日記

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サイクロン

 
  2010年2月13日サイクロンがサモアに来襲してきた。さて、台風、ハリケーンおよびサイクロンの違いは何であろうか。
 
  台風は、日本を含む北西太平洋や赤道以北の東経180度以西100度以東の南シナ海で発生する熱帯低気圧で、最大風速34ノット(毎秒17.2メートル)以上のものである。
 
  また、ハリケーンは、大西洋、北東および北中太平洋に発生する熱帯低気圧のうち最大風速が64ノット(毎秒33.0メートル)以上のものである。
 
  さらに、サイクロンは、熱帯低気圧のうちインド洋および太平洋南部で発生するもので、最大風速34ノット以上のものである。
 
  今回のサイクロン南半球で発生したので、台風とは異なり、暴風の旋回方向は右廻りで移動するのが特徴的である。2月9日、熱帯低気圧がトケラウの南方、サモアの北方に囲まれた海域に発生し、東進した後、2月11日に反転し、南西方向へ向かっていった。
 
  2月12日午前1時には、サモアの首都アピアの東256海里(474キロメートル)にあり、南緯14.2度、西経168.6の位置にあった。同日午後7時にはアピアの南東137海里(254キロメートル)と最も接近した。
 
  このサイクロンの名前は、トロピカルサイクロン「レーネ」と命名された。大きさはカテゴリー2に分類されていた。中心気圧は980ヘクトパスカル中心風速は60〜70ノット(毎秒31〜36メートル)であった。
 
  半径50海里(93キロメートル)では風速47ノット(毎秒24メートル)であり、南東方向の半径160海里(297キロメートル)および北西方向の半径120海里(222キロメートル)の暴風域では風速33ノット(毎秒17メートル)を記録した。進行速度は10ノット(時速18.5キロメートル)、進行方向は南西方向から西南西方向へ転じると予測された。
 
サイクロンの目
イメージ 1
 
  同日17時30分には、サモアのウポル島東部から南東部における沿岸地域に暴風注意報が、ウポル島全域に強風警報が、サバイ島南東部には強風注意報が、ウポル島には洪水注意報が発令された。
 
  このサイクロンの進路は、アメリカンサモアを経由し、2月13日には中心気圧950ヘクトパスカルに成長してサモア沖合を通過し、2月15日にはカテゴリー4、中心気圧940となり、トンガ王国へと勢力を増しながら移動していった。
 
  サイクロンの移動に伴って、風の方向は南方面から北方面へと変化するが、日本の台風とは全く逆であった。
 
  アピアでは、2月12日に強風警報、洪水注意報が出されたため、サモア政府関係者は午後から休業となった。これに準じて会社、お店なども逐次休業に入っていった。サモア人は2日間の食糧と、水道の断水に備えて飲料水を買い求め、停電に備えて懐中電灯やローソクを買いそろえていた。
 
  午後3時頃には帰宅を急ぐ車のために各所で交通渋滞が発生するなどしていた。サイクロンの大きさ、進路予測などはテレビでは全く放映されることなく、わずかラジオで放送されるだけであった。情報はすべてインターネットで、サモア気象台およびフィジー気象台から逐次発表される進路予想、サイクロンの規模、カテゴリー分類、中心気圧などを知ることができた。
 
  サモアでは、ウポル島東部から南東部における沿岸地域、および山岳地域に暴風が吹きあれていたが、大きな被害は報道されていなかった。
  進路は、日本とは反対に、このサイクロンは赤道付近に誕生した後東進し、偏東風にのって反転し、南西方向に進路を取っていくのは大変興味のある所である。 
 
 
 
 

ト・スア海溝

 
サモア唯一のアドベンチャーポイントは何処かと尋ねられたなら、まず答えられるのはウポル島の南海岸に位置する「ト・スア・オーシャン・トレンチ」という海岸沿いにある大きなたて穴と洞窟である。
 
この「ト・スア海溝」は、火山活動によって海へ流れ出した非常に温度の高い溶岩が海水と接触したときに発生するいくつかの水蒸気爆発によって形成された、きわめて珍しい地形・地勢である。
 
12月中旬、総勢15名が3台の自家用車に分乗して午前10時に出発した。アピア市内から南方へクロスロードを経由して南海岸に達した後、東方へ左折し、サラニ川を横断してロトファガを超えたところにあり、所用時間1時間15分で到着した。入り口には椰子の木が聳えた天然の公園があり、色とりどりの花が満開であった。各自入園料20タラを支払って入場した。
 
まず目に入ったのは、深さ20メートル直径10メートルと50メートルぐらいの大きな2つの穴であった。この2つの穴には海水が進入していて、地下の天然水路トンネルで外海と相互に連結していた。この洞窟の海水面まで25段の梯子が架けられており、12メートルほど降りていくと水面に達することができる。
 
我々一行は、海の見える丘に立てられたサモアンファレで休憩をした。ファレは風通しのよい高床式の小屋であり、広さは15人が一同に会することのできる程度の大きさであった。
 
椰子の葉っぱで葺いた屋根をささえる木の柱が数本あるだけの、まさに雨をしのげるだけの簡素な造りであった。ここで、まずは各自が持ち寄ったおにぎり弁当、寿司、色とりどりの料理、各種トロピカルフルーツからなる豪華な昼食を楽しんだ。
 
ト・スア海溝
イメージ 1
 
我々の最初のアドベンチャーは、直径50メートルの洞穴に降りていくことであった。梯子の一段の長さは50センチメートルほどあり、慎重に踏み外さないようにして、つぎつぎと降りていった。先に降りていった連中は水面を泳ぎながら「キャーキャー」言っている。
 
何事かと思ったが、実は海水が相当な勢いで動いているではないか。どこから海水が入ってくるのか全く分からなかったが、どうやら洞穴の底部で外海と連結した洞窟があるようだ。この海流に流されまいと懸命に泳がなければ暗くて深い洞窟に吸い込まれてしまいそうだった。
 
あとで分かったが、この海流はおよそ10秒の周期で往復運動をしているので、中央部におればただ漂っているだけで十分安全であった。水底洞窟の大きさは、幅1.5メートル、深さ3メートル、奥行き5メートルであった。
 
この真っ暗な水中空間を通って外海に出るには相当勇気のいることであり、さすが、スノーケリングの得意な若いTさんは、優れた冒険家であった。海流の方向と流速の大きさを読み取り、5メートルの水底トンネルを、スイスイと通り抜けて外海に入っていった。
 
次のアドベンチャーは、近くの浜へ泳ぎに行くことであった。この浜はプライベートビーチと呼ばれるほど急峻な崖地に囲まれた狭隘な浜であるが、結構激しい波浪が押し寄せていた。潮流が激しく外洋へ泳ぎ出すことはできなかったが、楽しく波遊びができた。
 
最後のアドベンチャーは、波怒濤が激しく打ち寄せる岩場海岸の探検である。そこは極めて激しい地形であり、波浪がどの程度の規模で打ち寄せてくるのか皆目分からなかった。しばらく観測していると、岩場にある無数の洞窟にどのように海流が流れ込んでいるのか、また、周期的に打ち寄せる波のしぶきや吹き出してくる洞穴の位置などが分かってきた。
 
それでも、突如押し寄せる波のエネルギーを考えると、とっても近寄ることのできない箇所もあった。海流の移動が激しい入り江には、珊瑚礁や熱帯魚がおり、スノーケリングを楽しむことができた。
 
溶岩でできた岩盤の上に形成された水たまりは太陽熱のために熱せられ、丁度温泉につかっているようで、久しぶりの保養気分であった。その間、波浪の撮影に熱心なC氏は波をかぶって、大切なカメラをだめにしてしまった。崖プチで遊んでいたK嬢は大きな波をかぶって、びしょぬれになっていた。
 
打ち寄せる大きな砕波
イメージ 2
 

蛸の家

 
世の中には伝説と言われる物語が沢山ある。はてさて、サモアではどうであろうか。アピア市の郊外を流れるバイシガノ川に沿って南方へ10キロほど行った所に「蛸の家」というストーンヘンジがあるとことを耳にした。
 
早速訪問することとした。雨季であったので、しかもよく雨が降る所で、道中がぬかるんで歩行困難となるそうだ。天気が安定する週末を狙って計画を立てた。自動車はRAV4でアピア市内を午前10時すぎに出発した。同乗者は5人である。
 
約30分ドライブしたところに出力1、900キロワットのサマソニ発電所に至る水圧管と調整池があり、その側に駐車した。この調整池の大きさは1万立方メートルあり、バイシガノ川の支流から2本の水圧管で取水していた。これは、いわゆる流水式と呼ばれている水力発電形式で環境によく適応したものである。
 
我々一行は、この調整池を後にして、上流にあるインテイクと呼ばれている取水堰まで約1時間半、マギアギと呼ばれる村を、悪路に沿って大蛇のようにぐねぐねと蛇行する直径60センチメートルの水圧管を横に見ながら、トレッキングをした。天候は、一時霧雨もあったが、暑くもなく快適な良い天気であった。
 
この取水堰よりさらに上流へ少し登ったところに「オクトパス・ロック」と呼ばれているストーンヘンジがあった。サモア語ではファレ・オレ・フェ「蛸の家」と呼ばれている。これは数多くの石柱や石板を4重にして水平に並べた2メートル四方の土台とその周りに半径3メートルの円周上で鉛直に配置された8本の石柱からなる遺跡ではあるが、誰がいつ頃立てたのかは不明である。
 
ファレ・オレ・フェ 蛸の家
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
数多くの伝説があり、この場所は、大昔にウポル島の南方から戦士が移り住んだ所であるという。彼は、昼間は人間の姿をしているが、夜になると大ダコに変身し、バイシガノ川を下り、アピアの海まで行っていたという。ある日、サイナという娘と恋に落ち妊娠させてしまったという。
 
彼は、女房の出産のときに、喜びの大声を出してはならないという掟を守らなかったために、その後姿を現すことはなかったという。その子供はバイリマという村で元気に育ったと言われている。
 
なお、この場所の地主で牛の放牧場のオーナーをしている農業省の副大臣の話によると、標高460メートルの溶岩地帯に、珊瑚でできた白色の大きなコーラルロックがこの遺跡の近くにあり、これこそこの大ダコが運び込んだという。太古の時代に海底火山で石灰岩や珊瑚からなるコーラルロックなどが陸上に浮上したのかも知れない。
 
西欧にある話で、大きな蛸が船を沈めるという伝説、英雄色を好むという話とか、人魚姫の伝説などと同様、各地方に根付いた伝説を聞いていると、夢があり楽しい気分となる。
 
我々一同は、スケッチをしたり、写真を撮ったりして楽しいひとときを過ごした。その後、サモア電力公社に所属する取水堰公園にまで戻り、持ち寄った寿司、卵焼き、パイナップル、パパイヤ、にぎりめしを各自ほおばって昼食をとった。
 
数多くの熱帯樹林、とくに珍しい「アオア」という細い幹が数10本重なり合って樹幹を構成する背の高い天然木に目を注ぎながら思い切って新鮮な酸素を吸うことができ、たっぷりと森林浴に浸ることができました。
 
大タコが運び込んだという石灰岩
イメージ 1 帰路は、牛の放牧場を通過したとき、牛の真っ黒な溶岩のようなを踏んづけてしまったというY嬢の叫び声、ココアの実がなるのを見つけたC氏の歓声、木根の横で晩婚を気遣うY氏の優しい声と、楽しい1時間半でした。
 
我々老夫婦は、先ほど出会った農業省の副大臣の車に乗せてもらって、らくちんらくちんでした。
 
 

フィジーへの旅

 
  フィジーでは首都のあるスバには寄らず、国際空港のあるナンディのホテルに滞在した。フィジーはイギリスの植民地だったとき、サトウキビの開墾に多くのインド人を移民させたそうだ。
 
  以来、今は44パーセントインド系フィジー人で経済、政治に原住民のフィジー人と力が拮抗している。2006年にクーデターが起こり、2009年には民族平等を認める憲法が廃棄され、今のところ軍事政権が暫定政府の力を握っている。観光地のあるナンディでは人々は穏やかに生活している。日本からの飛行機の直通便はなくなったらしいが、ちらほら日本人にも出会った。
 
  サモアやトンガから来てみると、道路も広く大きなスーパーマーケットもあり、近代化された都会だ。エスカレーターがあるビルディングがあり、本屋には新しい本が並んでいるので久しぶりに新本の匂いを嗅いだ。インド系の本屋の主人は、自分はフィジー生まれで、150年ほど前に先祖がここへ来た。インドへはいつか訪ねてみたいと語っていた。
 
  野菜市場へ行くと目がくりくりとした人なつっこい顔のフィジー人のおばさん達が地べたに野菜を並べている。すぐ側にインド人やアラビア人も果物やナッツを売っている。手工芸品の市場ではインド系の人々が買わないかとうるさく迫る。フィジーの人々は黙々と木彫りをしている。
 
  色々の人々が生きている世界だ。ナンディという町の突き当たりに、ヒンズーの寺院があった。シバの神を祀る本殿を中心に塔が立ち、壁や柱には色鮮やかに神の顔や姿、様々のシンボルがまばゆいばかりに描かれている。インド人の家族が供物を皿に盛って、お堂を裸足でお参りしながら巡っている。小さな子供も一緒だ。
 
仮装したフィジー人
イメージ 1
 ナンディの北にスリーピング・ジャイアントと呼ばれている山があり、丁度人が仰向けに寝ているような形に見える。その山の山麓に世界中から集めたというランの大庭園があり、色とりどりの花が咲き乱れていた。
 
  庭園内には、小川や池があり、山麓にそってめずらしいランの園をめぐるピクニックを存分にエンジョイすることができた。
 
  さらに、クイーンズロードを北へ進むと、ビセイセイ村にやって来た。この村は、昔、最初のフジーの原住民が上陸した地とされている。先のクーデターのときには、互いに対立する首脳がこの村の出身であり、村が政権対立の舞台となったところである。
 
  さらに進むと、小高い所に出てきた。この土地をブンダ・ポイントといって、ナンディの沖合に点在するママヌザ諸島を見渡すことの出来る展望台があった。波静かな群青色の海域に浮ぶ大小様々な島々がリゾートエリアのメッカとなるだけの貫禄を呈していた。
 
  島の周りには真っ白な海浜があり、宝島のような多くの無人島が点在していた。この丘を下りた所にブンダ・マリーナがあり、沢山のヨットが停泊していた。
 
  フィジー第2の都市であるラウトカは、人口4万2千人の町で、サトウキビを栽培し、砂糖の積み出し港として、栄えている。ナンディから約20キロメートル北方に位置しており、途中の国道をドライブしていると至る所にサトウキビ列車のレールが縦横に走っていた。
 
  ラウトカは、大きく分けて工業地区、商業地区および住宅地区の3区から成っている。
  工業地区には、砂糖精製工場、パインツリーのチップの山、埠頭に停泊する貨物船が見られた。毎年、11月頃には、サトウキビの収穫が最盛期を迎え、トラックやサトウキビ列車がひっきりなしに行き交うようである。
 
  商業地区には、バスターミナルに隣接して、屋内型の大きなマーケットがある。
 
  住宅地区には、チャーチル公園、シムラ高級住宅地などがある。
 
  ナンディから船に乗って近くの島へ行った。トレイジャーアイランドという島では1日海に潜って魚を見たり、島のホテルのプールで泳いだりした。観光客のために安全に設備され、食事もおいしいし、シャワー室も気持ちよく整備されていた。島に着いたときも帰るときも人々は海岸まで出てきてギターを持って歌ってくれた。
 
  10日ぶりにサモアに戻った。じっとりと汗ばむ暑さだ。木々の緑が圧倒的に強く、波の音が荒々しい。山のような洗濯物と早速始まった食事の準備、しかし自分の家で生活することは何より充実していておもしろいと感じた。
 
ランの大庭園
イメージ 2

トンガ王国への旅

 
   「三人の盲人と象」の話がある。それぞれ象の鼻、耳、足だけを触り、全く異なった象のイメージを持って帰ったという。物事を知るには様々な観点で見なければならないというたとえ話だ。5月に休暇をもらってトンガ、フィジーの旅に出た。
 
  南太平洋に浮ぶ島々で、サモアからそれぞれ飛行機で1時間半から2時間以内、ちょうどほぼ正三角形のかたちに離れた国々だ。南太平洋には多くの島々がちらばり、神様がくしゃみをしたとき出来た島とか、トンガでは神様が海から島を釣り上げたとか。
 
  サモアのサバイィ島には巨人の片足が残っており、もう一方はフィジーに残されているとも聞いた。サモア人トンガ人は同じポリネシア系で髪は黒く直毛で体格が大きく、世界の肥満度では5、6位を争う。言葉も似た語がたくさんある。
 
  フィジー人メラネシア系で更に浅黒く、髪は縮れている。火山の爆発や珊瑚礁の発達で島々が出来上がり、常夏の気候で椰子の木、バナナ、タロ芋、タピオカが収穫され、木の葉を覆って食べ物を蒸し焼きにする料理法や木の皮をなめして布を作り、絵を描く方法、パンダナスという葉をさらし、敷物や衣類を編み上げる技術など共通の文化がある。
 
  ホスピタリティに富み、客人を迎えるカバの儀式なども共通している。サモアにも石の遺跡があるが、トンガには巨大な石の門王の墓石の遺跡があり、いつ、だれがどれだけの人力を使い、何のために作ったのかわからない、と言う点も共通している。
 
石の門
イメージ 1
 
  トンガに降りると風がやわらかくしっとりしている。サモアより南西に位置するので、少し涼しい。日付変更線を渡ったので一日前に戻った。山はなく平らな珊瑚礁の島で島の中に大きくくびれた湿地帯が湖のように広がっている。
 
  ここは王国で紙幣には太った王様の顔が必ず描かれている。海岸沿いに赤い屋根の白いお城があり、廻りは広い緑の敷地で、ここは聖地として、国の儀式や来賓を迎える場所らしく、普段はフェンスがしてある。
 
  多くの人々が服装の上に編んだマットのようなものを巻いて紐でしばって歩いている。上下とも黒服の上に巻いている人は喪に服しているという。親しい関係の人の死には1年間、その他は自分の気持ち次第で2、3ヶ月巻いているそうだ。
 
  普通の服の上に巻いているのは相手に尊敬の意を表するための正式の服装だという。学生も制服の上に巻いている。女の子は美しい編目模様ののれんの様な短いものを巻いている。日本人の感覚で言えば、ごつごつとして暑苦しいだろうと思うが、伝統なのだろう。見慣れているうちにトンガになくてはならないように思えてくるから不思議だ。
 
  日曜日仕事や遊びに出かけるのは法律で禁止されている。私達も歩いて市内にある大きなカソリック教会を訪れた。次々と腰にきれいな編み目のマットを巻いた人々が集まってくる。教会は円錐形に大きな木の梁が中央に集められ、ドームの形をしている。
 
  座席の一部から美しいハーモニーのコワイァーが流れてきた。男性が指揮をとっている。伴奏がなくてもここの人々はすばらしい歌声で歌えるのだ。牧師が語りかけると人々が一声に返事をし、時には祈りの言葉を述べる。
 
  1週に少なくとも一度、教会へ通い、聖書の話を聞き、自分の行いを反省し祈る人々はなんと敬虔で清々しい人々だろうと感心した。
 
教会前のトンガの男性  
イメージ 2日本とトンガの関係は親密だ。トンガ文化センターという博物館や伝統文化を紹介する大きなトンガ風会館は日本が建てたそうだ。農産物も多くあり、かぼちゃの多くは日本へ送られる。トンガの空は雲が多い。
   
  最後の日、前日の夜雨が激しく降り、空港へ行く道路は水がたまり、渋滞が続いた。川がなく雨水は逃げる場所がないのだ。飛行機の時間に間に合うようにホテルのドライバーは懸命に走り続けてくれた。口数は少ないが、誠実で努力を惜しまないトンガ男性の典型を見た思いがした。
 
 

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