は、12,000年前から始まる第四紀完新世ホロセン中期から後期に噴火したプアプア火山地帯の上に堆積している。
 
海岸部からアオポ村付近の植生は貧弱であるが、標高が高くなるに従って降水量が多くなり、植生は豊かになっている。サバイィ島で最も高い山は、標高1,858メートルのシリシリ山であり、同時にサモア諸島の中でも最高峰である。シリシリ山を中心に東西方向に連峰が重なり、ツアシビ山脈と呼ばれている。
 
溶岩流に取り囲まれた教会建築
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サバイィ島の地図をよく眺めてみると、島の東半分には沢山の大きな川が流れているが、西半分には殆ど川が存在していない。これは何故であろうか。
 
1つ目の原因は、通常の雨雲は東から流れ込んで西に向かっているが、東側では高い山の斜面に衝突して降水量は増大し、西側では山の尾根を超えると降水量が減少するためである。
 
2つ目の原因は、島の西側を被っているムリファナウ火山帯は、1万年前から180万年前の第四紀更新世プライストーンに属しており、他の火山帯と比較して、特に透水性が顕著であり、雨水は地表面を流下することなく、ただちに岩盤に吸い込まれていくためである。この現象はウポル島でも同様である。
 
日も暮れてきたので、今夜はマナセで宿を取ることにした。途中、内陸部の村レツイにあるペアペア洞窟に立ち寄った。ラバ・チューブと呼ばれる空洞は国道の真下の浅いところにあり、多少の危険を感じながら探検した。
 
入り口からさほど遠くはないが、真っ暗のなかで懐中電灯を付けて、ようやくつばめのを一つ見つけた。マナセの海岸は、海水の透明度は若干落ちるが、白砂の汀があり、近くにサンゴ礁があり、色々な魚が泳いでいた。サモアンファレは広く、椅子、テーブルを置いたテラスもあった。一晩ぐっすりと寝て、早朝宿を発ち、次のマウガ溶岩地帯を訪問した。
 
第四紀完新世後期である1905年から1911年の6年間、標高690メートルのマタバヌ山が大爆発し、溶岩流が北東方向に流れ出し、海岸部のマウガ村、サレアウラ村など5つの村々が大きな被害を被った。
 
サレアウラ村では、写真に見るように、厚さ2メートルの溶岩に半分埋没したLMS教会が当時の溶岩流のすさまじさを物語っていた。溶岩の流れた黒い痕跡がそのまま残されていた。溶岩流が少女の墓の周りをとりまいたが、その前で留まって墓を守ったという。
 
この少女はマタイの娘で、肺結核で亡くなったが、きわめて純情な心の持ち主であったそうである。立木も勢いよく溶岩をはねのけて大きく成長しているのも見られた。
 
溶岩流で押し流されたサレアウラ村
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キャノピー・ウオーク

 
ファレアルポ半島北部は、1,200ヘクタールにわたる広大な低地熱帯雨林の保護地帯として、1989年認定された。これは、アメリカの民族植物学者で、海洋環境保護組織の創立者であったポール・アラン・コックス博士の貢献による所が大きい。コックス博士は、当時、ファレアルポ村の土着の治療師と共に働いていた。
 
ある時、この地域の首長が、小学校を建設する費用を捻出するために、いやいやながら日本の木材会社と契約しているのを発見した。村人全員が熱帯雨林の消滅することを悲しんでいることを知り、コックス博士は私財を投げ打って小学校の建設を行うことを決心した。このことを知った村の首長は、9キロメートル先のブルドーザによる森林伐採現場に駆けつけ、中止させたそうである。
 
この地域は、1900年代初頭の2個のサイクロンによって、60パーセントの樹木が破壊され、鳥類の数も激減したが、今日では回復に向かっているようである。
 
北側の舗装されたファレアルポ・ロードの中央部に、この熱帯雨林の樹海を一望に見渡せることのできる高さ約30メートルのバニアン(アオア)と言う樹木に架けられた吊橋展望台があった。この展望台にたどり着くためには、100段ほどの階段を上っていく必要があった。
 
階段は巨大なバニアンの樹木にらせん状に張り付けてあった。となりのバニアンの樹木との間には、歩行者用の吊り橋が架けられていた。長さは24メートルで、高さは9メートルであった。カナダ政府の寄贈によるものだそうである。
 
バ二アン樹林間に架け渡された吊橋
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我々は、まず、小学校の横にある管理事務所で1人10タラを支払って、吊り橋の「キャノピー・ウオーク」をエンジョイすることとした。階段を30段ほど登り、1人ずつ吊り橋を渡っていった。足もとが震えるほどではなかったが、華奢なワイヤで連結してあるだけのもので、多数の体重の大きなサモア人と一緒に渡ることは大変危険であった。
 
それでも、熱帯雨林の樹海を宇宙遊泳しているようで、とても楽しい気分であった。渡り終わってから、さらに階段を70段ほど登ると展望台に到達した。北西側にはファガレレ湾を遠望することができた。他の方角には、各種の熱帯雨林が、所狭しと繁茂していた。
 
ちなみに、バニアンの樹木はサモアの記念樹に指定されているもので、一つの木の枝に鳥が運んできた種が生長してできた、やどり木の気根が地面に向かって降りていき、地面に達すると根を生やして幹となり、複数の幹で構成される森のような樹木に成長する。
 
大きく成長したバニアンの親木は枯死して、中央部に大きな空洞ができている。たわみ性構造であるため、強風に対する抵抗力はかなり大きいと考えられる。
 
次に訪問したのは、近くの国道沿いにある「モソ・フットプリント」である。これは、1家族の屋敷内にあり、1人10タラを支払って見学することができた。幅1メートル、長さ三メートルほどの岩盤の表面に長さ2メートルほどの右足の足跡が残されていた。足跡の周りには、白い貝殻で装飾してあった。
 
伝説によれば、「モソ」と呼ばれる怪物がフィジーからサモアヘ渡るときに、右足の一歩をここに残したと言われている。フィジーを出発するときの左足の足跡は、ビチレブ島にあるらしい。科学的には、ラバが冷えて固まるときクラックが発生し、岩盤はいろいろな形に変形する。サイクロンによって、表面の岩石が吹き飛ばされて、この足跡が露出したのだと説明している。
 
 さらに、メイン・ノース・コーストを東方向に進むと、サタウタ村に入った。この辺りから東西方向に延長40キロメートルほどの大断層が走っているそうである。
 
巨人の右足の足跡
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