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〜橿原市今井町をトンボ目線で:まずはパンフレット(2013年8月27日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ/寺内今井古民家編
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織田信長軍と戦った→一向宗とは
今井町のパンフレット→今井町概論
今井町古民家群の顔→今西家住宅
今西家住宅南面→悪魔のような鬼顔
前回からのお約束どおり、今回からしばらくは奈良県橿原市にある今井町をご紹介したいと思います。
前回までご紹介していた奈良県五條市も古民家を地域規模で保存していましたが、この町を案内するパンフレットのようなものは、上質紙に白黒で印刷した二つ折りにしてA4判になった簡単なもので、これを広げると、片面は奈良県五條市新町のガイドマップで、古民家を紹介する部分はその裏面のわずか1/4のスペースにすぎませんでした。
対して今回ご紹介する今井町のパンフレットはカラー印刷で、三つ折りにしてA4判になったものです。しかもそのパンフレットの記述や画像などが、全て今井町の古民家や町の歴史などに関するものなのです。これだけで今井町の保全・PRなどにいかに力をいれているかがわかります。
早速にその歴史的街並みの実像をご紹介すべきなのでしょう。ですが、私のブログにご訪問いただいた皆様を焦らすようで恐縮なのですが、まずはパンフレットにおいて今井町をどのように紹介しているかを知ることは、この町を知る上において重要だと思います。
ですのでパンフレットの内容を今回はご紹介します。
以下にご紹介するパンフレットをスキャンした画像では、そこに記述された文字は読み辛いかもしれませんが、基本的にはこれを読み解いて頂きたいと思います。
それでも私が思う重要記述は、文章にしておきます。
【パンフレットの記述概要】(一部私の脚色が加わっています)
「今井」が現存する文献に初めて登場するのは室町時代(南北朝時代)の1386年です。
寺内町今井は、中世の環濠集落を母体として発展した町で、室町時代後期には、一向宗の道場ができ始め、旧勢力に何度か焼き払われますが、天分年間(1532-55)頃には、寺内が誕生していたと考えられています。
室町時代の末期、つまり戦国時代の1570年に大阪石山本願寺は、織田信長軍に攻撃を開始します。
これにともない一向宗の境内地に築かれた集落の一つであった今井は、今井兵部を大将として、町を武装化し参戦するも織田軍に敗北します。
その後1575年には織田信長に赦免され宗派に根ざした武装を解除して在郷町として発展をみます。
江戸時代になると幕藩体制下で、郡山藩などに入ったこともありましたが、約180年間は江戸幕府直轄の天領でした。
天領である以上は、本来は江戸幕府により統強されるのが普通ですが、今井は自治の気風が強く、大幅な自治特権がゆるされていました。そしてこのことが町の発展に寄与し、結果として独自の文化的な強い個性を持つ街並みになり、現在に至っています。
以上、一部私の脚色が加わった文章になりましたが、いいのかな?これで。
いい加減かもしれないので、ちゃんとパンフレットの記述を読んで下さいね。
それと、『4.歴史を生かしたまちづくり』のページに紹介されている民家の特徴を紹介する記述も重要ですよ。
ところで織田信長という武将は、時代劇などにおいては、冷酷な独裁者として描かれていますが、その鬼のような信長に対立した今井町は、赦免されたのですね。意外です。
でも、安土城の城下町では、町の繁栄には力を入れたと聞きますから、部下や敵に対しては羅刹のごとき信長も、敵対する宗教勢力としの立場を捨てたただの在郷町になったうえは、今井の町人(商人など)に寛大だったのでしょうね。
1.表 紙 2.今井町の成立
3.江戸時代の今井
4.歴史を生かしたまちづくり
5.各建築物の紹介
6.今井町のできごと年表 さて次回からはいよいよ私の撮影した画像をご紹介してまいります。 |
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