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 先日、春日市のふれあい文化センターへモツレクを歌いに行った折、近くの「奴国の丘歴史資料館」を訪ねてみました。春日は弥生遺跡の宝庫として知られ、奴国の中心地であったとされています。写真は須玖岡本遺跡から、奴国の丘歴史公園に移転された奴国王墓の上石です。福岡平野一帯はこの王によって治められていたと考えられており、甕棺の内外から多数の中国鏡やガラス璧(宝器)、青銅製の武器、ガラス勾玉などが出土しました。往時の隆盛がしのばれ、王の威容が思い浮かびます。資料館でその一連の出土品を見ることができるのですが、中でもひときわ興味をひかれたのは一面の琴でした。
展示されていたのは復元品ですが、こんなに古い琴はたいへん珍しいので、受付の方に申し出て、写真を撮らせていただきました。台帳に住所氏名を書けば撮影OKだけれども、HP掲載不可とのことで、HPはだめでもブログならいいんじゃないの、なんて言ったりしても、そこはやはりネットのマナーありきで、琴の写真をお見せできないのが残念です。台帳に書き込む時、東京や北海道など沢山の方が遠方からいらしているのに驚きました。本当に全国的に有名な遺跡なのですね、ここは。

 いわゆるお琴には2種類あり、弦を指で押さえて音程を変えるのが「琴」、琴柱を立てて調弦してあるものが「箏」なので、だいたい日本人がお琴だと思っているものは、じつは「箏」なのでした。古墳時代(3世紀〜6世紀頃)の埴輪には、琴を弾奏しているものが沢山あり、すでに箏と両方あったことがわかります。しかし春日から出土した琴は弥生時代後期のものなので、埴輪より前の時代になり、具体的な使われ方がよくわからなかったそうです。かろうじて、古事記伝の中に大国主命が婿に琴を与えたので「吾妻琴」と言うとあり、日本書紀では神功皇后が香椎宮で竹内宿禰に琴を弾かせ、神懸かりになって神の託宣を受け、あらゆるまつりごとを行なったと記されています。
琴は神事や葬儀、まつりごとに使われていたので、今のような音楽的な弾き方ではなく、ピチカートやアルペジオで奏されていたようです。これは今の和琴にも受け継がれていますが、和琴は奈良時代に朝鮮半島から伝えられた「百済琴」や「伽や琴」
を原型としており、今でも宮内庁や神社の儀式の時に使われています。それでは弥生時代後期の琴はどこから来たのでしょうか。奴国は中国や朝鮮半島と交流があったのですから、大陸から来たと考えるのが妥当でしょう。しかも大切なものだったからこそ、王の墓に共に埋葬されたのでしょうね。春日の琴は、日本に最も早くもたらされた琴かもしれません。しかし日本の考古学界はどうしても畿内中心説に傾きがちで、九州はなかなか認めてもらえないというのが残念ですね。

 春日の琴は「槽造り」になっています。これは板の裏側を削り取った跡があり、同じく木製の板をくり抜いた共鳴槽が取り付けられていたと考えられます。この琴は内側が空洞になった共鳴胴を持っていたのです。この共鳴胴は、スリットドラムと同じ形をしており、スリットドラムはなんと中南米が起源とされています。またオセアニアや東南アジアに由来があるとする説もあります。日本の木魚もスリットドラムですが、その起源はベトナムにあります。
それはさておき、「槽造り」は朝鮮半島から伝わったとされていますが、古事記・日本書紀に登場するウケフネをルーツとすると考えることもできます。(まあだいたい日本の神話自体が大陸由来なのかもしれませんね)ウケフネとは穀物を貯蔵する桶のことで、クスノキの丸太をくりぬいて作られました。アマテラスが岩戸に閉じこもった冬至の夜、アメノウズメノミコトが踊り狂ったのは、このウケフネの上だったといい、また弓六張りを並べて叩いて音を出したともいいます。春日の琴は、まさにウケフネの上に張られた六弦の琴だったのです。
古代におけるフネは、この世とあの世を往来する魂の乗り物とされていたので、ウケフネを胴とする琴は、生死を司る合図とされたのでしょう。また琴の音によってあの世との経路を開くと、神功皇后のように神懸かりにもなったのでしょう。
六弦の和琴は、旋律を奏でることも可能であるのに、「清掻き(すががき)」という奏法を繰り返します。それはヘラで全弦を掻き鳴らすアルペジオや、ゆっくりと全弦を指ではじくピチカートなどですが、これは海の波を表しているとする説があります。今でも和琴の胴体はウケ(フネ)と呼ばれ、両脇を磯、弦の緒留めを葦津緒と称しており、琴は全体に海と船を意味しているのです。海というのは、神々と祖先の霊が住まう「常世の国」があると信じられていたところであり、冬至の朝太陽が昇る東南の水平線に存在するとされていました。つまり琴とは、常世の国におわす神や先祖の霊と交信するための道具だったのですね。もともと楽器というのは、そのような思いが込められたものでした。
考えてみればピアノという楽器、たくさんの弦と共鳴する胴体を持っています。ピアノのルーツは中近東のサントゥールなどの、弦を叩く楽器なのですが、琴やハープはさらに古い、ピアノの先祖なのかもしれません。そして琴やハープの元になったのは「弓」でしょう。すべての弦楽器は弓から生まれた弓太郎なんですね。
おりしも時は冬至、今年は22日の午前3時35分です。琴や弦楽器を鳴らして、太陽の復活を祝いたくなってきますね。

ハボタンとイタリア

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今年はとても寒いですね。寒さに強いお花に植え替えました。
ハボタンは日本では迎春のお花とされていますが、去年イタリアへ行った時、ハボタンとシクラメンの組み合わせをよく見かけたので、真似してみました。
イタリアはローマ帝国以前のエトルリアからの歴史があり、ヨーロッパの源流として、数多の文化遺産に溢れていました。とくに印象的だったのは、バチカン美術館の「アテネの学堂」やフィレンツェのメディチ家のオフィスだったウフィツィ美術館、ダヴィンチの「最後の晩餐」など、ルネッサンスの美術めぐりとともに、べネツィアで聴いたヴィヴァルディとモーツァルトのコンサートや、シエナのキジアナ音楽院とミラノの楽譜出版社リコルディを訪ねたことも楽しい思い出です。
西洋音楽史は19世紀のドイツで編纂されたものなので、ドイツ中心に評価されており、イタリアは不当に軽んじられています。18世紀までは歌といえばイタリア語で歌うことであり、ドイツ・オーストリアの宮廷では多くの優秀なイタリア人音楽家を雇い入れていました。ベネツィアのヴィヴァルディは、当時バッハよりも遥かに成功した音楽家として国際的に活躍していましたし、サリエリはウィーンの宮廷楽長として揺るぎない地位にあったので、モーツァルトを妬んで毒殺などする筈もなかったのです。ヴァイオリンもピアノもイタリアで誕生しましたし、オペラを生み出したのもフィレンツェのメディチ家です。
 ベネツィアで聴いたコンサートは、数人の室内楽だったのですが、なにしろ16世紀頃の石造りの部屋で(まだコンサートホールはなかった)、反響が豊かなので、数人の演奏が20人ぐらいいるように聴こえました。演奏の技術はあまり高くなくて、技術ならば日本人は決して引けを取らないのですが、とにかく音楽が楽しいのです。演奏が楽しくて仕方がないらしく、のりにのって、モーツァルトの3楽章など、どんどん速くなって、リズムが面白いので、思わず笑いがこぼれてしまいました。モーツァルトを聴いて笑ったのは、あれが初めてでしたね。まさに当時の流行音楽を聴いた、という感じでした。
ドイツの演奏はきっちりしていて、日本人と似ているのかもしれません。日本でドイツ音楽が広く受け入れられたのは、やはり気質が似ていて、理解しやすかったのではないでしょうか。でもイタリアの生活に根付いた歌と、楽しい音楽は本当に魅力的ですね。
なんだかハボタンとシクラメンから、色々なことを思い出してしまいました。イタリアの音楽史やルネッサンスについて、書き始めるとまた長くなりますので、いずれ改めて書いてみたいと思います。
パンジーは春の花ですが、今は冬もずっと咲き続ける品種があります。パンジーの生涯もとても感動的で、冬中咲いて人間を楽しませてくれた後、春になると、蝶の幼虫に花や葉を全部食べさせて、自分は枯れていきます。こんな小さな鉢植えからも、沢山の蝶が飛び立っていくんですよ。

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