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 バレンボイムとサイードの対話をまとめた『音楽と社会』(みすず書房)を読みました。バレンボイムはロシア系ユダヤ人で、1942年アルゼンチンに生まれ、10才でイスラエルに移住、ヨーロッパを中心にピアニスト、指揮者として活躍。サイードは1935年にエルサレムで生まれたパレスチナ
人で、アメリカへ渡り、コロンビア大学の英文学・比較文学教授でしたが、2003年に亡くなりました。
ユダヤ人とパレスチナ人は、共にセム語族のオリエントの民であり、西欧からは軽視、疎外されながらも、世界を代表する音楽家、知識人として世に知られた二人の対話です。二人の背景にある文化、伝統と、二人が活動する欧米社会との間の矛盾や軋轢については、いろいろ考えさせられる面がありましたが、音楽論としてはさして興味深いところはありませんでした。世界一流の音楽家、知識人というのはこんなもの〜?と、とょっとがっくり。

 バレンボイムはユダヤ教、サイードは無宗教のようです。チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレはバレンボイムと結婚する時に、ユダヤ教に改宗しました。ジャクリーヌは才能豊かな演奏家であったにも関わらず、若くして病に倒れた悲劇の人で、数年前に公開された映画では、義兄との関係がスキャンダルとして喧伝されてしまいました。でも自分の夫と妹の関係を公開した、ジャクリーヌのお姉さんてちょっと意地悪ですね。
バレンボイムはユダヤ人に対する、ナチスのすさまじい迫害の時代を生き延びた人ですから、ドイツに対して嫌悪を抱いても不思議ではありません。ところが彼の音楽活動の中心はドイツ音楽であり、ベートーベンやフルトヴェングラーを最も高く評価しています。フルトヴェングラーはナチスに協力したこともあったそうですから、バレンボイムの民族や宗教を超えた音楽精神、価値観は凄絶なまでに透徹していると言えるでしょう。
バレンボイムはバイロイトで度々ワーグナーを振っていますが、ワーグナーはナチスドイツ帝国の象徴ともいえる音楽で、ワーグナー自身も「ユダヤ人など焼き殺してしまえばいい」と言っていたそうです。バレンボイムもワーグナーの反ユダヤ主義は醜悪だと述べていますが、それでもワーグナーを排斥することなく、ワーグナーの音楽のみを正当に評価することができるというのは、本当にいったいどういう精神の持ち主なのか、崇高なのか、鈍感なのか、と訝しく思ってしまいますが、きっと前者なのでしょう。そう思いたいです。

イスラエルでは、1938年を最後に、ワーグナーが演奏されることはなくなりました。強制収容所で家族をガス室に見送る時、ワーグナーの音楽が流れていたそうです。ところが、2001年7月、バレンボイムはベルリン国立歌劇場管弦楽団を率いてエルサレムを訪れ、戦後はじめて「トリスタンとイゾルデ」の一部を演奏したのです。これはただちに大問題となり、バレンボイムに対する攻撃が数ヶ月にわたって続きました。文化と教育の国会委員会は、彼をボイコットするように呼びかけ、文化大臣や有名人たちが悪意に満ちた批判を投げつけました。彼らの言い分は、バレンボイムの行為が国家を傷つけるものだというのでしょうが、バレンボイムとしてはその逆に、戦後を終わらせたい、いつまでも憎しみあいを続けたくないと考えたのではないでしょうか。バレンボイムはアルゼンチンとイスラエルのパスポートを持ち、イスラエルに居住したこともありますが、10代から多くの時間を欧米で過ごしました。彼は世界中を飛び回る国際人としての視野と考察を持っているので、イスラエル国内に留まる人々との間に考え方のズレが生じたのではないでしょうか。

バレンボイムとサイードは、1999年にワイマールで、イスラエルとアラブの若い音楽家たちを集めて「ウェスト・イースタン・ディヴァン」というワークショップを行ないました。Wert-oestlicher Divanはゲーテのペルシャ・イスラム文化への強い関心から生まれた『西東詩集』からきています。西洋文化の中心地で、イスラエルとアラブの音楽家たちが、ドイツ人音楽家も交えて共同で西洋古典音楽をつくっていくという試みは、とても刺激的な冒険だったのではないでしょうか。はじめは互いに馴染めなかった若者たちも、同じ曲を一緒に演奏するうちに、しだいに一体感を覚えるようになったといいます。この経験が深いところで将来に向けた共生の道を用意するものになるよう、私も願ってやみません。この時は、ヨーヨーマも参加しており、その後シカゴやスペインでも毎年開かれています。セビリアに本拠を置くようになったらしく、セビリアはかつてイスラムとユダヤの共同体が共存して優れた文化を生み出したアンダルシアの中心都市なので、たいへんふさわしい場所だといえるでしょう。
音楽によって国や民族の障壁を超える、このプロジェクトは本当にすばらしいと思います。深く敬意を表します。人間はみな互いに争いなどしたくない。ジョン・レノンの「イマジン」と同じです。
ひるがえって、日本ではどうでしょう。中国や韓国の人々と、一緒になって音楽をつくるようなことができたら、どんなにすばらしいことでしょう。アジアの人たちと、共通言語が西洋音楽、というのも不思議ですが、いつかこんなプロジェクトが実現するといいですね。

 音楽論については、特筆するようなことはないのですが、バレンボイムは「音楽の本質は時間とともに変化する移行の技術に尽きる」と言っています。それをフルトヴェングラーから学んだと。それは確かに「演奏家にとっては」、音楽とは移行の技術であると言えるでしょう。ひとつの音から、もうひとつの音に移る時、いかに繋ぐか、ということが演奏家にとっては最も重要であり、音楽は「音と音の間」にあると言えるからです。しかし音楽の本質は技術ではありません。音とは何か。音楽を生み出す精神とは。もっともっと掘り下げてほしかったですね〜。
ポビュラー音楽全盛の現在、これからの音楽がどうなっていくだろうかと、サイードがバレンボイムに問いかけても、彼はちっとも答えていないし、けっこう二人の会話は噛み合っていないのでした。
サイードは気鋭の文明批評家だと思っていたのですが、この本ではあまり彼の専門領域の話は出て来ませんでした。

今年のはじめ、バレンボイムの福岡公演に行きました。バッハの平均率第一巻全曲演奏でした。60代になったばかりですが、若い頃の豊かな黒髪は消え失せ、背中を痛めたとのことで、曲目が変更されていました。さすがに貫禄の演奏でしたが、古楽器が広まる以前の19世紀的演奏スタイルなので、バッハについてどのような考えを持っているのかなあと思っていました。すると、この本では、バレンボイムは古楽器とは昔の時代に後退するもので、今の時代にバッハを引き出して来なくてはいけないと考えていることがわかりました。私は古楽器が昔の時代への後退だとは思いませんし、現代のバロック演奏には古楽器の研究も必要だと考えています。現代のバッハ演奏というのは本当に難しいですね。
サイードとバレンボイムは、自分たちのすることの多くは19世紀に根があると言っています。どこに自分の根を据えるかによって、人間の生き方、考え方は大きく違ってくるということですね。
サイードさん、どうか安らかに。バレンボイムさん、ご活躍をお祈りいたします。

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