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シュトックハウゼン事件を覚えていますか?
シュトックハウゼンは現代音楽の巨匠であり、確固とした思想を基盤とする音楽家なのですが、2001年のニューヨークテロに絡んだ災難に襲われてしまいました。2001年のハンブルク音楽祭はシュトックハウゼンの連続演奏会を中心に組まれていました。9月16日にハンブルク空港に到着したシュトックハウゼンは、その日のうちに記者会見に臨みました。しかし記者とのインタビューの中から、シュトックハウゼンのある一言のみがセンセーショナルに取り扱われ、翌日のリハーサルばかりか全ての演奏会がキャンセルされ、挙げ句の果てにはハンブルク音楽祭そのものが中止に追い込まれてしまったのです。シュトックハウゼンは翌日(17日)にあっさり列車でハンブルクを追い出されてしまいました。
その問題の発言となったのは、ニューヨークの事件について、シュトックハウゼンが「あれはアートの最大の作品です」と述べたことでした。これだけを取り出してみると、たしかに問題がありそうです。しかしインタビューには前後の関連があり、彼が決してニューヨークの事件をアートとして賞賛しているのではないことがわかります。それに彼は音楽家として長年、アートについて熟考してきている人物ですから、質問した記者や、新聞の読者とは理解のズレがあったのかもしれません。
日本語でアートというと、何か芸術よりも軽い表現のような感じがしますが、英語ではアートも芸術もartで、全く同じです。Artはもともと、技術・技芸という意味でした。
インタビューの中でシュトックハウゼンはこう語っています。「あの事件については・・・みなさん頭をよくリセットしてくださいよ・・・あれはアートの最大の作品です・・・私はルシファーのおこなう戦争のアート、破壊のアートの身の毛もよだつような効果に驚いています」
記者「あなたはこのルシファーのアートを犯罪と見ていますか」
シュトックハウゼン「もちろん。それは間違いなく犯罪です。罪もない人々が否応もなく多数殺されてしまったんですから・・・しかし、霊的にとらえれば、このような安全からの逸脱、自明性からの逸脱、日常生活からの逸脱は、ときどきアートの世界でも起こることなのですがそんなものには価値がありません。しかし、いま言ったことはオフレコにしてください。誤解されると困りますからね」
ここでシュトックハウゼンが「ルシファーのアート」と述べたとき、アートとは何らかの技術を持って行なわれる作業、もしくはその作品という意味で捉えられていると思います。通常はアートの作業や作品は、創造的なものとして考えられるのですが、ルシファーのアートとは「破壊のアート」であると述べられています。思えば、20世紀の芸術は、19世紀までの美や芸術の概念を破壊するものでもありました。そうやって、20世紀の芸術は、自分たちが生きる時代を告発し、真の美や芸術を根底から問うた時代であったのです。19世紀までの美の世界に安眠することができなくなった私たちの置かれた危険な状況を、20世紀の破壊のアートは表現し続ける必要がありました。そしてマルセル・デュシャンにより、芸術作品の持つ意味さえ無効にされたのですから、すでにアートが破壊されたとも言えるでしょう。
人間が創造的行為として創造物を作ったとしても、それがかえって地球環境を悪化させたり、人間の精神によくない影響を与えたり、世界の状況に不均衡を作り出すこともあるでしょう。創造を行なったつもりが、結果的には破壊につながることもあり得るのです。私たちが生きている限り、人間は常に創造のアートとともに「破壊のアート」を行なっているのではないでしょうか。
音楽家は常に芸術や創造、破壊について考えているはずですから、シュトックハウゼンが語る「アート」にも重みがあります。おそらく彼は人間として、音楽家としての全存在をかけて「アート」という言葉を発するでしょうから。そしてアートなら破壊を行なっても何をしてもよいというのではなく、はっきりとニューヨークの事件は犯罪であると述べているのに、その部分は報道されず、「あれはアートの最大の作品です」だけが一人歩きしてしまったのです。
当時はまだ9月16日、事件の直後で世界が驚愕し、慌てふためいていた時期でしたから、みんなそれぞれ冷静に判断することができなかったのかもしれません。シュトックハウゼン自身もまだ、その時はインタビューに答えるべきではなかったのかもしれませんね。
ハンブルク音楽祭で上演されることになっていた大作「LICHT(ひかり)」について、次のように語っています。
「・・・世界全体に起こる出来事が、最終的には演奏に28時間かかるこの作品の中に出現するのです。もちろんそこに現れる諸テーマをこの時間内で描くことなどできない相談ですが、それは音楽と大天使ミカエルの姿を通して、聞く者の時間的意識の秩序にとらえられるものとなります。ミカエルは天の神のため、ここヨーロッパとドイツで、その業を行なっています。エヴァは生命の母であり、ルシファーは光の王子です。この二人が巨大な規模の世界革命を、宇宙革命を引き起こします。」
彼が何を考えているのかよくわかる発言ですね。
このシュトックハウゼン事件について、中沢新一は『緑の資本論(集英社)』の中で、「この時代の病症をあからさまにしめしている」と書いています。「芸術は癒しやなごみをもたらすだけではなく、その内部に挑発や破壊の可能性を抱えている」ものであるのに、今の社会やジャーナリズムは両義的思考を許さなくなっているというのです。まことに未成熟で硬直した社会となってしまったわけですね。
かつてフロイトは、宗教と芸術が、快感原則に抗して、「快感原則の彼岸をめざした活動であることを本質としていることに気づいた」のですが、現代の社会は快感を求めることばかりに偏ってしまっているのではないでしょうか。人間はもともと快感だけを求める存在ではなく、快と不快を超えたところを目指している、そのために象徴のはたらきを必要としている、というのがフロイトの説です。象徴というのが宗教であったり、芸術であったりするのですね。人間にとって芸術がいかに大切なものなのかがわかります。
シュトックハウゼンはその後どうしているのでしょうか。
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