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 今年最初の仕事は、生徒の新しいピアノ選定で、静岡県掛川市のヤマハ工場へ行ってきました。
まだ高速道路が通じていないところもあり、片道4時間かかります。
ショールームにリヒテルが1970年の大阪万博のため、初来日した時に作り上げたCFと、1994年に最後のリサイタルを行った時に使用したCF3がありました。時間があったため弾かせていただくと、CF3のすばらしさに唖然としてしまいました。ゆっくり沈む鍵盤の重さと柔らかさ、そしてタッチによって様々に変化する音色、強く支える低音の凛々しさ。全体の音響が豊穣に鳴り渡ります。
こんなにもすばらしいCF3があったとは、申し訳ないことに今まで知りませんでした。
このピアノを弾くために、掛川へ行く価値はあります!
どうぞお試しください。

生徒さんが契約したピアノはS4で、選定のために3台並べられていました。
新品のS4はどれもすばらしく、選ぶのは大変なことですが、3台はだいたい音色が柔らかいものと、華やかなものと、標準の3種類に整音されています。
3台で同じ曲の部分を弾き、高音の美しさ、輝き、柔らかいパーセッジから、大きな音の多重和音、低音の響きなどを聴き比べていただき、まず3台のうち2台にしぼり、それから1台を生徒さん自身が選びました。
生徒さんは小学2年生。おばあちゃまからの贈り物です。なんと幸せな生徒さんでしょう!
幸せなご家族とご一緒できて、新年からまことにおめでたい経験をさせていただきました。

その後、ヤマハの工場を見学させていただきました。
かなりの部分は機械ですが、やはり主役は手作業です。
広大な敷地に建つ工場では、1日に30台生産されて、そのうち7割は輸出されるそうです。
世界のヤマハは、ここから世界に旅立っていくのですね。
日本人が世界的レベルまでピアノを作り上げたことは、本当にすごいことだと思います。
お土産にいただいたハンマーのキーホルダーが嬉しいですね。

リヒテルのピアノがあったので、リヒテルについて。
リヒテルが1970年の大阪万博に初来日した時、演奏会場にはホール備品のスタインウェイの他、松尾楽器から持ち込まれたスタインウェイ2台と、ベーゼンドルファー1台、そしてヤマハがこの日のために作り上げたCFが2台あったそうです。
リヒテルはこの6台の中から1台を選ぶわけで、それはとても幸せなことなのですが、結局どれを選んでも、選ばれなかったメーカーを傷つけることになってしまいます。リヒテルの額には大粒の脂汗が浮かびました。追い詰められた彼の選択は、ホール備品のスタインウェイという穏当なものになりました。このピアノを調律したのが杵淵直知さんだそうです。
しかしリヒテルはそれ以前からヤマハの調律師・村上輝久さんと信頼関係にあったので、次のコンサートから村上氏の調律でヤマハCFを使うようになりました。

この初代CFを弾いてみて、CFの発達にはリヒテルが深く関わっていて、リヒテルのおかげでヤマハは進化したのだということがよくわかりました。

そしてリヒテルには、その名声の陰に、知られざる悲劇があったことを思わざるを得ませんでした。
リヒテルはピアニストの両親のもとに生まれ、15才からコンドラチエフという教師に音楽理論と作曲を師事していました。ところが、あろうことかこのコンドラチエフが、リヒテルの父親をスパイ容疑で密告し、父親は銃殺されてしまいます。そしてコンドラチエフはリヒテルの母親と結婚し、なんとリヒテルの姓を名乗り、ついにはリヒテルの父親であるとまで詐称していたのです。
リヒテルは国家体制による悲劇と、自分の音楽教師による裏切り行為という、2重の苦しみを背負っていたにも関わらず、それを死の2年前まで誰にも語らず、その事実が公表されたのは死後一周忌の時でした。
 世界中を魅了したリヒテルの演奏は、言葉では言い尽くせない悲痛を耐えた彼の精神力によって培われたものだったに違いありません。
そんなリヒテルのピアノに、掛川で会うことができます。

写真は1枚目が外観、2枚目がショールーム、3枚目がリヒテルのピアノ、4枚目はS4の選定です。

今年も希望に満ちた年になりますように。
皆様のお幸せと平和をお祈り申し上げます。

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