|
〜橿原市今井町をトンボ目線で:今西家住宅とそのシンボル
(2013年8月27日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ/寺内今井古民家編
織田信長軍と戦った→一向宗とは
今井町のパンフレット→今井町概論
今井町古民家群の顔→今西家住宅
今西家住宅南面→悪魔のような鬼顔
今西家住宅西面→まるでお寺みたい
豊田家家紋→法具の三鈷杵みたい
よく見れば変な屋根の→中橋家住宅
上田家住宅の特徴→三段屋根+煙出
○○が無いのい狭い→音村家前の道
魚眼音村家正面→音村家:造りと正面
絵になる光景→音村家を南東側より撮
現代が背後に隠れる→旧米谷家住宅
河合家住宅→パンフ画像に対抗して
酒蔵と夕空と電線と→河合家の夕景
河合家:斜めから→河合家の庭と主屋
一見すると普通に見える→高木家住宅
江戸時代末期の特徴を→吉村家住宅
主屋から庭に照り屋根が→山尾家住宅
煙抜き屋根の手前に龍の鬼瓦→西光寺
今井町の見所は多様→指定文化財以外
重要伝統的建造物群保存地区の奈良県橿原市今井町には、国指定の重要文化財(古民家)9つと、県指定の重要文化財(古民家2華甍1)2つが存在します。
その中にあって筆頭に紹介されるのが、今西家です。
今西家は、室町時代(戦国時代)の1566年今井町に入町した十市兵衛遠忠の一族で、もと川井氏をなのっていましたが、三代目から今西姓になりました。惣年寄の筆頭で、領主、代官の町方支配の一翼を担い、自治権をゆだねられていたそうです。
八つ棟造りは、その役柄に相応した建物で、棟札には慶安3年3月22日(1650)の年代が記されて民家というよりも城郭を思わせる構造で、今井町の西口にあり、その西側は環濠となっている。
外壁を白漆喰塗籠(しろ しっくいぬりごめ)とし、大棟の両端に段違いに小棟を付け、入母屋造りの破風を前後食い違いに見せ、本瓦葺のの堂々とした外観をもっており、わが国の民家建築史上貴重な建物です。
以上が前々回紹介したパンフレットとは別の『橿原』と題されたパンフレットに紹介されている今西家についての記述です。
【惣年寄(そうとしより)とは】
ちなみに惣年寄 - Wikipediaには「惣年寄(そうとしより)とは、江戸時代に大坂・岡山・高知・堺・今井・平野・小倉・鹿児島など の町の町政を司った町役人の筆頭に位置する役職である。江戸の町の町年寄に相当 する。大坂の町にも町年寄はいるが、これは惣年寄の下に属するもので、・・・・・」と紹介されています。
今西家重要(重要文化財)には、今西家住宅について詳しく紹介しています。
その中で、今井家住宅のには、白壁に黒く大きな二つの紋があしらわれていて、同家のシンボル的なものになっています。
以下に今西家重要(重要文化財)に紹介されているその二つの紋のアップ画像を添付しました。
左側の三階菱の紋は、武士の時代の旗印を示す。とのことですが、室町時代(戦国時代)の十市兵衛遠忠の一族の川井氏であった頃は武士の身分で、その旗印が三階菱で、井川という姓をデザイン化したのが、川の字を井桁(いげた)でかこむ家紋ということなのでしょう。
今西家住宅を紹介するページとして、今西家重要(重要文化財)以外にも、
財団法人今西家保存会があります。こちらには今西家住宅の特徴が、図面で詳しく紹介されています。
パンフレットに紹介されている今西家住宅の画像は、以下に紹介している今西家住宅 北面2の画像に似ていますが、とんぼ目線ではなく人目線での撮影ですので、大屋根の様子は見えません。
今回の今西家住宅のこの方向からの撮影にあたっては、高さ6mまでに止めました。
なぜなら、今西家住宅であることを証す白壁の旗印紋や家紋が、6mを超える高さからの撮影では見えなくなることから、意味がないと判断したからです。
東端の大壁には武士の時代の旗印を示す三階菱。 正面西端の大壁に川の字を井桁(いげた)で
かこむ家紋。
今西家住宅の説明板
2013年8月27撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28 +VCL-ECF1
今西家住宅 北面1 2013年8月27撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28 +VCL-ECF1
高さ 5mの位置から撮影
今西家住宅 北面2
2013年8月27撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28 +VCL-ECF1
高さ 4mの位置から撮影
今西家住宅 北面3
2013年8月27撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28 +VCL-ECF1
高さ 6mの位置から撮影
次回も今西家住宅ですが、今回の裏面(南面)をご紹介します。
そこには今井家住宅の特徴がまた1つ映像として見えます。
|
全体表示
[ リスト ]



