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〜錦織神社:二つの末社(2013.8.18.)〜
〜 Nishikori Shrine in summer:(2013.8.18.)〜
特選した画像集→ここだけの絶景
当たり前の光景→人目線の光景
全景を上空から→トンボ目線でⅠ
斜め上から見る→トンボ目線でⅡ
錦織神社の詳細→由緒・歴史など
参道の天誅組→幕末の悲劇集団
願い事は全て叶う→本殿の神々
幾ら何でも多すぎる→摂社の神々
大国主神が摂社と末社に→変です
錦織神社アラカルト→その他諸々 本殿には、品陀別命(ほんだわけのみこと)と建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と菅原道真公(すがわらみちざねこう)の三神が祀られているそうです
摂社春日社(東)に祀られた熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)と春日神四神の藤原氏(中臣氏)の守護神である武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)、祖神である天児屋根命と比売神の、摂社天神社(西)に祀られた火産霊神(ほむすびのかみ)と大国主神と恵比寿神の三神。
以上のように本殿と摂社で 三神+四神(春日神)+三神で十一神が祀られていることをご紹介しました。
更に更に錦織神社には、末社(北)の金比羅宮と末社(南)の弁才天が祀れています。
ここで疑問です。
はて?金比羅宮は神様のお名前でしたっけ?
【金比羅宮とは】
私の感覚では、金比羅宮とは神様のお名前ではなく、金比羅大権現を主祭神とする神社だと?認識していました。
権現については、〜住吉大社:神仏融合・神社の経済と政治的動き(2013.8.26)〜の中で、「
日本に仏教が伝来した飛鳥時代には、神道と仏教は未統合でしたが、平安時代になり、仏教が一般にも浸透し始めると、日本古来の宗教である神道とのあつれきが生じました。そこで混乱を避けるために神と仏の個別の信仰を融合させる神仏習合思想が生まれ、寺院の中で仏の仮の姿である神(権現)を祀る神社が営まれるようになりました。これを本地垂迹(ほんじすいじゃく)説と言います。」とご紹介し、更に【日本の神社と寺院の融合について】もご紹介しました。
つまり金比羅宮は、仏の仮の姿である神を祀る寺院の中の神社ということになり、寺院の中の神社に祀られた仏の仮の姿した神様が金毘羅大権現ということです。
ウィキぺディア『金比羅宮』には、以下のような記述がりあります。
1. 「海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。」
2.「大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものである。
3.もう一つは、もともと象頭山(インド中部の伽耶(がや)城西方の山にあった真言宗の松尾寺に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする」
ちなみに、大物主命って何だ?って話ですが、
大物主(おおものぬし、大物主大神)は、日本神話に登場する神。大神神社の祭神、倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)。『出雲国造神賀詞』では大物主櫛甕玉という。大穴持(大国主神)の和魂(にきみたま)であるとする。別名 三輪明神だそうです。(大物主の記述より)
更に和魂(にきみたま)というのは、
神道における概念では、神の霊魂が持つ2つの側面があり、
荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂で、天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟り(たたり)は荒魂の表れであり、和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れだそうです。(荒魂・和魂の記述より)
待てよ、すると要するに金比羅宮に祀られているのは大国主神の和魂(にきみたま)だということなの?
それはちょっと変ですね。
だって大国主神は既に摂社天神社(西)に祀られていたはずでは?
なのに末社にも大国主神の和魂(にきみたま)が祀られているなんて!
もう訳がわかりません。
末社の位置を表示
末社は街角のお地蔵さんの祠(ほこら)よりも小さいです。
この石碑に書かれた神の総勢十三神です。
ですが大国主神が摂社と末社に祀られている?
末社 金毘羅宮の狛犬
変わった狛犬です。何だかポケモンのキャラみたいです。 |
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