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今井町のパンフレット→今井町概論
今井町古民家群の顔→今西家住宅
今西家住宅南面→悪魔のような鬼顔
今回紹介するのは上田家住宅です。まずは実際に私が自分の目でみた印象を先に述べます。
町家の主屋は、つし二階建、本二階建、平屋建で、切妻造、平入が基本だと言われますが、上田家住宅は本二階建ほど高くはありません。なのに屋根は三段になって、そのまた上に煙り出しの小屋根があるという、とっても面白い屋根の外観が特徴です。
ですがそれは、人目線では思いもしなかったことで、とんぼ目線で見ればこそ知り得た特徴です。
それでは次にこの住宅をパンフレット「橿原」ではどのように紹介しているのかを紹介します。
【上田家住宅】パンフレット「橿原」の記述
上田家は、屋号を「壺屋」といい、今西家、尾崎家とならび今井町惣念寄を勤めていた。
この住宅は、延享元年(1744)の祈祷札(きとうふだ)がありこの頃の建設とみられる。
入母屋造本瓦葺平入、つし二階建で、大壁造の妻をみせた外観は、重圧な感じを讃える。構造面では、棟通りに対してほぼ対照的な梁組は古式で、入り口を西に構えているのも珍しい。
出入口の平入と妻入の説明画像 伝統工法(古式)の構造図
上記のパンフレットにある記述は、何だか難しい建築用語が沢山出てきましたね。
幾つかの用語を以下に紹介しておきます。
特に「つし二階」については私的にも分かり難い用語でしたので、複数のページを紹介しました。
【厨子二階(つしにかい/ずしにかい)とは】町屋情報館より
「厨子二階」は「つしにかい」や「ずしにかい」と読まれる町家の建築様式です。 そもそも「厨子」とは、仏像など礼拝対象を安置する場所のことをいい、歴史的に有名なものでは「玉虫厨子(たまむしのずし)」があげられます。 二階の天井が低いため、外から見ると押しつぶされたように見えますが、居住空間ではなく「物置」として利用されていたようです。当初、礼拝対象などの大切な物を保管する場所だったことから「厨子」という言葉が用いられたともいわれています。 一説には、町民が武士を見下ろすことが許されなかったことから、外から見た時に二階建てに見えない形になったとも言われています。 また京都の印象的な景観をつくりだす「虫籠窓(むしこまど)」があるのも特徴です。 江戸から明治を中心に建てられた町家です 中世、近世には平入の建物であることが多く、中世では通常、平屋で板葺き切妻屋根に土壁の家屋が建てられ、江戸初期には、建ちの低い2階(厨子二階〈つしにかい〉)を備え、袖卯建(そでうだつ)を上げた家屋が標準化し、瓦葺き、漆喰塗籠めの壁を持つ町屋は1600年代末に現れる。厨子二階は、街道沿いに建てられた町屋の表に造られ、大名の往来を上から見下ろすことが失礼に当たるということから居間としてではなく物置として造り、使うことが許可されていた
明治頃までは厨子二階と呼ばれる低い2階建で、2階部分は物置や使用人部屋でした。年代が新しくなるにつれて建ちが高くなり、やがて総二階となります
つし二階の説明画像
下屋と大屋根が近く、その間の壁部や窓が狭い。
【大壁造り(おおかべづくり)とは】
木造建築で、壁におおわれて柱が見えない構造。洋風建築に多い。壁が厚くなるので、その間に構造補強材の筋交(すじか)いや、断熱・吸音材を納めることができる。日本では土蔵や城郭にみられる 塗籠(ぬりこめ) などがこの形式。⇔ 真壁(しんかべ)造り 上田家住宅 西面
2013年8月27撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28+VCL-ECF1
高さ 6mの位置から撮影
次回は上田家 西面を高さを変えて撮影した画像を複数紹介します。 |
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