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第三章     。。。思考哲学。。。









 人は様々な考えのもと、その人その人が幸せになる為に全て正しく生きています、そうした中、これから書き記す私の思う事柄を信じるか信じないか、肯定するも否定するも、その人その人の思う事が正しく、否定も強制もするつもりはありません。。。

 ただ単に、当たり前のことばかりで、おこがましいとは思いますが、こんな考え方もあるんだと思い、そうかもしれない! とか夢があるな! なんて思いながら読んで頂ければ幸いです。。。

 貴方は、何のために生きているのでしょうか? そう聞かれたら貴方は、どの様に答えますか?

 そして、死ぬのなら、どの様な死を迎えたいですか? そう聞かれた時に、貴方はどの様に答えられますか?

 私は昔、友達に、お前は、『死ぬんだったら、どんな死を迎えたいか?』 と聞かれた事があります。。。

 私は、とっさに『嘘がなく笑顔で幸せな人生だったと言える自分で死ねれば嬉しい』と言いいました。。。

 自分が死ぬときに、騙されても騙すことのない嘘がない人生だったと思える自分で、愛し愛され最後を迎えることが出来たら良いなと思いました。。。

 全てに嘘がなく自分に正直で多くの人を愛し愛され幸せだったと見守られて死を迎えられたら嬉しいのではないでしょうか。。。

 人生を全うする為に、自分の人生をどの様に過ごすか、嘘がない人生を送ることが出来たなら、人にも正直に生きることが出来たなら、自分にその正直さが反映され自分も回りの人も幸せな人生を迎え幕を下ろすことが出来るのではないでしょうか。。。

 良く人が亡くなるときに正直になり素直に成るのも自分が嘘をついたままだと死にきれないからだと思うのです。。。

 せめて自分だけは、『嘘がなく笑顔で幸せで死ねる為に生きようと思う。。。』と思い今を生きています。。。


 ですが、まだまだ多くの人に迷惑をかけています。。。

 今まで迷惑をかけた分を如何に、これからの人生で償い恩返しが出来るかのだと思うのです。。。

 私は、若い時にそうした何気ない会話から、自分の死を意識し、どのような人生が幸せで、より良い人生を迎え多くの人達に満足し幸せだったと感じてもらえ死ねるのかが人生の目標となり今を迎えています。。。

 そうしたことで、家族やお客様や縁が有り知り合えた人々や人生に縁があった人達全てに、より多くの人達に喜んでもらえることが出来たなら、今までの恩返しが出来るのだと想いだしました。。。

 幸せを共有し多くの人達に幸せを与えることが出来たなら、自分も幸せと感じ最終的には嘘のない自分になり笑顔で死を迎えることが本来の幸せなんだと感じ思うようになり、自分と向き合うことができるようになりました。。。

 そして。。。幸せってなんだろう。。。?
 幸せって、今が楽しいことが幸せなんだろうか?

 幸せって、苦しいことや悲しいことが山ほどあるからやって来るのかもしれない。。。

 だからこそ、今を知り自分の幸せの現実を噛み締める事が哲学の始まりで、哲学は幸せの入り口なのかもしれないと感じだしました。。。

 多くの人は重力や空気や時間と同じように当たり前に存在する幸せにも気づかずに過ごしているのかもしれません。。。

 そうした幸せは無くなり消え失せた時に初めて当たり前だった幸せの有り難みを感じ、当たり前だった幸せに感謝することが出来るのだと思うのです。。。

 そうして考えると如何に当たり前の幸せを噛みしめて過ごすことが出来るかで、当たり前の現実と向き合うことから始まるのかもしれません。。。

 幸せは、いつもあるから感じることなく過ごし、無くなってからありがたいと気づくことができ、幸せは人から与えられるものではなく、如何に幸せと感じることができるかで、人と比べてお金がないとか他の人と比べているだけで、本来の幸せは息ができるだけで本当に生きている幸せを感じれるかの無である幸福感なんだと思うのです。。。

 究極には自分が幸せになってはいけない幸福感の先に何が見えるかという考え方次第で、幸せとは人から与えられるものではなく如何に自分自身が幸せを感じることができるかの意識次第なのですから。。。

 2017年の毎年たてる目標が正に『無である幸福感! 自分が幸せになってはいけない幸福感! その先に何が見えるか?』という内容で答えを出し達成することが目的ではなく、そう考えることが出来たならその先の未来がどのように変わるかという経験することで何かが変わるはずと先ずは意識して行動することの振る舞いで如何に未来が変わるかと思い実行しています。。。

 そうとは言え中々そう思えても行動に移す人がいないのが現状で、そう考えられるかは、如何に経験し自分の人生を振り返るかで、やはり自分に起きた経験がものを言うのだと思うのです。。。

  人と比べ自分はまだまだだと思い感じることで欲深くなり我が生まれます、ですが人と比べることがなければ欲もなく我も生まれません、そうした自分さがしをしてみようと『無である幸福感! 自分が幸せになってはいけない幸福感! その先に何が見えるか?』という今年の目標をたててみたのです。。。

 人と比べ幸せを実感し噛み締める事が出来るのなら『死』こそが人生最大の課題で多くの人達に自分という生き様が多くの観客である人達の幸せと感じる事に繋がる演出効果だと思えるです。。。

 そして先日、小林麻央さんが亡くなられました、ご冥福をお祈りいたします。。。

 悲しみと残されたご家族には言いようがないくらいの思いや悲しみが残ると思いますが、そうした悲しみを乗り越えるために多くのファンや支えて頂いた方々に応援していた方々には感謝するばかりなのだと思うのです、そして言葉に成らないくらい素晴らしい彼女にしか演出できない人生の舞台を演じ切ったのでしょう。。。

 そうして考えると人が無くなる意味がどこにあるのか、さみしく悲しくこの現実をどのように受け止めるか、それらをどう感じるか、それはこの世という舞台を彼女は精一杯多くの人達という観客にどれだけ感動や悲しみや幸せや感謝を重んじる事の大切さをを演出できたかだと思うのです。。。

 良く人が不意に亡くなると『報われないよね!』とか『残念だ!』とか『まだまだ若く可哀そうだ、これからなのに!』などという方がいらっしゃると思います、ですがどうでしょうか? 皆さんは良く自分にされたら嫌なことは言わないしないようにと教えられて意識し行動していると思います、ですがどうでしょうか。。。?

 もし、自分が不意に亡くなったとしたら、周りの人に『報われないよね!』とか『残念だ!』とか『まだまだ若く可哀そうだ、これからなのに!』などと言われたらどうでしょうか? 自分が言われたら嫌ではないでしょうか。。。

 『まだまだ! 生きたかった!』とか『まだまだ! やり残した事ばかりだ!』なんて思い死にたくないですよね、そう思えばこれで良かったんだ、これで人生を全うしたんだと自分で幸せを感じ死ねるかなんだと思うのです。。。

 そう、人生という舞台の幕をおろし人生を全うし死ねたのならモットーで人に自分の人生をとやかく批判されたくないと思うのです。。。

 そう考えることが出来たなら人生を全うしたんだ『お疲れ様!』とか『良くやった! 後はゆっくりしてくれ!』と悔いは残さずに成仏できるのだと思うのです。。。

 そう、人生に起きる最終目的の死とは意味があり舞台の意味のある大役を演じきるという大切な大切な現実を迎えたのだと思えるかで、その人に起きた現実を認め許すことなのだと思うのです。。。

 何故? 小林麻央さんのように若く素晴らしい人生を迎えている人がこんな人生を送らなければいけないのか。。。?

 正に芸能人であり多くの方々にブログやテレビ等の報道でこの話題が広がるのか、その意味は多くの人々が自分は辛いこと悲しいこと何があっても幸せでいられているんだ、と感じることができる為に起きているんだと思えるかなんだと思うのです。。。

 そう、人と比べる事で欲深く我が生まれ自分の幸せを感じるこの世の中で、如何に自分の幸せはこうしたニュースを見ることで人生を比較して幸せを感じることができるかどうかなのだと思うのです。。。

 そう思えたなら、小林麻央さんの生い立ちや環境すらも今ここで亡くなるという舞台の大役を演じきり彼女の死も報われるのではないでしょうか。。。

 自分には出来ない大役を大切な自分の人生を台無しにしてまでも多くの人達に幸せを感じてもらえるために嫌な役を演じきってくれたのだと考え思い感謝できるかなのだと思うのです。。。

 そう自分では絶対にやりたくない役を多くの人達の幸せの為に演じてくれたと感謝できるのです。。。

 多くの人々はそうした悲しみに悔しさがあるからこそ自分は幸せなんだと実感できる動物なのではないでしょうか。。。

 もしお芝居や映画やドラマを観て全てが幸せ過ぎるストーリーであれば観終わった感想は自分はまだまだ幸せには程遠いななんて思ってしまい人を羨み妬み愚痴不平不満やストレスが溜まってネガティブになってしまうかも知れません。。。

 お芝居や映画やドラマの結末が悲しく悔しさや心残りなだけに自分の人生と比べて良かった自分はまだまだ幸せな方なんだと思えるかで常にポジティブになれるのだと思うのです。。。

 そうして考えると多くのお芝居や映画やドラマがハッピーエンドで終わるより少し心残りで引きずるくらいの方が心に残り自分は他の人に比べれば幸せなんだとポジティブに思えるように演出していくれているのかもしれません。。。

 如何に人生の現実を自分の演出と思えるかによって自分の人生は幸せなんだと感じることは可能なのですから。。。

 そして幸せとは何処にあるのか、人は何を求めているのか、人は何処に向かおうとしているのか迷っているのかもしれません。。。

 迷いの全てが、多くの人達に如何に喜んでもらい幸せになれるか、そう思える様になりました。。。

 ですが、この社会の中で幸せに生きて行くために協調性を大事にしすぎているのかもしれません。。。

 人と同じ事をすることは大事です、ですが本来の自分の個性を殺し自分のほこ先を何処に向かせれば良いのか分からなくなっている人が多くなっているのかもしれません。。。

 そうした、自分のほこ先を見つけ、より良い幸せを求めるには、全て自分に起きる現実に疑問を持つことから始まるのではないでしょうか。。。

 幸せを共有する為の協調性とは、みんなの気持ちを考え意識して行動することで多くの幸せをもたらすもので、この社会の中で最も大切で必要なものですが、良くも悪くも自分の幸せに必要な個性を殺してしまうのかもしれません。。。

 そうした幸せを感じる協調性を持ちながら社会の中で生き、自分だけに必要な個性を引きだし人生を全うする為にはどうすれば良いのか。。。

 そうした自分だけの幸せの武器である個性を引き出すにはどの様にすれば良いのか、はたまた自分の幸せの武器である個性に気が付くためにはどの様にすれば良いのか。。。

 そう、正に何故? どうして? と疑問に思うことから全てが始まるのだと思うのです。。。

 そうした疑問が、何故? どうして? と思い考え自問自答して自分に起きる現実を受け入れられるかで、今後の意識と行動の結果が現実を経て未来に繋がり、現実に起きた事柄が自分に必要なことだと認識することで自分だけが持つ武器に気が付くのだと思うのです。。。

 そう、如何に自分と向き合う事が出来るかが自分だけの個性を引きだし幸せに成れる哲学なのだと思うのです。。。

 皆さんもそうした疑問から幼少の頃に自問自答したことがあると思うのです。。。



 宇宙の始まりは、何処から始まったのか?

 宇宙は、なんで存在するのか?

 自分は、どうして生まれたのか?

 自分は、何をするためにいるのか?

 本当に神様なんているのか?

 幸せとは、何だろう?

 幸せになる為には、どうしたら良いんだろう?


 そんな単純な思いを思春期に感じ、それ以降、奥深く考えることもなく惑わされた現実に打ち消されて今を迎えているのではないでしょうか?

 そんな思春期の思いを膨らませて、世の中の不思議や宇宙に興味を持ち世の中の始まりや自分の始まりを探求することで、幸せを感じる為に自分の哲学が始まるのだと思うのです。。。

 哲学というと難しい学問で学者じゃなきゃ解らないものという固定概念が邪魔をしていて難しいものだと思っているのではないでしょうか?

 実は哲学とは簡単なもので如何に現実の今を迎える自分と正直気に向き合うことが出来るかで、如何に自分対話の中で本来の自分を見出すことで、幸せになれる究極の自分さがしなのだと思うのです。。。

 『哲学なんて面倒だし嫌いだ』などという人もいるかもしれません、ですが、そうした考えもまた、その人の人生で培った面倒で嫌いという哲学なのですから、その人の哲学を認めることが出来れば、哲学を嫌い否定する人を否定せず肯定することも可能なのです。。。

 現代では良く『哲学って何だろう?』と思い自分で考えることなくインターネットで検索しググって疑問を解消しようとしているのではないでしょうか?

 自分の哲学とは、そうした現代の情報収集ではなく現実に自分に起きた事柄を如何にどうしてと自問自答して自分と向き合うことで出した答えだと思うのです。。。

 そうして考えると今まで生きてきた経験に人生観に、この世の中に起きた自分の過去が、今の自分を創り上げている事実であり、そうした事実に自分がどれだけ理解し偶然の今を如何に必然の今に感じることが出来るかで、自分に起きた現実を掘り下げて理屈づける事で現実を理解し現実逃避せずに良くも悪くも今が正しいと認め許すことが出来れば自分が納得し、そうした哲学が幸せになれる入り口なのかもしれません。。。

 ですが多くの人達は、らくして楽しく過ごしたい一身で文化を築き文明が発達し進化しているものの忙しい現実に追われ本来の自分さがしをする余裕がなくなり幸せになれる為の哲学を面倒と思い嫌う人も近代では増えているのではないでしょうか。。。

 そうしたことで最近の若者が恋愛から遠ざかり彼氏彼女を作りたくなくなり結婚離れが起きているのかも知れません。。。

 はたまた、しつこく考えてもお金にならいし面倒だしと時間の無駄だと感じ幸せになれる自分だけの哲学を探ろうともしないのかもしれません。。。

 そうした現代は進化した文明が明らかになる事でらくして楽しい時代を創り現実を迎え現実をらくして楽しもうと嫌なことに辛いことから現実逃避して面倒だと思い本来の自分と向き合う事を避けているのかもしれません。。。

 昔には食べることにお酒を飲むことに歌い踊るくらいしか楽しみがなかった時代には時間があり、じっくりと自分と向き合い幸せを感じ哲学を真剣に意識することができたので過去には哲学者が多く存在していたのかもしれません。。。

 ですが現代ではどうでしょうか、現実にパソコンやスマートフォンやインターネットにゲームといった文化が広がるとともに、忙しい毎日を送り、やらなければいけないことばかりで、忙しない世の中になり、たのしく楽することで忙しさから自分と向き合う時間すらなくなり、当たり前の幸せに麻痺して自分と向き合うことも面倒になり自分の行動すら意識できずに予期せぬ問題が起きる現代になっていて、実は幸せになる為の哲学を意識する人も少なくなっているのかもしれません。。。

 楽しいことは確かに素晴らしく癒されストレス解消にもなり素晴らしい事実ですが、そうした、たのしく楽ができる現実に甘え協調性という麻薬によって麻痺しているだけで、現実と向き合う事が面倒くさいと思い込んでいるのかもしれません。。。

 確かに面倒だし自分に利益をもたらす事がないと利害関係を考える人もいるかもしれません、ですが自分にとって金銭的な利害関係だけが本当に必要なのでしょうか。。。

 金銭的な利害関係よりも本当の幸せとは、他人と比べることではなく自分を良く知り自分自身の本来の幸せを知ることなのだと思うのです。。。

 とは言え、独りよがりで自己中心的な考えではなく、人を思いやり回りの人との協調性を持つことも大事です。。。

 ですが、回りの人の人生と比べるのではなく、自分の人生なので自己を見つめ本来自分がしなければ行けないことを見出し回りの人に迷惑をかけずに個性を引き出す事が自分対話であり自分だけの哲学なのかもしれません。。。

 面倒かも知れません、ですがそうした面倒なことを乗り越えることで人生は、より良く幸せを実感する為に現実が必然に教えてくれるのだと思うのです。。。

 そう正に、現実は嘘をつきません、現実が正しく全てです、良いことも悪いことも起き現実と成ることは、自分の意識と行動の結果であり、全ての現実の有様は全てが正しいのだと自分自身で考えることができるかで、現実は思い道りになっている必然の出来事と思えるのだと思うのです。。。

 強制も否定もするつもりはありません、その人その人に起こる現実の全ては正しく意識と行動の結果が、その人の現実を創り上げていることには間違いがないのですから。。。

 私は学力も知性も教養もなく、本を殆ど読んだこともないですが、自分に起きた現実が全て人生に組み込まれた自分だけの体験から教えられ今に居たり、この様な文章を書きたくなりました。。。

 こうした事に気が付くことが出来たのも自分に起きた現実と如何に向き合い自問自答した結果であり現実が自分の個性を引きだし自分の生き方を教えてくれたのだと思うのです。。。

 ここに記載している事は、実は自分の人生に起きた事柄を振り返り何故起きたのかと、じっくりと自問自答した結果であり如何に自分と向き合う事で自分さがしをすることが出来たからだと思うのです。。。

 本を読んだり学校で学習し得た知識や学問も、そうした人達は本を読んだり学校で学習することが余儀なくされた人生で、その人には間違いのない現実を迎えているのですから。。。

 全て、その人に必要最低限に起きなければいけない現実が、その場その場で確実にその人その人に必要に起きているのだと思うのです。。。

 そう、嫌なことや辛いことの試練とは、神様がいたのなら、その人その人が成長する為に神様が与えてくれる試練であり、乗り越えられる人にしか与えられずに乗り越えた先には教訓と成り一歩成長することが出来るのだと思うのです。。。

 昔の人達がよく『人は人、自分は自分』と言い『自分をしっかりと持ちなさい』とか『今を大事にしなさい』とか『自分の足元をしっかり見なさい』とか『今、自分に出来ることを一つ一つしっかりとやりなさい』などと言っていたことが本来正しく、人の影響を受け自分の生きる道を阻害されてしまい本来の自分の方向性を見失うことで、『人生は成るように成らない』と言う結末に向かっているではないでしょうか。。。

 現代では多くの情報が散乱し本来自分と如何に向き合うことが大事だということを忘れ、楽する為に人と同じ事をすることで『みんなで渡れば怖くない』という楽する協調性から安心できる惑わされた教育により作り出された固定観念が本来の自分の宿命を全うすることを邪魔し現実を迎え自分と向き合うことを忘れ自分のほこ先を見失いかけているのではないでしょうか。。。

 そうした惑わされた固定観念に作られた意識によって『現実は思い通りにならない』と無意識に言ってしまい、自分で気がつかないまま、偶然の現実を迎え思い通りにならない現実を創り上げているのだと思うのです。。。

 本来、その人その人に持たされた潜在意識から来る集合的無意識の本能や直感ではなく作られた洗脳された教育に阻害されることで『思い通りにならない』と固定観念を持ち惑わされた上辺だけの無意識によって自分で『思い通りにならない』と言ってしまい、『思い通りにならない』という願いが叶い思い通りにならない今を迎えているのではないでしょうか。。。

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