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私たちはクリスマスにサバイィ島へ行くことになった。友人の車に乗って、若い青年たちと全部で8人の2泊3日の旅だ。我がウポル島からフェリーで1時間15分程。フェリーは日本からの寄贈で、おなじみの阿賀、堀江間を航行していた位の大きさだ。
クリスマス休暇とあって船は満杯だが、予約済みの私たちは難なく乗船できた。サバイィでは友人の知り合いの家族の家に泊めてもらった。85歳のおばあさんを中心に夫婦、子供5人、妹家族などが住む。
母屋は去年子供達がおばあさんの為に建てたピンクの壁と黄色の窓枠のかわいらしい家だ。他に壁のないオープンファレが2つ、台所用の水屋、煮焚き用の小屋がある。きれいに刈られた芝生の庭には大きなパンの木が2本、裏はすぐ海だ。
道路を隔てて向い側にも土地があり、新築中のファレといとこ親類達の家がある。8人もの日本人が来ても「どうぞ」と言ってくれる、親切で肝っ玉の大きいサモア人の家族だ。
私たちはおばあさんの住む新しい家に入れてもらい、リビングで食事、寝室では蚊帳を吊って貰い、寝た。1日目はその村の集会場でクリスマスイブの集会があり、教会学校の子供達の歌や踊りを見せてもらった。グレイのスカートやラバラバに白いシャツやブラウスの清楚な制服を着ている。
教会で鍛えたコーラスに振り付けが入り、クリスマスの歌が次々歌われる。時々牧師がサモア語で説明をするが類推するしかない。寸劇が始まり、髪を長く伸ばした鬼女らしきものと王様が闘っていたが、追い払われる。そこへ3人の牧師らしき靴とズボンをはいた人物が現れ、王様に聖書を贈る。王様もキリスト教に帰依し、サモアは平和になった。
めでたし、めでたしという話らしい。幼いうちから、このようにキリスト教が入ってきたことを劇で見て感じていくのだろう。この日の催しの最後は牧師の奥さんからクリスマスプレゼントがめいめいに渡される。
袋にはボール、おもちゃ、お菓子などが入っている。皆はこれが楽しみで来ていたのだろう。京都の地蔵盆で演芸会の後でお菓子をもらったことを思い出した。
翌日はクリスマス。私達は白いプレタシに着替え、クリスマスのミサへ向かう。サモアの女性は白い帽子もかぶる。家族の人々と道路いっぱいに並んで教会に歩いて行った。
教会では牧師の祈り、説教、歌があり、40分程で終わった。言葉はわからないが、献金の袋が回ってきたら少額を入れて集めるところは子供の頃通っていた日曜学校といっしょだ。昼はクリスマスの聖餐とあって、朝から準備したウム料理のごちそうが出た。
豚肉、鶏肉、タロ芋、バナナ、かぼちゃやトマトにラーメン入りのスープなどたくさんのご馳走をいただいた。食事はまずお祈りで始まり、おばあさんと私達客人が食べる。その間サモアの家族はうちわで扇いだり、お給仕をしてくれる。お父さん、お母さんは教会の用事でいなかったようだ。
昼からは海を見に行ったり、昼寝をしたりしてゆっくり過ごした後、夜8時からクリスマスダンスパーティが始まった。村代表の踊りの得意な人の踊りが2人ずつ、紹介される。ダンサーの前には洗面器が置かれ、上手い人にはお金を投じるのだ。後で誰がどのくらい集めたか発表されるのだ。
2人のソロダンスが終わると、すぐに全体のダンスに入る。耳をつんざく電子音の音楽が鳴るや、子供、若者、大人達が飛出してきて、ペアになって踊り出す。私達日本人も「どうぞ」と手を差し出されると、踊りの中に入るのだ。いつしか私と夫も「おどらにゃそんそん」とばかりに若い人達に交じって踊り出した。
子供達が何度も呼びに来る。ソロの踊りと全体の踊りが交互に何回続いたろう。しまいには日本人だけで踊ることを要求されて、私達八人も洗面器の前で踊った。私も赤い花輪を首にかけて貰った。洗面器には50ターラ(2千円)ほど集まったそうだ。もちろんこれは教会に寄附した。ダンスパーティは12時になってやっと終わった。
汗びっしょりになって、暗い夜の道を歩いて帰りながら、サモアの人々と日本の友人達と仲よくなれたことを嬉しく思った。雨模様のため星は出ていなかったが、南の国のクリスマスの夜が終わった。教会の祈りと自然の恵みを感謝していただく食事、自らを解放するダンスパーティと健全な人間社会の原形をみせてもらったサバイィでのクリスマス体験だった。
ウム料理と一緒に出されたヒレジオマンザイウオ
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