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オレプププエ国立公園

 
 サモアの国立公園として有名なオ・レ・ププ・プエ国立公園を探索する機会を得た。ウポル島の南部に位置しており、標高1、020メートルのレ・プエ山の火山活動によって流れ出した溶岩台地が国立公園として指定されている。ププとは、コースタル・ウォークあたりの海岸の地名である。プエ山からププ海岸までの広大な国立公園である。
 
我々8名が車2台でアピアを午前10時に出発した。アピア市内は晴れているが南方に雲があり、天気が余り勝れないと懸念された。ウポル島を南北に走るクロス・アイランド・ロードの峠に達するとポツポツと雨が降ってきた。
 
20キロメートルほど走ると、メイン・サウス・コースト・ロードと交差する。ここを東に折れて4キロメートルほど行くと、コースタル・ウォーク・トレールという海岸へ通じる入り口があった。
 
ここでは、かなりの雨が降っていたので、車を駐車させ、小さなファレに入って雨宿りをした。しばらくすると、雨は小やみになってきたので、先発隊3名が出発することとなった。この海岸へ通じる道路は3.2キロメートルの悪路であり、4WDの車しか通行できないため、C氏の車しか通行できなかった。そのため、N氏の車は入り口に駐車させた。
 
C氏の車で駐車場まで行った後、ピストン運転で後発隊の4名を載せての往復運転となった。途中2カ所に岩盤の露出した窪地があり、車の底を摺るはめになった。また、道路にはみ出したかやの背の高い草地に突入することとなり、うまく洗車することができた。
 
出発点に戻る途中でかなりの雨が降り出した。後発隊の4名はすっかり戦意を喪失したようで、ハイキングの中止を考えるようになった。しかし、天候の回復を願って、後発隊4名を載せて駐車場まで移動した。
 
岩礁に押し寄せる波怒涛
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一方、先発隊の3名は1キロメートルに及ぶコースタル・ウォーク・トレールを歩き始め、約5分で海岸線に達し、その後は、溶岩台地でできた荒々しい海岸線に沿って移動した。途中から強い雨がふりだしたが頑張って歩行を続けた。
 
しかし土砂降りとなったため、カッパも役に立たず、歩行が困難となったので、携帯電話でC氏を呼び出し、進退を伺った。C氏はすでに後発隊の戦意喪失と強雨のため中止を伝えに先発隊を追いかけていた。そこで、残念ながら今回は探索中止となった。
 
その後、3週間が経った土曜日、再度挑戦することとなった。我々7名で、午前10時アピアを出発した。途中、標高800メートルの峠で小雨が降ってきた。11時頃海岸への入り口に到着した頃には天候は回復していた。
 
駐車場までの悪路地帯では数人が降車し、車の安全走行を計った。駐車場からは徒歩25分で荒々しい波の打ち寄せる溶岩からなる断崖絶壁の海岸に到着した。津波来襲地帯であるため、巨大な大波の恐怖感で足がすくんでしまった。予測不可能な大波が打ち寄せ、ブローホールからの強烈な噴水があり、ずぶ濡れになった。
 
黒色の溶岩台地には、スベリヒユという多年生植物が自生しており、肉質の小さな葉を試食してみると酸味の利いたヌメリがあり、美味であった。その他、ササや小さな灌木が生育しており、溶岩地帯が現在の島となる過程で、溶岩を地覆する植物成長体系の原点を見るようであった。
 
断崖絶壁の岩盤の上には、タコの木が沢山自生していた。岩盤は堅くて根を張ることができないため、地上に直径3センチメートル、長さ1メートルほどの8本の根茎を伸ばし、木の幹を支えている。この構造は海岸部の強風に対しても十分に耐えることのできるものであった。
 
 
南洋の太陽が照りつけるこの溶岩大地に腰かけ、我々は昼食を取った。みんなで持ち寄ったおにぎり、かつおの醤油煮、ベーコン、にがうり、および冷凍バナナを楽しくいただいた。押し寄せてくる波浪を見ていると、日本の東尋坊にも勝る絶景に感動し、次のような俳句を吟じてみた。
 
岩壁に打ち砕かれる夏怒濤    PO TU
 
オ・レ・ププ・プエ国立公園のコースタル・ウォーク海岸
 
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ウム料理

 
サモアで最も伝統的で有名な料理方法としてウム料理がある。ウムとは、焼き石かまどのことである。村の首長であるマタイが、若い男性が一人前になるために、その調理方法を教えている。各家庭には、トタン屋根の調理小屋があり、その中央部には石を焼くための火床が設置されている。
 
日曜日の早朝から準備をし、教会から帰ってきた人たちをもてなすもので、聖餐(トウナイ)と言われている。我々は、ウム料理の見学と試食会に参加するため、まず、サバイィ島のプアプアにあるサモア人のLさんの家庭を2泊3日で訪問する機会を得た。
 
早朝から私達のためにウム料理の準備が始まった。お母さんが青いバナナの皮を剥き、水に漬けてさらしていた。隣の煮焚き用の小屋ではココナッツの殻の炭が燃え、ごろ石が赤く燃えていた。
 
息子達が庭を走り回る子豚を1匹掴まえて、丸焼きの準備をした。首を絞め、動かなくなるまで押えた後、火のところで毛を焼くとつるつるの白い肌が表われた。さらに湯を掛け、ナイフで丁寧に毛を剃っていた。つぎに、ナイフで内臓を取り出し、きれいに洗った後、燃えた石をお腹に入れ、臭みをとるためにマンゴーの木の葉を更に押し込んだ。
 
初めは少しかわいそうだ等とも思って見ていたが、次第に豚は食材に見えてきた。息子達は黙々と手際よく作業を進めていた。娘はかぼちゃの皮を空き缶できれいに削り取った。最後にそれらをタロ芋青バナナとともに、パンの木の葉等を重ねた火の床で蒸し焼きにしていた。
 
教会から帰ってきた私達は、トオナイ(聖餐)として、豚肉、鶏肉、タロ芋、バナナ、かぼちゃやトマトにラーメン入りのスープなどたくさんのご馳走をいただいた。食事はまずお祈りで始まり、栄養豊かなウム料理を堪能させていただいた。
 
次に、訪問する機会を得たのはウポル島のKさんの家庭である。日曜日の朝十時頃訪問すると、すでに真っ赤になった焼き石からなる火床が用意されていた。石の大きさは直径10センチメートル程度である。
 
薪や椰子の実から作った炭などを使って、数多くの石を十分に焼き上げていた。この焼き石を広げてヤム芋、皮を剥いたバナナ、ブレッドフルーツなどを焼いた。片面を焼いた後反転した。
 
ウム料理用の焼き石からなる火床
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焼き上がる前に、カワハギという魚をバナナの葉でくるみ形がくずれないように丁寧に編み上げた。さらに、ココナツミルクを2・3枚のタロの若葉でこぼれないようにしてくるみ、さらにアルミホイールで包囲した。これはパルサミと呼ばれ、タロ芋やヤム芋に付けて食べる調味料である。
 
我々も一部手伝うことができ、パルサミは自分自身のものをそれぞれ作成することができた。最初は、ココナツミルクをタロ芋の葉っぱで包むことができず、こぼしたりしていたが、何とかうまく包み込むことに成功した。
 
つぎに、バナナの葉っぱを何枚か敷き、その上に先ほどの魚、マーケットから買ってきた鶏肉、豚肉を置き、パルサミを包んだアルミホィールを並べていた。これらの食材の上にバナナの葉っぱを10数枚覆い掛け、熱が逃げないようにて、おおよそ40分間蒸し焼きにしていた。
 
楽しみにしていたウム料理がテーブルに並べられると、豚肉や鶏肉の良い匂いが漂ってきた。また、鶏肉と野菜を入れた美味しいスープが出された。さらに、ムニエル風に調理された魚料理、コンビーフ(塩漬けにした牛肉)が出された。
 
お腹一杯になってしまったが、さすがはサモア人、ケロッとしていた。楽しい会話の一時をすごすと、これまた偉大なるアイスクリームのかたまりが大きな器に入れられて配膳されてきた。これにはすっかりたまげたが、別腹にすっぽりと入ってきたのは何と不思議なことであった。
 
サモアの家庭では、毎週の日曜日、教会へ行き、その後、家族と共に美味しいウム料理を聖餐として食しているのである。広い調理場があり、食材が豊富にあり、さらに燃料費が安いことなど、これは大変うらやましい生活習慣であると思った。
 
火床の上にバナナの葉っぱを敷き、その上にパルサミを置いている
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サイクロン

 
  2010年2月13日サイクロンがサモアに来襲してきた。さて、台風、ハリケーンおよびサイクロンの違いは何であろうか。
 
  台風は、日本を含む北西太平洋や赤道以北の東経180度以西100度以東の南シナ海で発生する熱帯低気圧で、最大風速34ノット(毎秒17.2メートル)以上のものである。
 
  また、ハリケーンは、大西洋、北東および北中太平洋に発生する熱帯低気圧のうち最大風速が64ノット(毎秒33.0メートル)以上のものである。
 
  さらに、サイクロンは、熱帯低気圧のうちインド洋および太平洋南部で発生するもので、最大風速34ノット以上のものである。
 
  今回のサイクロン南半球で発生したので、台風とは異なり、暴風の旋回方向は右廻りで移動するのが特徴的である。2月9日、熱帯低気圧がトケラウの南方、サモアの北方に囲まれた海域に発生し、東進した後、2月11日に反転し、南西方向へ向かっていった。
 
  2月12日午前1時には、サモアの首都アピアの東256海里(474キロメートル)にあり、南緯14.2度、西経168.6の位置にあった。同日午後7時にはアピアの南東137海里(254キロメートル)と最も接近した。
 
  このサイクロンの名前は、トロピカルサイクロン「レーネ」と命名された。大きさはカテゴリー2に分類されていた。中心気圧は980ヘクトパスカル中心風速は60〜70ノット(毎秒31〜36メートル)であった。
 
  半径50海里(93キロメートル)では風速47ノット(毎秒24メートル)であり、南東方向の半径160海里(297キロメートル)および北西方向の半径120海里(222キロメートル)の暴風域では風速33ノット(毎秒17メートル)を記録した。進行速度は10ノット(時速18.5キロメートル)、進行方向は南西方向から西南西方向へ転じると予測された。
 
サイクロンの目
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  同日17時30分には、サモアのウポル島東部から南東部における沿岸地域に暴風注意報が、ウポル島全域に強風警報が、サバイ島南東部には強風注意報が、ウポル島には洪水注意報が発令された。
 
  このサイクロンの進路は、アメリカンサモアを経由し、2月13日には中心気圧950ヘクトパスカルに成長してサモア沖合を通過し、2月15日にはカテゴリー4、中心気圧940となり、トンガ王国へと勢力を増しながら移動していった。
 
  サイクロンの移動に伴って、風の方向は南方面から北方面へと変化するが、日本の台風とは全く逆であった。
 
  アピアでは、2月12日に強風警報、洪水注意報が出されたため、サモア政府関係者は午後から休業となった。これに準じて会社、お店なども逐次休業に入っていった。サモア人は2日間の食糧と、水道の断水に備えて飲料水を買い求め、停電に備えて懐中電灯やローソクを買いそろえていた。
 
  午後3時頃には帰宅を急ぐ車のために各所で交通渋滞が発生するなどしていた。サイクロンの大きさ、進路予測などはテレビでは全く放映されることなく、わずかラジオで放送されるだけであった。情報はすべてインターネットで、サモア気象台およびフィジー気象台から逐次発表される進路予想、サイクロンの規模、カテゴリー分類、中心気圧などを知ることができた。
 
  サモアでは、ウポル島東部から南東部における沿岸地域、および山岳地域に暴風が吹きあれていたが、大きな被害は報道されていなかった。
  進路は、日本とは反対に、このサイクロンは赤道付近に誕生した後東進し、偏東風にのって反転し、南西方向に進路を取っていくのは大変興味のある所である。 
 
 
 
 

ト・スア海溝

 
サモア唯一のアドベンチャーポイントは何処かと尋ねられたなら、まず答えられるのはウポル島の南海岸に位置する「ト・スア・オーシャン・トレンチ」という海岸沿いにある大きなたて穴と洞窟である。
 
この「ト・スア海溝」は、火山活動によって海へ流れ出した非常に温度の高い溶岩が海水と接触したときに発生するいくつかの水蒸気爆発によって形成された、きわめて珍しい地形・地勢である。
 
12月中旬、総勢15名が3台の自家用車に分乗して午前10時に出発した。アピア市内から南方へクロスロードを経由して南海岸に達した後、東方へ左折し、サラニ川を横断してロトファガを超えたところにあり、所用時間1時間15分で到着した。入り口には椰子の木が聳えた天然の公園があり、色とりどりの花が満開であった。各自入園料20タラを支払って入場した。
 
まず目に入ったのは、深さ20メートル直径10メートルと50メートルぐらいの大きな2つの穴であった。この2つの穴には海水が進入していて、地下の天然水路トンネルで外海と相互に連結していた。この洞窟の海水面まで25段の梯子が架けられており、12メートルほど降りていくと水面に達することができる。
 
我々一行は、海の見える丘に立てられたサモアンファレで休憩をした。ファレは風通しのよい高床式の小屋であり、広さは15人が一同に会することのできる程度の大きさであった。
 
椰子の葉っぱで葺いた屋根をささえる木の柱が数本あるだけの、まさに雨をしのげるだけの簡素な造りであった。ここで、まずは各自が持ち寄ったおにぎり弁当、寿司、色とりどりの料理、各種トロピカルフルーツからなる豪華な昼食を楽しんだ。
 
ト・スア海溝
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我々の最初のアドベンチャーは、直径50メートルの洞穴に降りていくことであった。梯子の一段の長さは50センチメートルほどあり、慎重に踏み外さないようにして、つぎつぎと降りていった。先に降りていった連中は水面を泳ぎながら「キャーキャー」言っている。
 
何事かと思ったが、実は海水が相当な勢いで動いているではないか。どこから海水が入ってくるのか全く分からなかったが、どうやら洞穴の底部で外海と連結した洞窟があるようだ。この海流に流されまいと懸命に泳がなければ暗くて深い洞窟に吸い込まれてしまいそうだった。
 
あとで分かったが、この海流はおよそ10秒の周期で往復運動をしているので、中央部におればただ漂っているだけで十分安全であった。水底洞窟の大きさは、幅1.5メートル、深さ3メートル、奥行き5メートルであった。
 
この真っ暗な水中空間を通って外海に出るには相当勇気のいることであり、さすが、スノーケリングの得意な若いTさんは、優れた冒険家であった。海流の方向と流速の大きさを読み取り、5メートルの水底トンネルを、スイスイと通り抜けて外海に入っていった。
 
次のアドベンチャーは、近くの浜へ泳ぎに行くことであった。この浜はプライベートビーチと呼ばれるほど急峻な崖地に囲まれた狭隘な浜であるが、結構激しい波浪が押し寄せていた。潮流が激しく外洋へ泳ぎ出すことはできなかったが、楽しく波遊びができた。
 
最後のアドベンチャーは、波怒濤が激しく打ち寄せる岩場海岸の探検である。そこは極めて激しい地形であり、波浪がどの程度の規模で打ち寄せてくるのか皆目分からなかった。しばらく観測していると、岩場にある無数の洞窟にどのように海流が流れ込んでいるのか、また、周期的に打ち寄せる波のしぶきや吹き出してくる洞穴の位置などが分かってきた。
 
それでも、突如押し寄せる波のエネルギーを考えると、とっても近寄ることのできない箇所もあった。海流の移動が激しい入り江には、珊瑚礁や熱帯魚がおり、スノーケリングを楽しむことができた。
 
溶岩でできた岩盤の上に形成された水たまりは太陽熱のために熱せられ、丁度温泉につかっているようで、久しぶりの保養気分であった。その間、波浪の撮影に熱心なC氏は波をかぶって、大切なカメラをだめにしてしまった。崖プチで遊んでいたK嬢は大きな波をかぶって、びしょぬれになっていた。
 
打ち寄せる大きな砕波
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蛸の家

 
世の中には伝説と言われる物語が沢山ある。はてさて、サモアではどうであろうか。アピア市の郊外を流れるバイシガノ川に沿って南方へ10キロほど行った所に「蛸の家」というストーンヘンジがあるとことを耳にした。
 
早速訪問することとした。雨季であったので、しかもよく雨が降る所で、道中がぬかるんで歩行困難となるそうだ。天気が安定する週末を狙って計画を立てた。自動車はRAV4でアピア市内を午前10時すぎに出発した。同乗者は5人である。
 
約30分ドライブしたところに出力1、900キロワットのサマソニ発電所に至る水圧管と調整池があり、その側に駐車した。この調整池の大きさは1万立方メートルあり、バイシガノ川の支流から2本の水圧管で取水していた。これは、いわゆる流水式と呼ばれている水力発電形式で環境によく適応したものである。
 
我々一行は、この調整池を後にして、上流にあるインテイクと呼ばれている取水堰まで約1時間半、マギアギと呼ばれる村を、悪路に沿って大蛇のようにぐねぐねと蛇行する直径60センチメートルの水圧管を横に見ながら、トレッキングをした。天候は、一時霧雨もあったが、暑くもなく快適な良い天気であった。
 
この取水堰よりさらに上流へ少し登ったところに「オクトパス・ロック」と呼ばれているストーンヘンジがあった。サモア語ではファレ・オレ・フェ「蛸の家」と呼ばれている。これは数多くの石柱や石板を4重にして水平に並べた2メートル四方の土台とその周りに半径3メートルの円周上で鉛直に配置された8本の石柱からなる遺跡ではあるが、誰がいつ頃立てたのかは不明である。
 
ファレ・オレ・フェ 蛸の家
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数多くの伝説があり、この場所は、大昔にウポル島の南方から戦士が移り住んだ所であるという。彼は、昼間は人間の姿をしているが、夜になると大ダコに変身し、バイシガノ川を下り、アピアの海まで行っていたという。ある日、サイナという娘と恋に落ち妊娠させてしまったという。
 
彼は、女房の出産のときに、喜びの大声を出してはならないという掟を守らなかったために、その後姿を現すことはなかったという。その子供はバイリマという村で元気に育ったと言われている。
 
なお、この場所の地主で牛の放牧場のオーナーをしている農業省の副大臣の話によると、標高460メートルの溶岩地帯に、珊瑚でできた白色の大きなコーラルロックがこの遺跡の近くにあり、これこそこの大ダコが運び込んだという。太古の時代に海底火山で石灰岩や珊瑚からなるコーラルロックなどが陸上に浮上したのかも知れない。
 
西欧にある話で、大きな蛸が船を沈めるという伝説、英雄色を好むという話とか、人魚姫の伝説などと同様、各地方に根付いた伝説を聞いていると、夢があり楽しい気分となる。
 
我々一同は、スケッチをしたり、写真を撮ったりして楽しいひとときを過ごした。その後、サモア電力公社に所属する取水堰公園にまで戻り、持ち寄った寿司、卵焼き、パイナップル、パパイヤ、にぎりめしを各自ほおばって昼食をとった。
 
数多くの熱帯樹林、とくに珍しい「アオア」という細い幹が数10本重なり合って樹幹を構成する背の高い天然木に目を注ぎながら思い切って新鮮な酸素を吸うことができ、たっぷりと森林浴に浸ることができました。
 
大タコが運び込んだという石灰岩
イメージ 1 帰路は、牛の放牧場を通過したとき、牛の真っ黒な溶岩のようなを踏んづけてしまったというY嬢の叫び声、ココアの実がなるのを見つけたC氏の歓声、木根の横で晩婚を気遣うY氏の優しい声と、楽しい1時間半でした。
 
我々老夫婦は、先ほど出会った農業省の副大臣の車に乗せてもらって、らくちんらくちんでした。
 
 

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