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独立記念日

 
サモアの独立記念日は毎年6月1日に指定されており、今年2010年は48回目の独立記念祭が盛大に開催された。開催地はアピア港の西側に位置するムリヌウ半島の先端にある国会議事堂前の広大な芝生広場である。
 
当日は、朝早くから大勢の人々が集まり、多少の雨模様であったが、国家元首、首相、要人とともに、トンガ王国国王、アメリカサモアおよびトケラウからの客人をお迎えして、午前7時に神へのお祈りとともに記念式典が開催された。
 
まず、最初に、国家元首であるツイ・アツア・ツプア・タマセセ氏から次のようなスピーチがあった。「我々は、先祖の人達がわれわれの土地、文化、伝統、言語、歴史、権利と義務および自由などの神聖なる財産を守り、継続していくために大変な苦労と犠牲を払って来たことを思い起こさなければならない。この上に立って、サモア人であることの喜び、サモア独立国に生活していることの幸せを祝福することができる。また、家族や友人が健康で、平和に暮らしていけること、病気や貧困が蔓延していないこと、子供達がすこやかな心を持ち、近所の人々に対して親切であることを祝福することができる。この式典において、我々は2009年9月29日に発生した津波によって、サモア、アメリカンサモアおよびトンガに大きな犠牲者が出たことを思い起こさなければならない。このとき、世界各地から復興活動に多大なる支援をしていただいたことに心より感謝しなければならない」下略
 
独立記念式典での行進
イメージ 1その後、国歌が演奏され、サモア独立国の国旗が掲揚された。同時に21発の礼砲が発射された。続いて、警察のブラスバンドに引き続いて、学校関係者、役所、企業、病院などの団体によるパレードが実施された。それぞれ行進旗をかざして整斉堂々と行進していた。
 
午前9時からは、各村、各学校関係者などから余興、サモアンダンス、マスゲームなどが披露された。色とりどりの衣装をまとったサモアの人達の踊りは美しく、南国の風情を十分に楽しむことができた。
 
昼休みの後、午後3時になると各種の授与式が行われた。さらに、各村からのドネーション伝達式があり、大きな豚の丸焼きが運び込まれていた。また、縦3メートル、幅5メートル程度の美しいファインマットが披露され、献上されていた。マイクの前ではマタイの人が挨拶にでて、各種のドネーションについて説明した後、村人達に号令して、楽しいダンスを披露していた。
 
6月4日の新聞「サモアオブザーバ」において、編集長であるサベア・サノ・マリファ氏は、次のような記事を載せていた。「今週、我々は第48回目の自由の旗をチアフアウに掲揚した。我が国は発展途上国であり、我々の前進を阻むものは何もない。48年間の準備期間を経て、我々は強力な国家を建設することのできる知恵と方策を持ってきた。確かに、我々は政治的に独立しており、高等教育を受けた労働力を持ち、また大量の農業労働力と肥沃な土地を持っている。さらに、我々の周りには漁業に適した海域があり、それにもまして大切な自由がある。ところが、我々には国の統一感覚が欠けている。我々の努力目標に対する国民の結束力が欠けているために、統一行動がとれないのが現状である。マヌ・サモア・セブンスが世界大会で大勝利を得たのは、正に選手達の結束力の偉大さによるものである。
 
パレード
イメージ 2力を結束すれば山をも動かすことができ、バラバラであれば何事も達成することができない。言質ともに統一することが国を退廃させないための要である。子供達の教育と将来性を確保するためにも我々は結束していかねばならない。」

サモアのスポーツ

 
サモアにおける代表的なスポーツは、ラグビー、ボートレース、水泳、クリケットなどがある。アピア郊外にあるスポーツコンプレックスと呼ばれる広大な体育施設には、タッチラグビー、ホッケィ、サッカー、アーチェリー、バレーボール、クリケット、水泳、柔道、レスリング、ウエイトリフチング、ゴルフ、ベースボール、ソフトボールなどの各競技場がある。
 
また、アピア市内にあるアピアパークには、ラグビー、バスケット、テニス、ネットボール、トラック・フイールド・イベントなどの競技場があり、極めて恵まれたスポーツ環境にある。
 
2010年6月には、サモアのラグビーチームであるマヌ・サモア・セブンがIRB(International Rugby Board)セブンスにおいて世界1位であると認定された。オーストラリア、ニュージ―ランド、フィジーなどの強豪を制覇し、最後には英国スコットランドセブンスとエジンバラで闘い、優勝杯を獲得した。
 
そのため、サモア政府は6月7日(月)を休日にして彼らの快挙を国民全員でお祝いをした。近年のマヌ・サモア・セブンスの活躍には目覚ましいものがある。また、日本とサモアとの間のラグビー試合が、アピアパークにおいて頻繁に行われている。
 
屋内水泳プール
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同年6月1日の独立記念日の前日には、ボートレース大会が開催された。この競技は毎年この時期に開催されるもので、今年は7団体が参加した。フアウタシというボートの艇長はさまざまであるが、平均20メートルはあり、選手の平均人数は40人程度である。
 
まず、プラスチック製のオールをもったフアウタシが午前8時15分にファレウラを出発し、約10キロメートルの位置にあるアピア港を目指した。優勝はデジセル・セガバオというフアウタシに乗船したドン・ボスコであり、準優勝はアオト・パゴパゴというフアウタシに乗船したアメリカンサモアであった。
 
他の競技は、木製オールをもったフアウタシが午前9時に出発し、マノノ島のファレウ村から2チームが参加した。ドン・ボスコは、自動車整備などを専門とするカレッジの学生であり、4週間のトレーニング合宿で日夜鍛えたようである。
 
フアウタシは、木製の長いボートを男性30〜40人が座って一緒に漕ぎ出すものである。ほかの1人が太鼓を叩いて、みんなの漕ぐペースを監督する。このレースには男性しか参加できないことになっている。昔、サモアの先祖は海洋民族であり、南太平洋の島々を渡って移動していった際に使用されたのが、このフアウタシとよばれるボートであった。フアウタシレースは、スポーツだけでなく、サモアの古い歴史を物語るものである。
 
サモア語でキリキティと呼ばれるクリケットも盛んであり、毎年9月に開催されるテウイラ祭りには、フアウタシレースとキリキティコンペが盛大に開催されている。キリキティは、村の広場でレクレーションとして、男性も女性もエンジョイしている。
 
1チームの構成メンバーは不定であり、何人入っても良いことになっている。ボールはサモア産のやわらかい自然ゴムを使用しており、バットは三角形をした軽くて強いフアイと呼ばれる木でできている。
 
野手はバッターをはらはらどきどきさせるために、大声で叫んだり、手を叩いて踊ったりする。バッターはすべてのボールを打たなければならない。キリキティはサモアの陽気なスポーツの一種である。
 
 ウエイトリフチングやボクシングも強く、2008年の北京オリンピックにサモアから選手が出場している。このように、サモアの人達はスポーツが大変好きである。
 
練習中のフアウタシ
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サラムム海岸

 
サモアにおける母の日は、5月第2週の週末を含む3連休である。この日に総計21名からなる合同BBQが開催された。早朝から魚市場でBBQの材料買い出しに行った。ここでは、紐に繋がれたアジ20匹、伊勢エビ10匹、草履エビ5匹を購入し、リンマーケットでステーキ肉などを購入した。
 
これらを調理した後、午前10時には車5台に分乗して、事務所を出発した。クロス・アイランド・ロードを南下し、シウムで右折し、メイン・サウス・コースト・ロードを西方へ約18キロメートル行くと、サラムム海岸経由サモアナ・リゾートへ通じる看板があり、その後未舗装道路約5キロメートルをドライブした。途中で入村料車1台5タラを支払って、正午前には、ウポル島南西部に位置するサラムム海岸に到着した。
 
早速BBQの準備をし、焼き上がったアジの塩焼き、伊勢エビ、ステーキなど舌鼓を打って全員堪能することができた。全員腹ごしらえができたとき、スコールがやってきたのでしばらく休憩し、そのあと海へ飛び込んだ。
 
真っ黒な溶岩の間に白い砂浜が広がっていた。遠くのリーフにぶつかる白い大きな砕波のところまでの約100メートルは遠浅であり、サンゴ礁の岩場には沢山の熱帯魚が泳いでいた。
 
全員スノーケリングを存分に楽しむことができた。その後、ビーチでキャッチボールやバレーボールなどをして、午後のひとときを楽しんだ。日帰組の10人は車2台に乗り込み帰路を急いだ。
 
     サラムム海岸
イメージ 1
 
宿泊組の十一人は、隣接するサモアナ・リゾートへ移動した。コッテージスタイルの宿泊所が5棟(定員6、6、3、3、2名)あり、その内3棟に宿泊することができた。部屋の中には、天井から吊り下げられた扇風機、ベッド、温水シャワー、洗面所、コンポスト式トイレ、冷蔵庫などがあった。
 
敷地内には、屋外プール、ブランコ、ハンモック、トーチライト、シャワー、カヌーなどがあった。朝食付き1泊1人100タラであり、素晴らしいレゾートであった。屋外プールでは、マルコ・ポーロと呼び合いながら鬼ごっこをし、水泳競技や潜水時間を競うなど楽しい一時を過ごした。
 
夕食は、全員でシェアすることとし、野菜サラダ、パスタ、ガーリックブレッド、チキンカレーなどを楽しんだ。食後は、みんなでビリヤードを楽しんだ。その後、宿舎に帰り、夜遅くまで話し込んでいた。
 
美しい星座と星雲の下で、波音を聞きながらぐっすり休むことができた。朝食は、コンチネンタルの外に、暖かい目玉焼やオムレツなど各種のエッグ料理があり、美味しく頂いた。食後はカヤック、スノーケリング、ビリヤード、スケッチなど各自各様にエンジョイすることができた。正午近くに車3台に分乗して帰路に付いた。
 
途中にリターン・ツ・パラダイス・ビーチがあったので、立ち寄ることにした。ここは、絵に書いたような素晴らしい海岸地帯であり、昔、1953年の映画「リターン・ツ・パラダイス」ゲリー・クーパー主演のロケーション地となった所である。
 
BBQの準備
イメージ 2白い砂浜、輝くような太陽、ヤシの林立する素晴らしい自然は、スノーケリングに適した海岸であり、今後とも観光開発することなく自然保護地帯として永久保存すべき海岸である。
 
全員、母の日の休日を存分に楽しんで、反時計まわりに帰路を選び、フィアガ経由でアピアまで帰った。

サモアンダンス

 
サモアにおけるダンスは、「Siva Samoaと呼ばれ、ハワイアンフラダンスやタヒチアンダンスのルーツとなった伝統的な踊りである。Sivaとは、村の人達が歌と踊りを通じて、お互いの信頼関係を築くための祭りであり、人々の心をつなぐ彼らの生活に欠かせない大切な行事である。
 
サモア人は、音楽が好きであるばかりでなく、音楽に対する才能が豊かである。楽譜を読むことなく、リズムを聴くだけですぐにメロディーを憶えることができる。明るく陽気なリズムに合わせてゆったりと踊れば、自然と笑顔が出てくる。女性の愛らしい優雅な手つき、男性のジャンプするたくましい踊りと叫び声が魅力的である。
 
Sasaと呼ばれるSiva Samoaは、最もテンポの速いダンスで、竹でドラムを叩くだけで、歌も音楽もない。踊り子達は、速いビートのリズムに合わせて、すべての動作を同じにして踊っている。
 
Maulu-uluと呼ばれるSiva Samoaは、歌の言葉の意味と同じ動作をして、大勢の男性と女性が一緒になって踊るものである。例えば、ココナッツの実を削るような生活の仕草を歌にして、その内容を踊りに入れている。その他、サモア人の日々の出来事を歌の言葉と踊りを通して表現している。女性はいつも微笑むような顔付きで踊っている。
 
サモアンダンス
イメージ 1
FaataupatiというSiva Samoaは、男性だけの踊りである。竹のドラムを打ち鳴らし、身体を手で叩きながら踊り、どんどん速い動作となり、劇的なジャンプと魅力的な叫び声を上げている。
 
サモアンダンスはサモア人の本質を表すもので、民族の誇りとするものである。
 
Tauarugaとは、「FiaFia Show」と呼ばれる歌と踊りの祭典の最後に登場する踊りであり、タワルンガ・フィナーレの踊りとして有名である。タワルンガとはファレの屋根の棟を意味し、棟上げ式としてフィナーレを飾るものである。
 
この踊りを舞うことのできるのは酋長(マタイ)の娘で、しかも処女娘に限られている。彼女は、伝統的衣装であるファインマットをまとい、ココナッツの葉、貝殻、および茶色の紙で作った鏡の付いた冠をかぶって踊っている。その姿は、邪馬台国の卑弥呼を連想させる忽然たるものがある。
 
踊っている間、おひねりと言って、人々が代わる代わるに、紙幣を踊り子の身体に貼り付けたり、前に置かれた箱にお金を入れるなどしてご祝儀としている。周囲の男達は、発狂したように駆け回り、地面に這いつくばって、踊り子の踏み台になったりして、狂喜乱舞してはやし立てている。
 
Siva Afiとは、「火の踊り」である。シバ・アフィは、木製の槌が奏でるリズムに乗って演じられる火とナイフを使う勇壮なダンスである。楽器を弾く能力はサモア人の生まれつきの才能であり、気合いの入った演奏は素晴らしい。
 
この踊りの元祖はナイフダンスであったが、これが火の踊りとなったのは、1946年に開催されたロスアンジェルスの万国博覧会において、サモア人Freddie Letui氏が伝統的なナイフに火をつけて披露したのが始まりである。
 
両端にブッシュナイフをセットした棍棒を高速で回転させるもので、大変危険である。ナイフの部分を布で巻いて油を浸潤させ、火を付けてアクロバットの妙技を演ずるのである。
 
1本の棍棒を両手でコントロルするものや、2本の棍棒を両手にもって高速回転するもので、かっては、マタイの力の象徴となるものであった。
 
火の踊り
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サモアの歌

 
ポリネシア民謡として、小林幹治作詞、岩松昭司作曲「サモア島の歌」は。昭和37年10月NHK「みんなのうた」で放送されて以来、小学校唱歌として歌われている。以下に歌詞を紹介する。
 
サモア島の歌
 
青い青い空だよ 雲のない空だよ
サモアの島 常夏(とこなつ)だよ
高い高いやしの木 大きな大きなやしの実
サモアの島 楽しい島よ
青い青い海だよ 海また海だよ
サモアの島 常夏だよ
白い白いきれいな 浜辺の広場だ
サモアの島 たのしい島よ
風は吹く 静かな海
鳥がとぶとぶ 波間をゆく
ララ 船出を祝い 無事を祈る
みんなの声が 追いかける

吹く風そよそよ 太陽ぎらぎら
ぼくらの島 常夏だよ
手拍子そろえて 元気に歌えば
ぼくらの島 たのしい島よ
みんな集まれ いつもの広場に
ぼくらの島 常夏だよ
一緒(いっしょ)にならんで 愉快(ゆかい)におどれば
ぼくらの島 たのしい島よ
風は吹く 静かな海
鳥がとぶとぶ 波間をゆく
ララ 船出を祝い 無事を祈る
みんなの声が 追いかける
 
次に、サモア出身のマルチタレント、音楽家、および作曲家であるJerome Grey氏が、1989年ハワイで作詞作曲したPolynesia is homeの歌詞を紹介する。
 
彼は、1947年にサモアで出生し、1971年に米国に移住した。ジャズ、ラテン音楽、カリプソ、ポリネシア民謡の分野で、アバ、ココナツウーマン、アロハオエ、タララ、フットプリントなど多数の音楽を作曲している。
 
アピアでの演奏会
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   Polynesia is home 
 
Far away where rainbows there
Colorful people everywhere
Tropical suns and moonlit skies
Romantic songs fill the night
Happy to say each time I row
Polynesia is my home
I’ll come back again some day
Polynesia is home
 
Friendly smiles that light the skies
It stays on all the time
Polynesia is my home
Welcome to paradise
Happy to say each time I row
Polynesia is my home
I’ll come back again some day
Polynesia is home
 
Happy to say each time I row
Polynesia is my home
I’ll come back again some day
Polynesia is home
 
Kiora, Talofa, malo lelei
Polynesians sweetly says
Aloha, kiorana the only way
Laughter at a tear, goodbye they say
Happy to say each time I row
Polynesia is my home
I’ll come back again some day
Polynesia is home
(2 times)
 
レンブ(千々岩壬氏提供)
イメージ 2
 

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