|
デジカメで花の写真を撮り歩いていたころです
ヤフーフォトアルバムに画像を沢山しまっていました
父を看病していたので遠くへ出歩くことができず
もっぱら掲示板やメッセンジャーで休日を過ごしていました
メッセ友に「サツキの写真はないの?」
と聞かれ、今まであまり目を向けることのなかった花も
今年やっと思うようなサツキの花に出会い
撮影、投稿とあいなりました
私の住んでいる町、野菜もおいしいと好評をいただきましたが
よーく探すと、団地の植え込みにもこんな美人なフラワーが
花を育てている人の心が伝わってきます
桜も古木ゆえに精いっぱいの力で妖艶な花を咲かせることがあると聞きました
震災のあったこういう時だからでしょうか
サツキもいつもの年より勢いよく咲き誇っているように思えました
年を重ねていてもとてもお元気なお年寄りがいます
生きたい、生きようという想いがそうさせているのでしょね
私は今週、風邪でお腹の調子を壊し、つわりのような状態でした
仕事もお葬式もなければ、痛い、苦しい、何処へも行けないと
不平不満ばかりをこぼしていたことでしょう
4日間何とか乗り切れたのは
周りの人の温かい眼差しとこの元気で美しい
このサツキのおかげだったのかもしれません
画像アップでみなさんにも元気のおすそわけです
|
記憶
[ リスト | 詳細 ]
最近、garakuta_artさんのところへおじゃまするとお父様やお母様のことが書かれていて
その文章は言葉は悪いかもしれないけど,お母様に対する愛情をたっぷりと感じさせられている今日この頃です
両親の人生や先祖のことを振り返るって、今の自分を見つめ直すことになるし、私もまた母について思い出したことをちょっと書いてみようと思います。
≪登場人物≫
母・・・女手ひとつで私を育てた実の母=結婚して1年目で夫と死別する
父・・・(今の父)=Yさん=結婚歴なし=母と15年同居していた
父・・・(今の父)=Yさん=結婚歴なし=母と15年同居していた
|
私の年齢のことですか?余命が半分になった?ん〜近いですね。
昨日の伯母の会葬に参列した人数
あえて家族葬にということに決めていたのですが
親戚が多いので会場の椅子は半分ほどは埋まり
子供夫婦、甥、姪、孫夫婦とひ孫が全員集合
淋しいお葬式にはなりませんでした
伯母の姉妹はすでに全員他界しています
それぞれの家の代表はかなり前から次世代の私達が継いでいます
その次の世代はほとんどが社会人となり
ここまで遺伝子を繋いでくれた故人には感謝の気持ちでいっぱいです
父親を早くに亡くして母子家族であった私は
伯母宅で義父と母と従姉達と一緒に生活し大変お世話になりました
商売を営んでいた伯母は、店を閉めてから
多少認知症がはじまり、一人では暮らしていけなくなりましたが、
長男宅へ転居したり、長女宅へ転居したり、
グループホームでお世話になったり、その間、病や骨折で
入院すること数回、
手に負えないと言うほどではなかったにしろ
意思の強い人でしたので
それはそれは介護は大変でした
私の介護参加ですか?
一応、従姉の顔を立てるために控えめの参加でした
仕事をしているとお見舞いもままならないときがあり
もっぱら介護している従姉を労う役回りです
最後は運よく、ホスピス病棟に入ることが出来たので
安らかに息を引き取ることが出来たと思うのですが
私へ危篤の連絡があったのが午後の2時ちょっとすぎ
この仕事について「親の死に目には会えない仕事」
とはわかっていましたが
5時ちょうどくらいなら間に合うと思ったのです
姪という立場上、仕事を途中でというわけにはいかず
惜しくも臨終の場には立ち会えず
それでも亡くなったばかりの伯母とは対面することができました
結局、危篤状態から最後までを看取ったのは従姉ひとりだけ
その間3時間、かなり心細く疲労困憊したと後から聞きました
介護と看護から解き放たれても
まだまだ背負ったものがおおきかったと思われるので
これからは従姉のグリーフケアーを心がけないとと思う私でした
それで半分になったというのは
私達の子供時代の家族、6人が3人に減ってしまった
ということでした
つづく
|
|
今日は父(母の内縁の夫)と
伯母(母の姉)の入院している病院へ
お見舞いへ行ってきました
父は呼吸困難となり一週間前には危篤状態でした
伯母は認知症でグループホームで2度目の転倒後
病院に入院中食欲不振となり禁食のまま点滴治療を受けています
ふたりとも、私にとっては大切な人
10代から20代にかけていろいろなことを教わりました
今は親でも職場でも、ましては親戚というだけでも
こんなに人のことに世話をやける人はいないと思います
本当は自分がそういう人にならなければいけないのにね
近頃ではあまりに恵まれた人が多いから
おせっかいはやかなくなってしまいました
ふたりとも、もう病院から退院出来ることはないし
お見舞いに行くたびにやつれていきます
もうどれくらいこんな不遇な目にあっているのでしょう
床ずれも出来ず、髪もきれいにまとめられているので
忙しい病院であっても最低限のケアーはしていただいて
いるようです
ああしたい、こうしたい、言いたいこと言いたい、
もう何も叶いません
それに比べたら私たちの悩みなんて
ほんとうにちっぽけ
恥ずかしくなってしまいます
でも父も伯母も触れたてみたら手も顔も温かかった
生きているんですね、一生懸命
一生懸命生き続けているのですものね
「帰り路、車の運転には気をつけて」
「ごはんをいっぱい食べるんだよ」
そんな声が聞こえてきそうな晩秋の夕暮れ空でした
|
|
綾子舞い伝承の地にある父の実家
部落にはもう家が7件くらいしか残っていないと思います
年間でストーブのいらないのは2ヶ月あまり
冬は雪深く以前は車も通れなくなってしまうということでしたが
春になると家の裏の崖ではワラビやゼンマイが採れます
道路から家に通じる小路には可愛らしい野の花が
お米も天日で干したものでおいしい
保存食の身欠きにしんは貴重なタンパク源なのでしょう
贅沢ではないけど贅沢な自然の恵み
ここで暮らしていたら長生き出来そうな気がしていました
|
|
昔はよくあちらこちらで見かけた
八百屋(青果食料品店)です
棚の商品が少ないのは
このお店を閉めることになる
数か月前だからです
お肉とお魚とお酒以外は
何でも売っていたんじゃないかしら
ちょっとしたお勤帰りのお客さんの為に
夜は9時まで店を開いていました
勿論日曜日もね
里芋は芋洗い機で丁寧に洗って
皿に盛ってあったり
金平牛蒡と人参、ちゃんと千切りにまでしてあったり
朝と夕には新鮮な野菜で漬けたぬか漬けも出されました
真中よりやや左、上にぶら下がっている瓢箪は
お金を持ちあわせていないないお客さんが
担保において行かれたというもの
金庫のお金が盗まれたこともあったそうですが
姉妹夫婦3人でこの商売を35年近く続けてこられました
小銭をちょっと握りしめて
サンダル履きで買いものに行ける
このお店が私は大好きでした
※ 画像は期間限定で搭載させていただきます
|


