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〜住吉大社の万神(よろづのかみ)(2013.8.26)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪・解釈シリーズ/住吉大社編(10)
大社前は海だった?結論→浜口萬目地蔵 住吉造:本殿の画像→第一本宮と住吉造
本宮について→第四本宮〜第二本宮
神と伝承について→幸壽門より境内へ
南北朝とのかかわり→外観と南北朝の話
太鼓橋(反橋)について→太鼓橋(反橋)
神馬について→住吉大社の神馬
住吉大社とチンチン電車→ チンチン電車
川端康成文学碑→文学碑・歌碑・句碑 今回の主なテーマは住吉大社にある小さな社についてですが、話は日本神話にさかのぼり、どうしても長い話になります。
難しい話はだれしも苦手でしょうが、ここで理解出来れば、『なるほどザ・ワールド』。
ただの「苦しい時の神だのみ」でも、祭神の意味を知れば御利益(ごりやく)も増すかもです。
住吉大社には、多くの末社と呼ばれる小さな神社が存在します。
私が今回の取材で特に気になったのは、住吉大社の境内に入る正門とも言える幸壽門より入ると4つの本宮より手前の右と左のはしっこの方にある『矛の御社』と『盾の御社』です。
左右の社はほぼ同じ造りなので、左側にある『矛の御社』の画像だけご紹介しておきます。
住吉大社の公式ホームページには、鉾社(ほこしゃ) ・楯社(たてしゃ。)と紹介 されていますが、実際の額板には、それぞれ『矛の御社』・『盾の御社』と書かれています。
神社の境内にある小さな社には摂社(せっしゃ)と末社(まっしゃ)がありますが、明治時代に本社に付属する関係深い社を摂社とし、摂社につぐ関係がある社を末社と称すること定められました。これは社格ではなく,本社祭神の妻や子をまつる社,本社旧跡に設けた社,本社祭神の荒御魂(あらみたま)をまつる社,地主神の社など関係深い社を摂社とし,それにつぐ社を末社としたそうです。
【荒御魂とは】:神の御魂(みたま)には「荒魂」(あらみたま)としての働きと「和魂」(にぎみ たま)と言う働きがあると考えられています。
(昭和天皇は第二次世界大戦の終戦後、人間宣言をしましたが、明治天皇の時代には、富国強兵・中央集権のためにも、天皇は神の子である必要があり、神社の格式を統合したのでしょうね。)
結論から言うと、主祭神を守護する神を祀った末社が『矛の御社』・『盾の御社』で、『盾の御社』=楯社には、武甕槌命(たけみかづちのみこと) が、『矛の御社』=鉾社には、経津主命(ふつぬしのみこと)が祀られています。
●さてここからが話の本題です。
ではなぜ一対の社が主祭神の両脇を固めていて、二つで対の社に祀られているのはどんな神なのでしょう。
両神は対で扱われることが多く、有名な例としては、経津主神を祀る香取神宮と武甕槌神を祀る鹿島神宮とが、利根川を挟んで相対するように位置することがあげられいます。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地だったため、両社の祭神を勧請(かんじょう)したものだそうです。また、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジ(鹽竈神社の主祭神)とともに祀られているそうです。
中臣氏(なかとみし)は、古代日本において、忌部氏(いんべうじ/し、のち斎部氏)とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族。
(勧請の意味 :分霊を他の神社に移すことを勧請(かんじょう)という。神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊 しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされる。他の神社より祭神を勧請した神社を分祠(ぶんし)、分社(ぶんしゃ)、今宮(いまみや)などという。
つまり『盾の御社』=楯社の武甕槌命(たけみかづちのみこと) と『矛の御社』=鉾社の経津主命
(ふつぬしのみこと)が対で祀れるのは、栃木県の二つの神宮の形式を受け継いでいるということでしょう。
二つの神宮の位置関係を示す地図を紹介しておきます。
再び東国三社編 - Neに紹介されている地図です。
面白い独自の仮説を紹介するページですので、オススメです。
『矛の御社』に祀られている経津主神(ふつぬしのみこと)は、日本書紀の中の葦原中国平定で、『盾の御社』に祀られている武甕槌神(たけみかづちのみこと)とともに出雲へ天降り、大国主命と国譲りの交渉をしたという記述があるそうです。ですが、『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では経津主神(ふつぬしのみこと)のみが天降り、現在の島根県安来市で天石楯(あまのいわたて)を縫い合わせたとの逸話が残っているそうです。つまり日本書紀の記述をもとに経津主神(ふつぬしのみこと)と武甕槌神(たけみかづちのみこと)を主祭神を守護する社として祀ってているのでしょう。
ただし、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)のように武甕槌命(たけみかづちのみこと)ではなく建御雷神(たけみかづちのみこと)を経津主命(ふつぬしのみこと)と共に末社として祀る神社もあるのは、経都御魂(ふつのみたま)を祀る石上神宮が物部氏(もののべし)の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神でしたが、後にたい頭する中臣氏(なかとみし)の祭神である建御雷神(たけみかづちのみこと)にその神格が奪われたと考えられているからだそうです。
建御雷神(たけみかづちのみこと)は、日本神話で、伊弉諾尊( いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。経 津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功。
神事・祭祀をつかさどった中央豪族の物部氏(もののべし)やその後の中臣氏(なかとみし)忌部氏(いんべうじ/し、のち斎部氏)の権力は絶大だったのですね。これらの氏(うじ)はみな神話の中の神の末えいとされているのですから。
以上で今回の『盾の御社』と『矛の御社』の謎解きは完了です。
住吉大社境内地図
資金は沢山あるのだから、もっとちゃんとした案内板を建てればよいのにと、私は思います。
大社の立地もあるでしょうが、他の旧跡に比べて、外国人は全く見られません。
経津主命 (ふつぬしのみこと)を祀る『矛の御社』
市戎大国社
住吉大社には以下のような末社・摂社があることを公式ページで紹介しています。
境内社
そして今回の住吉大社自体のご紹介は、次回で終了です。
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