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お正月はいかがお越しでいらっしゃいましたか?
のんびりしている間に、いつのまにかアクセスが1000件を越えていて、本当にたくさんの方にご訪問いただきまして、どうもありがとうございます。
ブログをはじめて2か月あまり・・・もともと日記を書いたことなどなかったのですが、書いてみると、普段なら通り過ぎてしまうことでも、考えて文章にしてみる、というのは面白い経験でした。日記なので、ただ色々なことを書いているだけですが、もっと考えが纏まるといいなあと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年の初詣は、八女の岩戸山古墳に行って来ました。初詣に古墳て変ですよね〜。
ちょうど古墳に神社も設けられていたので、そこで柏手を打って来ました。お祈りすることは、いつも決まって「世界平和」です。神様、一緒にがんばりましょう、と。
岩戸山古墳は、ヤマト朝廷に対して最後の反乱を起こした磐井氏の墳墓です。
磐井氏は北部〜中部九州の大豪族で、大王といってもいいほどの権勢を誇っていました。博多湾の近くに、ヤマト政権とは別の、自らの港を持ち、大陸との交易船を入港させていました。大陸から見れば、ヤマトに二つのクニがあるように思えたことでしょう。しかしヤマトは列島を掌握するために、磐井を下さなければならなくなります。
527年、ヤマトは新羅の一部を手に入れようとしますが、新羅はヤマトの侵入を阻止してくれるよう磐井氏に依頼します。磐井は新羅にくみして、ヤマトに戦いを宣言。南部以外の全九州豪族たちが磐井に協力します。戦いは一年以上に及び、福岡県久留米市付近で最後の決戦が行なわれました。磐井は斬られて、戦乱が終わりました。
磐井氏は生前から、自分の墓である岩戸山古墳を造営していたのですが、これは全長132メートルの前方後円墳で、南部以外では九州最大です。磐井氏の権力と財力をうかがい知ることができます。
ほんとに、つわものどもが夢のあとですね・・・
古墳の様式として、写真のような石人、石馬や石製の装飾品がたくさん出ています。これは中国や百済、新羅の文化の影響ですが、ヤマトはこのような石像による祭祀を嫌ったため、その後装飾は内部空間に展開されるようになり、装飾古墳の時代へと移って行きます。
歴史に「もしも」はありませんが、もしあの時、磐井がヤマトに勝っていたらどうなっていたでしょう?
九州は独立していたか、韓国と合併していたか・・・なんて、いろいろ想像してみるのも楽しいかもしれませんね。
岩戸山古墳がある八女の町(ホリエモンの出身地)に、岩井医院や岩井獣医がありました。もしかして磐井氏の子孫なのではないでしょうか。
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はじめまして。今日記事を更新したところ、こちらの記事が紹介されましたので、読ませて頂きました。
古墳の上に神社 〜 〜 ということについて記事を書いているところですので、興味深く感じさせて頂きました。
‘イワイ’という名の付く神社は私の住む埼玉にもあります。
出雲伊波比 (いずもいわい) 神社というのです。
茨城県にも、岩井、というところがあります。平将門の居たところです。
九州の防人には、むさしの国の者が徴用されたということですし、関東とそちらの地とは何か古代からのご縁があるのでしょうか。
2008/4/13(日) 午後 5:42
五節句さん、こんにちわ。私は東京出身で、最近信州へ引っ越したのですが、九州は本当に古代史ロマンのあるところでしたね。私の友人(東京)にも岩井さんがいますが、ずいぶん由緒のある名前のようですね。防人にむさしの国の者が徴用されたとは知りませんでした。情報ありがとうございます。私は先祖が安曇族らしく、博多の志賀島神社(安曇氏)の近くに住んでいたのかもしれません。今は安曇野の近くに住んでいます。
九州と関東の共通点というと、南九州や茨城に海上から訪れる弥勒信仰がありますね。
2008/4/17(木) 午後 9:19 [ mus*io*2013 ]